三宅嘯山

三宅 嘯山(みやけ しょうざん、享保3年3月25日1718年4月25日)- 享和元年4月14日1801年5月27日))は、江戸時代俳諧師文人。本名は三宅芳隆、字は之元・文中、号は葎亭・滄浪居・橘斎・鴨流軒・碧玉江山人。三宅観瀾・三宅石庵の同族で、妻は松尾芭蕉門下の俳人・望月木節の孫に当たる。

略歴[編集]

京都質商でありながら、仁和寺青蓮院の侍講も務めた学者であり、俳壇の重鎮であった。それだけでなく、『宇治大納言物語』の校訂、随筆や読本の刊行、俳諧に関する評論など、和漢雅俗のあらゆる分野に通じた文人であった。「質直寡言」「矜厳自持」と評される謹直な人柄で、人々からの信望も厚かった[1]

以下、『日本古典文学大辞典』3巻の記述[1]に基づき、略歴を記す。

寛保元年(1741年)、望月宋屋に俳諧を学び、延享2年(1745年)に慧訓和尚に学ぶ。宝暦年間には蝶夢与謝蕪村・雅因などの俳諧師と知り合い、宝暦5年(1755年)までに俳諧点者として立机したと推定される。芥川丹邱などの影響で白話小説にも通じており、宝暦9年(1759年)には『通俗酔菩提全伝』を刊行し、その後も『通俗大明女仙伝』を刊行する。宝暦13年(1763年)『俳諧古選』において、元禄期俳諧への回帰を唱えて名声が高まる。明和3年(1766年)、太祇・随古と歌仙二十巻を興行し、明和6年(1769年)『平安二十歌仙』を刊行する。安永2年(1773年)『俳諧新選』を刊行。寛政元年(1789年)『嘯山詩集』の自筆稿本が成立し、寛政12年(1800年)自身最大の撰集『独喰』を刊行する。墓碑銘によれば、享和元年4月14日没。享年84歳。墓所は京都北野の立本寺にある。

著作[編集]

訳書
  • 『通俗酔菩提全伝』
  • 『通俗大明女仙伝』
俳論
  • 『俳諧古選』
  • 『俳諧新選』
撰集
  • 『かめのせ』
  • 『蘆の錦』
  • 『花筏』
  • 『独喰』など
紀行文
  • 『はまゑんざ』
  • 『許野消息』

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本古典文学大辞典編集員会『日本古典文学大辞典』 3巻、岩波書店、1991年10月、344頁。