下北半島

下北半島の衛星画像

下北半島(しもきたはんとう)は、青森県北東部に位置する本州の最北端部の半島。半島全体が下北半島国定公園に指定されており、日本三大霊場に数えられる恐山などがある。

斗南藩にちなみ[注釈 1]、「斗南半島」とも呼ばれる[2][3][4]。また、形状が「(まさかり)」に似ていることから「まさかり半島」の別名もある[5][6]

地理[編集]

下北半島の位置(日本内)
下北半島
下北半島
下北半島の位置
下北半島の地形図
恐山

下北半島は本州の最北端部であり、青森県北東部に当たる。野辺地町付近から下北丘陵が北へ向かって直線的に突き出している。その北部からは西に向かって大きな三角形の半島がさらに突き出しており、陸奥湾の東側半分(野辺地湾大湊湾)を抱き込むような形をしている。西に位置する津軽半島との間には平舘海峡がある。下北半島の北東端は下北丘陵の終端部に当たる尻屋崎、北西端は本州最北端の大間崎である。北側では、津軽海峡を挟んで北海道渡島半島と向かい合っている。大間崎は北海道最南端の白神岬よりも北に位置する。

「まさかりの刃」に当たる部分には、釜臥山(879 m)を最高峰とする恐山山地が広がり、平地はほとんど見られない。また緑色凝灰岩を主とする恐山山地西部が侵食しされた結果、仏ヶ浦の奇岩群が形成された[7]。これに対し、下北丘陵との接合部には田名部低地が広がっており、下北半島の中心都市のむつ市はここに形成された都市である。約20万年前は本州と恐山山地と下北丘陵は海峡で隔てられていたが、海流が恐山山地を洗い、大量の土砂を運搬したため、陸地をつなぐ平野が形成され、田名部低地になった。

「まさかりの柄」に当たる部分は、南北約50 kmに亘り、東西10 kmから15 km程度の幅を持つ。下北半島は太平洋と陸奥湾を隔てており、北部には大規模な猿ヶ森砂丘がある。また、南端の太平洋側、すなわち、下北半島の付け根には小川原湖湖沼群が見られる[注釈 2]

なお、下北半島は全域が青森県に属しており、ここに位置する市町村は、むつ市、下北郡(風間浦村大間町佐井村東通村)、上北郡(横浜町、野辺地町、六ヶ所村人口87,672人、面積1,876.76km²、人口密度46.7人/km²。(2024年4月1日、推計人口)である。これらの自治体から成る下北地方は、むつ市田名部を中心として3つの地方に区分される。

気候[編集]

下北半島の気候は日本海式気候に属す。また、ケッペンの気候区分では大部分の地域がCfbに区分される。ただし、海に囲まれている上に、山もあるため、同一半島内であっても地域によって気候に違いが見られる。

  • 西通り:陸奥湾に面している。夏は暑く、冬にが多い。
  • 北通り:津軽海峡に面している。冬に津軽海峡から吹きつける風が強く、降雪量および積雪量が少ない。
  • 東通り:津軽海峡と太平洋に面している。夏に北東から吹く季節風(やませ)の影響強い。山間部では降雪量および積雪量が多いのに対して、沿岸部では少ない。
  • 上北郡横浜町、野辺地町:陸奥湾に面している。冬に雪が多い。
  • 上北郡六ヶ所村:太平洋に面している。東通村同様、山間部では降雪量および積雪量が多いのに対し、沿岸部では少ない。

生物相[編集]

下北半島は本州の最北端に位置し、幾つかの生物の北限地となっていることから、下北半島と北海道の間は分布境界線であるブラキストン線に定義されている。ニホンザル北限のニホンザル)がヒトを除く霊長類では地球上で最も北に生息している他に、ツキノワグマニホンカモシカの北限地でもあり、シュレーゲルアオガエル大間町で繁殖の北限に当たる。なお下北半島のツキノワグマ個体群は環境省のレッドデータブックで「絶滅のおそれのある地域個体群」として評価されている[注釈 3]。また、宇曽利湖ウグイ強酸性の湖水に生息する魚類として知られており、一般に魚類が生息できる酸性度の限界を越えた環境下で生息している。

下北半島には、国の天然記念物に指定されている「縫道石山・縫道石の特殊植物群落」があり、オオウラヒダイワタケキザキナナカマドコメバツガザクラなどが生育している。また下北半島の西部は、1984年11月1日に鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定された。下北鳥獣保護区の面積は49.46 km2で、このうち特別保護地区は10.68 km2である。

交通[編集]

道路[編集]

青森市などの津軽地方や、下北半島を含む南部地方三沢八戸方面とは、野辺地町または六ヶ所村経由で複数接続されている。この他、下北半島縦貫道路が建設中である。

鉄道[編集]

JR東日本大湊線が、野辺地駅青い森鉄道線と接続している。かつて半島北部を走っていた下北交通大畑線は2001年に廃止された。下北半島は鉄道空白地が広い上に、大湊線は駅間が長いため、主に下北交通路線バスが運行されている。

海運[編集]

下北半島の西端と津軽地方は、直線距離では海上経由の方が近い。このため、むつ市脇野沢・佐井村などと青森港を結ぶ旅客船(シィライン)が運航されている他に、脇野沢と津軽半島蟹田港を結ぶ「むつ湾フェリー」(冬季運休)が平舘海峡を結んでいる。

また北端の大間町からは北海道の函館まで津軽海峡フェリーがとして運航されている(大間函館航路)。下北半島の北部には、北海道南部の大都市である函館へ買い物や通院する住民も少なくない。

生活圏間流動[編集]

国土交通省「全国幹線旅客純流動調査」によると、下北半島を出発地あるいは居住地とする者の純流動は、以下の通りであった。同調査では、青森県内の各生活圏間の流動データがないものの、下北半島と陸続きである三八上北地方県庁所在地青森市との流動が、下記の生活圏よりも多いと考えられる。

207地域生活圏(2006年3月末現在)
東北地方は白地、北海道は「」、関東地方は「」。

出発地:下北[8]
目的地 万人/年
1 盛岡 3.1
2 仙台 3.0
3 函館 2.8
4 東京23区 2.5
居住地:下北[9]
旅行先 万人/年
1 仙台 3.5
2 函館 3.3
2 東京23区 3.3
4 盛岡 2.5

観光[編集]

夏の仏ヶ浦海岸の様子
仏ヶ浦

下北半島は半島全体が下北半島国定公園に指定されている。景勝地では尻屋崎大間崎がある。また、イタコで有名な霊場の恐山を擁し、温泉も見られる。

エネルギー産業施設[編集]

下北半島にはエネルギー産業に関わる施設が幾つかある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同藩の由来は、「北斗以南皆帝州」から命名されたとする説(猪苗代町編『猪苗代町史 [第3集] (歴史編)』猪苗代町、1982年1月、p.297。)、藩閥政治に対する反抗心からの「南へ帰る」に由来する説(葛西富夫『斗南藩史』斗南会津会、1971年、p.112。)、および南斗六星に由来する説(塩谷七重郎編『土津神社と斗南』土津神社、1983年、p.77。)、などがある[1]
  2. ^ 小川原湖湖沼群とは、小川原湖の他に尾駮沼、鷹架沼、市柳沼、田面木沼、内沼、姉沼と言う、海跡湖や堰止湖が並んでいる場所である。
  3. ^ ニホンザルも「下北半島のホンドザル」として2002年発行のレッドデータブックまで「絶滅のおそれのある地域個体群」として評価されていたが、2007年版レッドリストで削除された。

出典[編集]

  1. ^ 遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性ー山川二葉と水野貞ー」『昭和女子大学女性文化研究所紀要』第35号、2008年3月、p.29。
  2. ^ 『読売新聞』1893年6月22日朝刊3頁「青森県下恐山の鳴動」
  3. ^ 『東京朝日新聞』1913年11月12日朝刊4頁「東北の農村 青森県雑記」
  4. ^ 神竹之助 編『青森県遊覧指針』青森県医師会、1928年6月15日、64頁。NDLJP:1173954/82 オープンアクセス
  5. ^ 『朝日新聞』1992年11月24日朝刊1家面17頁「津軽の冬は「じゃっぱ汁」 マダラのアラ使い大胆に」
  6. ^ 『毎日新聞』2023年10月18日栃木版22頁「森と海からの手紙:19便 青森・むつ「恐山」 死者と生者、つなぐ場所 目線の先には自衛隊レーダー」
  7. ^ 地理 2016.3 Vol.61
  8. ^ 207生活圏間流動データ表(年間)出発地-目的地(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)
  9. ^ 207生活圏間流動データ表(年間)居住地-旅行先(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)

関連項目[編集]