丘灯至夫

丘 灯至夫
おかとしお
出生名 西山 安吉
別名 岡 登志夫
河野 一郎
丘 十四夫
生誕 (1917-02-08) 1917年2月8日 福島県田村郡小野新町
出身地 日本の旗 日本福島県郡山市
死没 (2009-11-24) 2009年11月24日(92歳没)
学歴 郡山市立郡山商工学校卒業
職業 作詞家

丘 灯至夫(おか としお、1917年大正6年〉2月8日 - 2009年平成21年〉11月24日)は日本の作詞家。本名は西山安吉。丘灯至夫以外にも丘十四夫、河野一郎など数々のペンネームを持つ。

人物[編集]

好々爺として知られ、その明るい人柄から作品も明るい青春歌やホームソング的なものが多い。代表作は『高原列車は行く』、『高校三年生』、『あこがれの郵便馬車』など。アニメの主題歌なども手がけており、『ハクション大魔王』、『みなしごハッチ』、『ガッチャマンファイター』などが知られている。[1]

ペンネームの由来は、新聞記者としての経験から「押しと顔」を逆から読んだものといわれている。新聞記者は押しが強くて面の皮が厚い、と言われることから[2]。息子は救心製薬社員の丘きんじ。[3]

略歴[編集]

幼少期[編集]

福島県田村郡小野新町(現・小野町[4])の西田屋旅館[5](現存)の六男として生まれる。[6]

1929年、福島県郡山市立金透小学校尋常科を卒業。[6]

1932年、福島県郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業。[6]

少年時代は体が弱く、よく家族に連れられて福島県猪苗代町の旧・沼尻鉄道に揺られて中ノ沢温泉へ湯治へ出かけていた。その記憶が、のちにヒット曲『高原列車は行く』の誕生に繋がる。

詩人として[編集]

「蝋人形」郡山支部。中央に丘、左に西條八十、右に学生服の三谷晃一・太田博

体が弱かったため仕事が長続きせず、職を転々とする。ひたすら読書にふけり、詩人・西條八十主宰の雑誌に作品を載せてもらったり手紙を出したりしているうちに交流を持つ。1935年、18歳の頃に西條に弟子入り、西條八十を迎えて「蝋人形」郡山支部を結成して主宰となる[1]。「蝋人形」誌に多くの詩作を発表する。[6]1936年、同期の塩谷賢司とともに詩誌「蒼空」を東京で発刊(第一期1~8号)。この頃から、太田博(ひめゆり、相思樹の歌作詞)、菊池貞三、三谷晃一(元福島民報社論説委員長)など多くの詩人を育てた。1940年、詩誌「蒼空」を郡山で復刊(第二期1~5号)。1946年、詩誌「蒼空」を福島で復刊(第三期~1948年)この時期の同人として内海久二(内海久次、郡山市民の歌作詞)がいる。

作詞家へ[編集]

1941年NHKに入局[6]郡山放送局(当時)に勤務し、一時アナウンサーも務める[7]

1942年、NHKから毎日新聞社(東京)に転職し地元の福島支局記者となる[6][8]

1943年、小柄で脊椎が悪くいつもギプスを着用していた灯至夫にも召集令状が下る。海軍に配属されたものの病気になり、海軍病院に入院し召集解除されている。

1948年、毎日新聞東京本社出版局に転勤し、毎日グラフ記者として活躍。

1949年、たまたま手がけることとなった『母燈台』(三益愛子主演映画の主題歌。歌手:霧島昇)の作詞をきっかけに、日本コロムビア株式会社の専属作詞家となる[1]。なお、作詞家となった後も毎日新聞社には籍を置き続けており1972年に毎日新聞社を定年退職している。その際、毎日新聞社会長より終身名誉職員の名を与えられ出版局特別嘱託となる。[6]

1963年、『高校三年生』他の作詞により日本レコード大賞作詞賞を受賞[1][6]

1964年、童謡『ワン・ツー・スリー・ゴー』により日本レコード大賞童謡賞を受賞。[6]

1982年、地方自治功労により福島県田村郡小野町特別功労表彰を受ける。[6]

1988年、芸術文化功労により勲四等瑞宝章受章。[1]

1993年、福島県田村郡小野町に「丘灯至夫記念館」(ふるさと文化の館内)がオープンし2001年に小野町名誉町民第1号となる。[6]

『高校三年生』歌碑の除幕式にて(中央)。左に作曲家・遠藤実、右に歌手・舟木一夫

2002年、郡山駅前に郡山商業高校同窓会(伊東善之進会長)を中心とする実行委員会により『高校三年生歌碑』建立(4月13日)

2009年11月24日、腎不全のために東京都内の病院にて永眠。92歳没。[1]

主な作品[編集]

※発売元(コロムビアミュージックエンタテインメント)はリリースにあたり「丘作品の集大成」と銘打ったが、本人の死去でその通りとなった。

著書[編集]

  • 『歌暦五十年』(全音楽譜出版社)
  • 『歌に見る近代世相史』(旺文社)
  • 『明治・大正・昭和歌謡集』(弥生書房)
  • 『ヒットソングの世界』(島田音楽出版社)
  • 『「スズメのお宿」歳時記 丘灯至夫92歩の足跡』(株式会社民報印刷)、他

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f “作詞家の丘灯至夫氏が死去 「高校三年生」「高原列車は行く」”. MSN産経ニュース. (2009年11月24日). オリジナルの2009年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091127122119/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/091124/msc0911241243002-n1.htm 2009年11月24日閲覧。 
  2. ^ 「編集手帳」 『読売新聞』 2011年11月8日朝刊。
  3. ^ 救心新CM「そんな時には」編(2012年8月16日放映開始)
  4. ^ “作曲家・古関裕而代表曲のモデル「高原列車」 貴重映像DVD、福島市に寄贈”. 毎日新聞. (2020年7月4日). https://mainichi.jp/articles/20200704/k00/00m/040/016000c 2020年7月4日閲覧。 
  5. ^ 西田屋支店
  6. ^ a b c d e f g h i j k 丘灯至夫記念館 2009年11月24日
  7. ^ 小川宏、「丘さんは天国へ飛び立った」 『毎日新聞』 2009年12月9日、13版、13面。
  8. ^ “訃報:丘灯至夫さん92歳=「高校三年生」など作詞”. 毎日新聞. (2009年11月24日). オリジナルの2009年11月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091125112444/http://mainichi.jp/select/person/news/20091124k0000e040062000c.html 2022年9月6日閲覧。 
  9. ^ 社史『NBC25年史』日本経営史研究所編,日本ビジネスコンサルタント。1986年 ,289p
  10. ^ 社史『日立物流50年の歩み』日立物流。2000年6月、177p

参考文献[編集]

  • 古関裕而著『鐘よ 鳴り響け』(主婦の友社)
  • 齋藤秀隆 『古関裕而物語』(歴史春秋社)
  • 福島民報新聞社『20世紀・ふくしまの肖像』
  • 丘灯至夫記念館ホームページ
  • 丘灯至夫生誕100周年記念誌

関連項目[編集]

外部リンク[編集]