九条日浄

九条 日浄(くじょう にちじょう、1896年明治29年)10月28日 - 1962年昭和37年)9月20日)は、大正・昭和期の尼僧子爵仙石政敬の長女。のち公爵九条道実の養女となる。幼名温子

人物[編集]

大正2年(1913年学習院女学部中等科を卒業し、同7年(1918年京都村雲瑞竜寺で得度、翌々年日蓮宗瑞龍寺門跡となり、村雲尼公と呼ばれた。村雲婦人会総裁として尊敬を集めた。昭和11年(1936年)7月8日、仙石政敬子爵家の縁で、霊友会総裁に就任する。 昭和37年(1962年)京都から滋賀県近江八幡へ瑞龍寺の主要建物の移築を行うが、日浄尼はその完成を見ず65歳で遷化した。墓所は京都市善正寺の村雲瑞龍寺歴代門跡御墓所。

著書に『日本婦人の信仰』がある。

出典[編集]

  • 『日本女性人名事典』日本図書センター
  • 『霊友会 新宗教創始者伝 久保角太郎の生涯』