佐治村

さじそん
佐治村
さじアストロパーク
佐治村旗
佐治村旗
佐治村章
佐治村章
佐治村旗 佐治村章
廃止日 2004年平成16年)11月1日[1]
廃止理由 編入合併
国府町福部村河原町用瀬町佐治村気高町鹿野町青谷町鳥取市[1]
現在の自治体 鳥取市[1]
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
八頭郡
市町村コード 31327-1
面積 79.89 km2
総人口 2,836
(住民基本台帳、2004年3月31日)
隣接自治体 鳥取県:河原町用瀬町三朝町
岡山県:加茂町阿波村上齋原村
村の木 トチ
村の花 コブシ
佐治村役場
所在地 689-1313
鳥取県八頭郡佐治村加瀬木2519-3
地図
旧・佐治村役場庁舎位置

佐治村役場(現・鳥取市役所佐治町総合支所)
外部リンク 佐治村(Internet Archive)
佐治村WARP
座標 北緯35度19分46秒 東経134度06分50秒 / 北緯35.32953度 東経134.11386度 / 35.32953; 134.11386座標: 北緯35度19分46秒 東経134度06分50秒 / 北緯35.32953度 東経134.11386度 / 35.32953; 134.11386
特記事項 旧村役場は鳥取市役所佐治町総合支所となっている
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佐治村(さじそん)は、かつて鳥取県に存在したである。八頭郡に属した。

2004年平成16年)11月1日岩美郡国府町福部村、八頭郡河原町用瀬町気高郡気高町鹿野町青谷町と共に鳥取市と合併し、同日廃止された[1]

概要[編集]

平成の大合併」前は佐治村は泊村福部村日吉津村と並び鳥取県で4つだけの村で、いずれも「…そん」と読むのが特徴だった。また、全国で最も人口の少ない鳥取県の中にあって、最も人口の少ない自治体であった。

旧村域は現在「鳥取県鳥取市佐治町」と称する。佐治谷ばなしと呼ばれる民話が伝えられている。

地理[編集]

千代川支流の佐治川が東流する「佐治谷」に位置。北西に高鉢山(標高1203m)、西に三国山を控える山間地で、冬は豪雪地帯となる。狭長な谷底平地とわずかに広がった台地に集落が点在している。

隣接していた自治体[編集]

歴史[編集]

鳥取市・佐治村合併記念碑

「佐治」の地名は『和名抄』に「佐沼郷」(佐治の誤記か)と見え、中世には地頭佐治氏が佐治谷の支配と開発を行った。江戸時代には智頭郡に所属、この頃より和紙の生産が盛んになり、佐治の特産品となった。

沿革[編集]

産業[編集]

伝統工芸品として、因州和紙がある。

佐治川沿いの傾斜地では二十世紀梨が栽培されており、県内有数のの生産地でもある。

サクランボ・ユートピア[編集]

サクランボ・ユートピアとは、東京キッドブラザースの主宰者東由多加が、故郷を持たない者たちのユートピアを作るために立ち上げたプロジェクトである。土地を購入するために3600人が千円の会費を払い[2]1972年に約30名の都会の若者たちがユートピア(理想的な故郷)を求めて佐治村に移住して来た。しかし若者達は夢と現実のギャップを思い知り、村民との交流もままならないまま都会に戻り、プロジェクトは頓挫した[3]

姉妹都市[編集]

教育[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

プラザ佐治・黎明の庭

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 川瀬慎一朗(2014年11月6日). “検証・合併10年:鳥取市の今/6止 単独の智頭 知恵出し活路”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. ^ NHKアーカイブス『ドキュメンタリー「わがユートピア」』1971年
  3. ^ 『河童のタクアンかじり歩き』:雪の山陰に"故郷"を見た 妹尾河童 ISBN 978-4167535025
  4. ^ 当時は旧村役場などが面する道路が国道482号であったが、2007年9月25日より佐治川対岸を通る道路が国道482号に移管され、旧国道は鳥取市道佐治中央線となっている[(佐治町総合支所だより 2007年12月号)]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]