内海和子

うつみ かずこ
内海 和子
プロフィール
生年月日 1967年2月16日
現年齢 57歳
出身地 日本の旗 日本東京都杉並区[1]
血液型 O型
公称サイズ(時期不明)
身長 163 cm
スリーサイズ 80 - 60 - 89 cm
活動
デビュー 1985年
ジャンル アイドル歌謡曲アニメソング
所属グループ おニャン子クラブ
著名な家族 娘・ゆりあんぬ(元XTEEN平成墓嵐
他の活動 カーレーサー、タレント
レーベル キャニオン・レコード(1985 - 1989)
アイドル: テンプレート - カテゴリ

内海 和子(うつみ かずこ、1967年昭和42年〉2月16日 - )は、日本の女性歌手タレント、元子役おニャン子クラブの元メンバー。本名、下山 和子(しもやま かずこ)。

略歴[編集]

きょうだいに妹がいる[1]戸板女子短期大学被服科卒業[1]

幼少の頃から児童劇団に所属し、劇舞台の公演やテレビドラマに子役として出演して活動していた。本人曰く「ベビーカーに乗っていた頃に、新宿伊勢丹の前でスカウトされたと母が言っていた」とのこと[2]。子役をしていた小学生時代は友達と遊ぶ機会もほとんど無かったという[2]平尾昌晃音楽教室に通っていた中学生時代の1981年沖田浩之の曲『E気持』のコーラスメンバーに選抜されて参加する[3]。高校受験を機にそれらの活動を休止させて子役時代の幕を閉じる。

1985年4月、芸能活動を再開。フジテレビの新番組だった『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブのメンバーオーディション・コーナー、「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に自ら応募して出場[2]、106点を獲得して河合その子富川春美と共に合格。翌週からおニャン子クラブのメンバー(会員番号13番[4])として活動を開始(同番組には実質的に第1回から出演)。また、おニャン子クラブ加入時に大学生になったことからオールナイトフジの出演の声がかかり、短期間であるがオールナイターズのメンバーとしても同時に活動した[2]

平尾昌晃音楽教室に通っていたことから[2]、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカルの一員に抜擢。本人も「当時は絶対音感みたいなものがあったと思う」と語り、このようなことから、歌のレッスンを受けた経験が殆どないメンバーの中で内海に歌唱の面を課したところが大きかった[2]。また、子役経験も買われて、幾つものおニャン子主体のドラマには主役格で出演するなど、おニャン子クラブ活動前期の代表的メンバーとなった。親友の立見里歌と共にとんねるずと番組本番中にケンカをしたことがある(詳細は立見里歌#石橋貴明とのケンカを参照)。

おニャン子クラブのシングルレコードB面において、ソロで「思い出美人」「プリントの夏」を歌う。本格的なソロデビューが決まった際、ラジオで共演していた伊藤政則に「B面の女王、遂にソロデビュー!」と、大絶賛される。内海自身も「いつでもソロデビュー出来る」といった強い自信があったと話した[2]

1986年11月、「蒼いメモリーズ」でソロデビュー[5]。このソロデビューを機に、それまでのフジテレビの預かりからホリプロ所属のタレントとなる。デビュー曲はアニメ『タッチⅣ』挿入歌に起用されたこともありヒット。オリコンチャートにおいて初登場3位と好成績であった。しかし、おニャン子クラブからソロデビューしたメンバーの楽曲はもれなく1位もしくは2位であったため「私だけ3位」と落ち込んだという。事務所のスタッフは「百恵でもデビュー曲はベスト3入りできなかった」と慰めたが納得できず、「悔しくて泣いちゃいました」と後年、述懐している[2]

1987年4月、おニャン子クラブを卒業。卒業生同士では、特に仲の良かった立見里歌とは「とても優しい子だけど、嫌なことは嫌だとはっきり言わなきゃダメよ」との言葉を、また高井麻巳子とは「とにかく女の子らしくて羨ましかった」との言葉をそれぞれ贈り合っていた。同年8月の番組終了時までゲストで数回出演し、おニャン子クラブの解散コンサートにも出演した。

1989年頃はタレント活動と並行し、カーレーサーとして活動したことがあった[注 1]。内海はジムカーナで国内A級ライセンス[6]を取得するため、「高速道路の運転をしたこと」[注 2]・「レーシングカートの練習を多く積み重ねたこと」を後年に受けたインタビューで述懐している[7]

1993年写真集『from PHOENIX』を発売し[8]ヘアヌードを披露したが、同年から芸能活動を休止した[注 3][7]。休止期間中は情報技術(IT)や語学の勉強をし、それを活かした仕事に就いていた[7]

2015年、芸能活動を再開[7]2017年3月25日新宿LOFTで開催された『NEXT歌謡フェス2017』に出演し、立見と共演した[注 4][7][9][10][11]。同年10月24日、声の不調の原因となっていた「声帯にへばり付いた血液の固まり」を摘出する手術を受けた[12][13]

2018年12月1日、娘がライブアイドルゆりあんぬXTEEN、平成墓嵐メンバー)であることを明かした[14][15]。ゆりあんぬには生後7か月の頃から英才教育を受けさせ、小学校から大学まで一貫校に通わせるなど、内海曰く「蝶よ花よ」と育ててきた。ゆりあんぬは小学生までは優等生だったが、本人は「猫被ってた」と語り、自我が芽生えた思春期の頃から派手な行動をとるようになった。大学の入学式にもツインテールのピンクの髪という姿で出席したため、内海は母として入学式に行く気もなかったという。また、美容整形も繰り返し受けており、内海は自分の意に反した行動をとり続ける娘を見て見ぬ振りをして来たと話している。そして、大学を中退、アイドルとしてデビュー。「平成墓嵐」というグループで活動していることに対し、内海は「殴り込みにいきたいくらい嫌ですよ」と話している[16]

2021年9月16日パニック障害と診断されたことを公表している[17][18]。翌年(2022年)にインタビューを受けた内海は「10年以上前から症状があったが、心臓の検査を何回も受けても異常は無かった」・「救急搬送された際、内海を診察した医師は『パニック障害』と診断したが、病気の事をブログで公表することをためらった」(※ブログで公表した日は前述)・「発作が起きた時は家族が『大丈夫だから、(パニック障害で)死なないから』と言って(内海の背中を)マッサージして落ち着かせてくれた」と話している[注 5][19]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル c/w オリコン最高位
キャニオン・レコード
1st 1986年11月7日 蒼いメモリーズ
作詞:売野雅勇
作曲:芹澤廣明
編曲:芹澤廣明
好きで、ごめん。
作詞:売野雅勇
作曲:芹澤廣明
編曲:芹澤廣明
3位
2nd 1987年2月25日 20歳
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
桜が手を振る前に
(内海和子 with おニャン子クラブ)
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
15位
3rd 1987年5月14日 もう君の名前も呼べない
作詞:秋元康
作曲:国安わたる
編曲:松任谷正隆
波の上の小さな太陽
作詞:吉澤久美子
作曲:佐藤隆
編曲:松任谷正隆
18位
ポニーキャニオン
4th 1989年7月21日 風はエンドレスストーリー
作詞:田口俊
作曲:松任谷正隆
編曲:松任谷正隆
そんなふうに見つめないで
作詞:田口俊
作曲:松任谷正隆
編曲:松任谷正隆

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル オリコン最高位
キャニオンレコード
1st 1987年3月21日 LUNCH TIME 11位

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 2002年3月19日 MY これ!クション 内海和子・BEST
2nd 2010年5月19日 Myこれ!Lite 内海和子

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ 収録作品
蒼いメモリーズ フジテレビ系放映アニメ『タッチ』挿入歌 シングル「蒼いメモリーズ
20歳 フジテレビ系『夕やけニャンニャン』テーマソング シングル「20歳」
風はエンドレスストーリー ニッサン・ザウルスカップ・レース・イメージソング シングル「風はエンドレスストーリー」

出演[編集]

バラエティ[編集]

テレビドラマ(子役時代)[編集]

テレビドラマ[編集]

映画(子役時代)[編集]

  • 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972年、松竹/森崎東監督) - 和枝 役[27]

映画[編集]

書籍[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1989年に発売した内海の楽曲、『風はエンドレス・ストーリー』は『ニッサン・ザウルスカップ』のイメージソング(#タイアップ曲参照)。内海はNISMOのワークスドライバーとしてカーレースに参加していた。
  2. ^ カーレーサーとして活動する前は高速道路で運転したことがなかった[7]
  3. ^ 内海は2017年に受けたインタビューで「おニャン子クラブ卒業後も色々と芸能活動を続けたが、方向性が定まらなかった」(出典を基に再構成)・「芸能人をやめたかったのではなく一度リセットしようと思って芸能界を離れたので、いつかは戻ろうと思っていました」(原文ママ)と語っている。
  4. ^ 内海のブログには「立見・おとといフライデー(※小島みなみ紗倉まなで結成された音楽ユニット)・姫乃たまと共演して『セーラー服を脱がさないで』を歌った」という記述もある。
  5. ^ (※内海のコメントは出典を基に再構成)

出典[編集]

  1. ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1987年7月3日号 p.42
  2. ^ a b c d e f g h 昭和40年男(クレタパブリッシング)2020年4月号 p.112-115 本人のインタビューより。
  3. ^ 名曲散歩/沖田浩之『E気持』コーラスに元おニャン子が参加していた”. SmartFLASH. 光文社 (2021年2月21日). 2022年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月23日閲覧。
  4. ^ 元おニャン子の内海和子が無事を報告 大規模土石流発生の熱海市在住」『日刊スポーツ』、2021年7月3日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2022年9月25日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.92.
  6. ^ 国内Aライセンス”. JAF MOTOR SPORTS. 日本自動車連盟. 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 村田穫 (2017年5月1日). “おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-(9) 内海和子”. HUSTLE PRESS. 2023年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月3日閲覧。
  8. ^ 内海和子 ヌード写真集 「 from PHOENIX 」 初版 帯付き”. 日本の古本屋. 東京都古書籍商業協同組合. 2023年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月31日閲覧。
  9. ^ NEXT歌謡フェス2017 Vol.1 03/25 新宿LOFT”. NEXT歌謡フェス2017. 2023年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月7日閲覧。
  10. ^ 皆様!ありがとうございました”. 内海和子オフィシャルブログ「Many Happy Returns」. Ameba Blog. 2023年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。
  11. ^ ありがとう、大好き”. 立見里歌オフィシャルブログ「Mahalo ありがとう」. Ameba Blog. 2023年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。 “(※本文に内海の名は記されていないが、内海と立見のツーショット写真がある)”
  12. ^ 元おニャン子・内海和子、声帯手術 成功ものどに激痛「今日から数日、沈黙療法」」『スポーツ報知』、2017年10月24日。2017年12月9日閲覧。オリジナルの2017年10月26日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 声帯の手術をしました”. 内海和子オフィシャルブログ「Many Happy Returns」. Ameba Blog (2017年10月24日). 2017年12月9日閲覧。
  14. ^ 元おニャン子13番内海和子の娘がアイドルになった」『日刊スポーツ』、2018年12月1日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2022年10月23日時点におけるアーカイブ。
  15. ^ FLASH 2019年5/7・14・21合併号』光文社、2019年4月23日、100頁。 
  16. ^ 元おニャン子・内海和子 驚きの“エリート教育”も…娘は大学中退し地下アイドルデビュー「嫌ですよ」」『スポーツニッポン』、2020年7月17日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2023年5月24日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ パニック障がい公表の元おニャン子内海和子「上手に付き合って気長に治療」」『日刊スポーツ』、2021年9月20日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2022年10月4日時点におけるアーカイブ。
  18. ^ 久しぶりに心療内科へ。”. 内海和子オフィシャルブログ「Many Happy Returns」. Ameba Blog (2021年9月16日). 2021年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  19. ^ 後藤直子 (2022年7月12日). “「大丈夫だから、死なないから」元おニャン子・内海和子、10年に及ぶパニック障害の日々”. ORICON NEWS. オリコン. 2022年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  20. ^ ゆりあんぬ、整形しまくりを反省 元おニャン子の母はショック”. マイナビニュース. マイナビ (2020年4月11日). 2022年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  21. ^ 元おニャン子 地下アイドル娘が整形にはまり困惑「ヒートアップするじゃないですか」」『デイリースポーツ』、2020年7月17日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2022年5月20日時点におけるアーカイブ。
  22. ^ 元おニャン子の愛娘が整形モンスターに! アイドル時代も「普通に合コン行ってました」:じっくり聞いタロウ”. テレ東プラス. テレビ東京 (2020年10月30日). 2023年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  23. ^ 西部警察 PART-I 第50話 少女の叫び”. ビデオマーケット. 2023年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月31日閲覧。
  24. ^ 石原プロモーションDVD&Blu-ray公式: “【1980年9月28日】放送 西部警察 第50話『少女の叫び』”. Twitter. 2023年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月7日閲覧。
  25. ^ 渡哲也さん”. 内海和子オフィシャルブログ「Many Happy Returns」. Ameba Blog (2020年8月15日). 2021年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。 “との共演エピソードをつづったものであるが、内海が演じた少女の役名は記されていない(※「少女役」と表記)。”
  26. ^ おニャン子クラブin月曜ドラマランド BOX1”. 映像リリース一覧. ポニーキャニオン. 2022年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  27. ^ 女生きてます 盛り場渡り鳥”. WEB ザテレビジョン. 女生きてます 盛り場渡り鳥のキャスト. ザテレビジョン. 2023年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月31日閲覧。

外部リンク[編集]