内田忠男

内田 忠男
生誕 (1939-06-09) 1939年6月9日(84歳)
フィリピンの旗 フィリピン米領マニラ
教育 慶應義塾大学経済学部
職業 国際ジャーナリスト
公式サイト 内田忠男オフィシャルサイト
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内田 忠男(うちだ ただお、1939年昭和14年〉6月9日 - )は、国際ジャーナリストである。マニラ(当時:米領フィリピン群島)出身[1]日本国際フォーラム政策委員[2]

経歴[編集]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

報道・情報ワイドショー番組

期間 番組名 役職
1980年4月 1983年3月 BIG NEWS SHOW いま世界はテレビ朝日 ニューヨークキャスター
1983年4月 1985年9月 TVスクープ(テレビ朝日)
1985年10月 1988年9月 ニュースステーション(テレビ朝日)
1988年10月 1991年3月 内田忠男モーニングショー(テレビ朝日) メイン司会
1991年4月 1993年3月 ステーションEYE(テレビ朝日) メインキャスター
1993年4月 1994年9月 ザ・ニュースキャスター(テレビ朝日) ニューヨークキャスター
2006年4月 2011年8月 ぴーかんテレビ東海テレビ 木曜日コメンテーター
2011年3月 どですか!メ~テレ 金曜日コメンテーター
2010年3月 中京テレビNewsリアルタイム中京テレビ 木・金曜日コメンテーター
2006年7月 2009年9月 ちちんぷいぷい毎日放送 水曜日コーナー『ぷいぷい顧問団』担当
2006年10月 2007年3月 エミエミ(中京テレビ) レギュラーコメンテーター
2010年4月 2011年3月 news every. 中京ローカルパート(中京テレビ) 木・金曜日コメンテーター
2011年4月 2016年3月 ドデスカ!(メ~テレ) 金曜日コメンテーター
2016年3月2日 情報ライブ ミヤネ屋読売テレビ アメリカ大統領選スーパーチューズデー スタジオ生出演

その他

  • ぎふ最前線 〜くらしを見つめて〜(岐阜放送、年4回出演)

ラジオ番組[編集]

人物[編集]

  • ジャーナリスト歴54年。そのうち在米期間は、1975年以来通算26年余り(ニューヨークが大半で、ロサンゼルスにも5年間居住)。全米50州のうち、48州に足跡を記している。
  • 米国大統領選挙を間近に取材したのは、1976年のカーターVSフォード以来、東京で夕方ニュースのアンカーをしていた92年を除く毎回、2004年7回目。
  • キャリアの過半を占めた国際ジャーナリズムの活動では、G7、G8の主要国首脳会議(サミット)を計19回現地取材したのをはじめ、米ソ、米ロ首脳会談、全欧安保協力会議首脳会議、ダボス会議、米州首脳会議など、国際会議を取材した。
  • スポーツでは、米大リーグやPGA、LPGAなどゴルフの取材経験がある。大リーグ取材では、常にスコアカードを携えてゲームの成り行きを見ている。ゴルフでは、岡本綾子ら日本人ゴルファーのツアー優勝をたびたび取材したほか、テレビ朝日が全米オープンの放送権を取得した後、3年間解説を担当した。大相撲は、父親が春日野部屋のタニマチだったことから、小学校3年頃から本場所、稽古を見ており、前記読売運動部時代には支度部屋取材を担当、社会部時代には「横綱北の湖誕生」の記事を執筆。
  • 個人的な趣味として、ニューヨーク在住中は、メトロポリタン・オペラとNYフィルを定期的に観賞。とくにメッツのオペラは「スポンサー・パトロン」として登録されプログラムにも名前が掲載されている(2002〜2003シーズンまで)。ロサンゼルス在住中は、ロサンゼルス・フィルの定期会員でもあった。

著書[編集]

  • マンハッタン ブロードキャスティング(1989年、日経通信社)
  • 世紀末の日本と世界(1996年、近代文芸社)
  • 国際ビジネスの基礎知識百科(1989年、主婦と生活社=監修)など。
  • 雑誌、新聞などへの寄稿執筆も続けながら、講演多数。

出典[編集]

  1. ^ プロフィール 国際ジャーナリスト|内田忠男の世界 2023年12月1日閲覧
  2. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]