冬木

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冬木
町丁
地図北緯35度40分31秒 東経139度48分04秒 / 北緯35.675206度 東経139.800983度 / 35.675206; 139.800983
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 江東区
地域 深川地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口 2,827 人
 世帯数 1,591 世帯
面積[2]
  0.131744686 km²
人口密度 21458.17 人/km²
郵便番号 135-0041[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 江東
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東京都の旗 ウィキポータル 東京都
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冬木(ふゆき)は、東京都江東区町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示実施済区域。

地理[編集]

東京都江東区の西部に位置し、深川地域に属する。北で平野、東で木場、南で富岡、西で深川と隣接する。町域の北辺を仙台堀川、東辺を平久川と接する。また、北部と東部を都道が十字に走り、地区南辺を首都高速道路が走る。

河川[編集]

かつて存在していた河川[編集]

  • 油堀川 - 元禄12年(1699年)の開削。隅田川から佐賀町1丁目(現・佐賀2丁目)で分流して東に流れ、大島川西支川、平久川と交差して鶴歩町、島田町(現・木場2、3、5丁目)の間を流れて大島川東支川を横切り、木場掘に注いでいた割堀。延長約1.65km。佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、緑橋の南西には油商人会所もあり、油堀河岸・油堀と称された。 昭和49年(1974年)から埋め立てが始まり、昭和55年(1980年)首都高速9号線の開通により、「水路」から「陸路」へ生まれ変わる。かつての割堀であった高架下は、現在遊歩道や駐車場、駐輪場、公園などとなっている。油堀川には、和倉橋・永居橋・下之橋・千鳥橋・富岡橋(俗に閻魔堂橋)という橋が架かっていた。(冬木には、和倉橋・永居橋・下之橋が架かっていた)また、川に沿って「一色河岸」「油堀河岸」「数矢河岸」があった。

歴史[編集]

江東区は、江戸時代までは東京湾に注ぐ河川のデルタ地帯の一部で、亀戸・隅田川周辺の一部を除く場所以外は、海面と散在する小島があるだけであった。発展は、江戸初期からの埋立てに始まる。摂津国(現在の大阪府・兵庫県の一部)からやってきた深川八郎右衛門をはじめとする7人が、森下周辺(現在の森下一丁目付近)の土地を開拓し、慶長元年(1596年)「深川村」を創立。

明暦3年(1657年)正月の大火(明暦の大火)後、幕府は火事に強い町づくりを計画し、密集した市街地の再開発、拡張に努める。まず貯木場を永代島に集めて木場を創設し、元禄14年(1701年)に現在の木場に移転。さらに埋立て開発の進んだ深川地区には、武家屋敷や社寺を移し、正徳期(1711年~1716年)になると市街地に編入。

区内を縦横に走る河川を利用しての木材・倉庫業、米・油問屋の町として栄えた深川地区は、社寺の祭礼、開帳などの年中行事を中心に、江戸市民の遊興地としても賑わい、江戸文化の華を咲かせた。

冬木町の起立に就いては、「府内備考」119頁の、文政の町方書上によって、下記のように書かれており、宝永2年(1705年)12月17日、材木商冬木屋 上田彌平次政郷(冬木屋 三代目)が幕府より、木置場として下付された土地に、自身の屋号の「冬木」と名付けたのが冬木の始まりとされる。


一、町内起立之義は、深川寺町裏海邊新田永代新田右爾新田之内に御座候處高年代知不申、天野屋六左衛門と申者名代に而戸田土佐守様御抱地に有之、寛永2年酉4月冬木屋彌平次上田屋重兵衛右両人土佐守様御役人衆え御相對致同月天野屋六左衛門方より彌平次重兵衛両人之者買取所持仕候、其後右百姓地を家作並御年貢とも御免地に相成候義者先年此邊御築立御拂地に相成候節元木場町之内にも候や彌平次重兵衛木置塲に御買受仕入堀地形其他多分之入用相掛地所取立候處、元禄15年午9月右場所御用地に被召上為御代地同年12月17日洲崎波除際に、而壹ヶ所深川築地島崎町に而壹ヶ所右貳ヶ折代地に被下候處貳ヶ所共木置塲に不勝手に付洲崎に而被下候御代地之内1916坪6尺上上納仕只今之冬木地面御年貢並同前家作御改御免之町屋敷に被仰付被下置候様御代官伊奈半左衛門様へ奉願且彌平次家名を以「冬木町」と相唱申候、町名共寛永2年酉閏4月8日願之通被仰付前書兩人之者とも所持仕候處正徳3年巳閏5月松野壹岐守様坪内能登守様丹羽遠守様町御奉行之節より町方御支配に被仰付引續御公役相勤候古町同様之町屋敷に御座候

一、町内に戸田越前守様御所持町屋之義者享保2年戌11月中 上田屋喜平次と申者所持之町屋敷買求被成當時右御屋敷御所持之町屋敷ニ而北之方表京間66間貳尺5寸裏巾同92間4尺東之方裏行同74間5尺但入込有之西之方裏行同百壹間壹尺7寸有之此坪6800坪之場所御屋敷に相成人住居無御座候

一、町内惣間敷京間152間5尺

  西之方蛤町續

  東西え北之方表京間76間2尺5寸南之方裏巾同142間4尺5寸南北え東之方裏行京間101間1尺7寸西之方同129間

  同貳軒目

  東西え北之方表京間66間2尺5寸南之方裏巾同160間4尺

  南北え東之方裏行京間74間5尺7寸西之方同101間1尺7寸

  同三軒目

  東西え北之方表京間10間南之方同14間南北え東之方裏行京間30間西之方右同斷

但片側町往還道中相除申候

  四隣

  東之方龜久町深澤伊兵衛様御屋敷西之方蛤町南之方水野石見守様

  牧野越中守様御下屋敷御縄方大縄組屋敷北之方往還川を境東平野町西平野町

一、右者同所入船町汐見橋際西南之方に建有之當所の義も前々より組合見聞仕委細義者入船町より申上候

  川

  右者仙臺堀之川上に有之候

  一圦堀板橋貳ヶ所長貳間巾6尺

  右二ヶ所圦堀板橋之義とも寛永2年酉4月中 天野屋六左衛門より冬木屋彌平次上田屋重兵衛兩人え地面買請請候節より

  有來候圦堀橋之由申傳有之起立相知不申候

                                                   — 以上戌子書上

材木商冬木屋[編集]

材木商冬木屋初代上田五郎右衛門直次は、承応3年(1654年)、上州碓氷郡板鼻宿(現・群馬県安中市板鼻町)より江戸に出て、日本橋南茅場町で材木業商を営み、三代目冬木屋上田彌平次政郷が居を移し、その広大な屋敷を深川冬木町とした。


地名の由来[編集]

この地を材木置き場として江戸幕府から買い取った材木商冬木屋に由来する[5]

宝永2年(1705年)12月17日冬木屋彌平次政郷が幕府より、木置場として下付された土地に屋号の「冬木」と名付けたのが冬木の始まりである。

昭和15年(1940年)に深川和倉・深川亀久・深川亀住・深川大和(やまと)・万年などの各町が合併し「深川冬木1丁目・2丁目」及び「和倉2丁目」となった。

昭和16年(1941年)1月1日、「深川冬木町2丁目」と「深川和倉町2丁目」が合併し「深川冬木町」となり(※深川冬木町1丁目と深川和倉町1丁目は深川2丁目となった)、昭和44年(1969年)4月「冬木」へと改名した。

世帯数と人口[編集]

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[6]
1,778
2000年(平成12年)[7]
1,875
2005年(平成17年)[8]
2,295
2010年(平成22年)[9]
2,331
2015年(平成27年)[10]
2,815
2020年(令和2年)[11]
3,055

世帯数の変遷[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[6]
786
2000年(平成12年)[7]
893
2005年(平成17年)[8]
1,113
2010年(平成22年)[9]
1,174
2015年(平成27年)[10]
1,521
2020年(令和2年)[11]
1,643

学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[12][13]

番地 小学校 中学校
1〜18番 江東区立数矢小学校 江東区立深川第二中学校
19〜23番 江東区立明治小学校

交通[編集]

鉄道[編集]

鉄道は町域内を通っていない。東京メトロ東西線門前仲町駅木場駅半蔵門線清澄白河駅が最寄り駅となる。

バス[編集]

道路・橋梁[編集]

首都高速道路
都道

事業所[編集]

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]

  • 事業所数 : 151事業所
  • 従業員数 : 3,102人

事業者数の変遷[編集]

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[15]
131
2021年(令和3年)[14]
151

従業員数の変遷[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[15]
2,597
2021年(令和3年)[14]
3,102

施設[編集]

その他[編集]

日本郵便[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別)  令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月6日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 冬木の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 江東区の地名由来”. 江東区. 2020年6月15日閲覧。
  6. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  12. ^ 区立小学校の通学区域”. 江東区 (2023年4月1日). 2024年1月6日閲覧。
  13. ^ 区立中学校の通学区域”. 江東区 (2023年4月1日). 2024年1月6日閲覧。
  14. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  15. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  16. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

参考文献[編集]

  • 冬木町會『冬木沿革史』、大正15年
  • 冬木町会『由緒ある三百年の歴史』、平成25年
  • 深川七福神『深川七福神』、昭和51年
  • 東京都教職員組合江東支部『江東の歴史』、1987年
  • 東京江東ロータリークラブ 50周年記念実行委員会『深川今昔』、平成24年
  • 石塚青我『木場冬木家考』、昭和41年

外部リンク[編集]