副島道正

副島道正

副島 道正(そえじま みちまさ、1871年11月26日明治4年10月14日〉 - 1948年昭和23年〉10月13日)は、明治から昭和期の華族実業家IOC委員。伯爵

経歴[編集]

伯爵副島種臣の三男として東京に生まれる。1894年明治27年)イギリスケンブリッジ大学卒業[1]

1895年(明治28年)宮内省に入り東宮侍従式部官を務めた[1]。実業家としては京城日報社長、日英水電早川電力役員等を務めた。

1918年大正7年)7月10日から[2]1925年(大正14年)7月9日まで貴族院議員に在任[1]

1940年(昭和15年)に東京オリンピックを開催招致すべく、1934年(昭和9年)5月のIOC総会(アテネ)でIOC委員に選出。1935年(昭和10年)に杉村陽太郎とともにローマムッソリーニと会見し(インフルエンザ肺炎発症のため、予定より遅れて会談)、ライバル都市であったローマの立候補撤回を交渉し、翌1936年(昭和11年)の招致決定に功績を挙げた。

だがその2年後、日中戦争の長期化と第二次世界大戦につながる戦時体制の強化により、1940年東京オリンピック・札幌オリンピックの大会開催返上の中心人物となり、1938年(昭和13年)7月15日に閣議決定となった。

1936年(昭和11年)8月1月に補欠選挙で貴族院伯爵議員に再選され[3]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた[1]。墓所は青山霊園(1イ21-1)。

2021年(令和3年)に日本バスケットボール殿堂に選出。

親族[編集]

  • 副島道正の娘の順子(のぶこ)は小説家志賀直哉の弟である志賀直三と結婚した[4][5]
  • 副島道正の姉の貞子(ていこ)は諸岡正順に嫁して諸岡幸麿を産んだ[6]

栄典[編集]

位階
勲章等

演じた人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』27頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  4. ^ 『志賀直哉全集』第16巻、岩波書店、2001年、124頁。
  5. ^ 志賀直三『阿呆伝』新制社、1958年、232頁。
  6. ^ 諸岡幸麿『復刻版 アラス戰線へ』えにし書房、2018年、大橋尚泰「解説」28-31頁。
  7. ^ 『官報』第8321号「叙任及辞令」1911年3月21日。
  8. ^ 『官報』第1696号「叙任及辞令」1918年4月1日。
  9. ^ 『官報』第5733号「叙任及辞令」1946年2月25日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献[編集]

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
副島種臣
伯爵
副島(種臣)家第2代
1905年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)