動詞句

動詞句(どうしく、verb phrase または verbal phrase、略して VP)は、言語学において、最低1つの動詞を含む統語論的な単位。厳密な定義は理論により異なるが、句動詞phrasal verb)とは異なる概念である。

動詞句は、定形動詞英語版finite verb)から成る定形動詞句と、非定形動詞non-finite verb)から成る非定形動詞句に区別することができる[1]。しかし、理論によって、両者を認める立場(句構造文法)と、後者のみを認める立場(依存文法)がある。

句構造文法における動詞句[編集]

句構造文法では、動詞句は動詞または助動詞[2]主要部とするであり、単独の動詞でも動詞句として扱われる[3]。句構造文法においては、定形動詞句と非定形動詞句の両者が構成素として認められており、特に区別はされない。この定義における動詞句は、伝統的な文法で述部と呼ばれるものに相当する。

動詞句に含まれ得る要素にはその他、指定部specifier)・補部complement)・付加部adjunct)がある。

句構造文法における補部は、学校文法における補語とは異なる概念である[4]。動詞句にとっての補部とは、主要部動詞が要求するのうち、動詞句の内側に位置するものを指す[5]。補部の数と種類は主要部動詞の性格によって決まり、例えば名詞句形容詞句補文標識句英語版complementizer phrase、略してCP[6]などがその役割を担う。一方、付加部とは、それがなくとも文が成り立つ要素、すなわち修飾語句を指す。動詞句を修飾するものには、副詞句や接置詞句などがある[7]。ただし、接置詞句を項の1つとして要求する動詞もあるため(英語の put など)、接置詞句が必ずしも修飾語だとは限らない[8]

次の例文では、それぞれ、太字部分が動詞句である。

  1. Yankee batters hit the ball to win their first World Series since 2000.
  2. Mary saw the man through the window.
  3. David gave Mary a book.

例文1には、 hit the ball to win their first World Series since 2000 という動詞句が含まれている。

例文2の動詞句は、主要部動詞 saw と補部名詞句the man 、そして付加部前置詞句の through the window で構成されている。

例文3の動詞句は、主要部動詞 gave および同動詞が選択(要求)する Marya book という2つの補部名詞句によって成り立っている。

1980年代の半ばまたは後半頃までは、動詞句を持たない言語も存在すると考えられていた。そういった言語には、非階層的言語英語版と呼ばれる、かなり自由な語順を持つ言語(アボリジニの諸言語、日本語ハンガリー語など)や、基本語順がVSO型になっている言語(いくつかのケルト語派言語や大洋州諸語など)が含まれていた。現在は、生成文法の中にも、「全ての言語は動詞句を有する」と考える立場(原理とパラメータ説など)と、「少なくとも、いくつかの言語は、動詞句という構成素を持たない」と考える立場(語彙機能文法など)がある。

依存文法における動詞句[編集]

依存文法の場合、非定形動詞から成る動詞句を構成素として認める一方で、定形動詞を主要部とする構成素の存在を否定する。

  • 例(それぞれ、太字部分を比較)
    • 定形動詞から成る動詞句(?)の例:
      • John has finished the work.
      • They do not want to try that.
    • 非定形動詞から成る動詞句の例:
      • John has finished the work.
      • They do not want to try that.
      • They do not want to try that.

句構造文法では、hasdo は定形動詞なので、 has finished the workdo not want to try that は定形動詞句で、 John has finished the work. という文は、名詞句(John)+動詞句(has finished the work)という構造だと捉える。また、 has finished the workfinished the work という非定形動詞句を、 do not want to try thatwant to try that という非定形動詞句をそれぞれ含んでおり、さらに want to try thattry that という非定形動詞句を含んでいる。このように、1つの節の中に、複数の非定形動詞句が重なって存在することも可能だが、定形動詞句は1つしか存在しない。

一方、依存文法では、ルシアン・テニエールの1959年の著書を皮切りに[9]、そもそも文が主語+動詞句(述部)という2つの部分に分けられるという考え方に疑問を呈している。その代わり、文の主要部は定形動詞であり、主語さえもその従属部だと捉えていることから、定形動詞句という構成素は成り立たないのである[10]。しかし、依存文法でも非定形動詞句は構成素として認められており、それが複数重なることも可能だとされる。

両理論における構文木(ツリー図)は、次のように示される。左側(Constituency structure)が句構造文法[11]、右側(Dependency structure)が依存文法による解析である。「S」は sentence(文)、「N」は noun名詞))、「V」は verb(動詞)、「D」は determiner限定詞)の意。

Trees illustrating VPs

句構造ツリーでは、 has finished the work が1つのVP(動詞句)という、まとまった構成素として示されている。一方、依存構造ツリーでは、 has finished the work というまとまった構成素は存在しない。しかし、両者とも、 finished the work を1つのまとまった構成素として扱っていることがわかる。

依存文法では、「定形動詞句は構成素として成り立たない」という観点の裏づけとして、構成素テストを挙げる[12]。構成素テストとは、特定の語の連なりが構成素(名詞句、動詞句など)であるかどうかを確かめるために、それと同種の構成素だとわかっている語句を代入したり、同種の構成素で可能だとわかっている構文や統語移動英語版に適用してみたりする実験である。例えば、話題化分裂文、および返答文での省略answer ellipsis)といった構成素テストは「非定形動詞句は構成素として成り立つが、定形動詞句は構成素として成り立たない」ということを示唆している。

  • 例(” *”は非文、すなわち文法的に間違っていることを示す)
    • ...and finished the work, John (certainly) has. - 話題化
    • *...and has finished the work, John. - 話題化
    • What John has done is finished the work. - 擬似分裂文
    • *What John has done is has finished the work. - 擬似分裂文
    • What has John done? - Finished the work. - 返答文での省略
    • What has John done? - *Has finished the work. - 返答文での省略

以上、太字部分を比較してみると、非定形動詞句を1つのまとまりとして取り出す試みは成功しているが、定形動詞句を同じように取り出す試みは失敗に終わっている[13]

しかし、構成素テストとは、それに”合格”すれば構成素として認められ、不合格なら認められないという単純なものではない。構成素テストにはさまざまな種類があり、1つのテストに合格しても他のテストで不合格になったり、その逆になる場合もあるため、できるだけ多種のテストを用いて総合的な判断をすることが望まれる。なお、構成素テストを信頼度に応じてランク付けしている言語学者もいる[14]en:Constituent (linguistics)#Constituency testsも参照。

狭義の動詞句[編集]

「動詞句=厳密的に動詞的な要素のみ」とする考え方もある。その定義によると、動詞句と呼べるのは、主動詞・助動詞不定詞分詞のみであり[15]、目的語や修飾語などは動詞句に含まれない。

  • 例(太字が狭義の動詞句)
    • John has given Mary a book.
    • They were being eaten alive.
    • She kept screaming like a maniac.
    • Thou shalt not kill.

この狭義の動詞句という概念は、機能主義的理論(en:Functional theories of grammar)やヨーロッパの伝統的な文法書(reference grammar)において用いられている。これは、動詞句を構成素として解析する句構造文法とは相容れない考え方である。しかし、カテナを構文の基本単位として捉える理論(依存文法を含む)とは両立できる。また、これらの例における太字部分の動詞的要素は、述語論理における述語の捉え方とも矛盾しない。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 定形動詞とは、人称時制などによって形態が決まる動詞・助動詞を指し、英語では主動詞(助動詞が先行する場合は助動詞)がそれに当たる。一方、非定形動詞は、準動詞とも呼ばれ、人称・時制などに形態が影響されない動詞(不定詞分詞動名詞など)を指す。英語の場合、「における最初の動詞(助動詞含む)が定形動詞で、その他は非定形動詞」と考えるとわかりやすい。
  2. ^ Xバー理論には、英語の「will」などの助動詞は、主語名詞句と動詞句の両者を内包する屈折句inflectional phrase)の主要部(I)だとする考え方もある(en:X-bar theory#A full sentenceおよびen:Finite verb#Finite verbs in theories of syntaxを参照)。
  3. ^ 単独で動詞句を構成できる動詞は、学校文法における自動詞にほぼ相当するが、両者は完全に同じものではない。
  4. ^ 補語も補部も英語では complement だが、英語圏でもやはり、学校文法と言語学の間で定義が異なる。補語についてはen:Complement (linguistics)#Predicative subject and object complements、補部についてはen:Complement (linguistics)#Complements as argumentsを参照。
  5. ^ 主語(虚辞を除く)も項だが、句構造文法(Xバー理論など)では、主語名詞句は動詞句の外側にあると考えられている。しかし、主語項も補部だとする理論もある(en:Complement (linguistics)#Complements as argumentsを参照)。
  6. ^ CPには、that節の他、「for+名詞句+to+動詞句」という構造の句なども含まれる。
  7. ^ 関係節も付加部である。
  8. ^ en:Argument (linguistics)#Arguments and adjunctsを参照。
  9. ^ テニエールが非定形動詞句を構成素として否定している記述については、 Tesnière (1959:103-105) を参照。
  10. ^ 句構造文法(Xバー理論など)においては、深層構造英語版 では動詞句の中にある主要部動詞が、主要部移動英語版を経て、表層構造では主語名詞句の上の階層に現れるという考え方もある。
  11. ^ ここでは、句構造文法と依存文法の違いを示すため、比較的簡素なツリー図が用いられている。「S」の代わりに IPinflectional phrase)というラベルが使用されることがあり、さらにその上位構造として CPcomplementizer phrase)というラベルが使用されることもある。en:X-bar theory#A full sentenceen:Inflectional phraseen:Complementizerも参照。
  12. ^ 定形動詞句の存在を証明あるいは否定する根拠については、 Matthews (2007:17ff.)、 Miller (2011:54ff.) 、 Osborne et al. (2011:323f.) を参照。
  13. ^ 定形動詞句が構成素として成立するということを証明する実験は、時として定形動詞句と非定形動詞句を混同してしまう結果を招くことがある。例えば、 Akmajian and Heny (1980:29f., 257ff.) 、 Finch (2000:112) 、 van Valin (2001:111ff.) 、 Kroeger (2004:32ff.) 、 Sobin (2011:30ff.) を参照。
  14. ^ April 22, 2006 Language Log posting. Eric Baković. カリフォルニア大学サンディエゴ校.
  15. ^ 例えば、Klammer and Schulz (1996:157ff.) が、この定義を用いている。

参考文献[編集]

  • Akmajian, A. and F. Heny. 1980. An introduction to the principle of transformational syntax. Cambridge, MA: マサチューセッツ工科大学出版局.
  • Finch, G. 2000. Linguistic terms and concepts. New York: St. Martin's Press.
  • Klammer, T. and M. Schulz. 1996. Analyzing English grammar. Boston: Allyn and Bacon.
  • Kroeger, P. 2004. Analyzing syntax: A lexical-functional approach. Cambridge, UK: ケンブリッジ大学出版局.
  • Matthews, P. 2007. Syntactic relations: A critical survey. Cambridge, UK: ケンブリッジ大学出版局.
  • Miller, J. 2011. A critical introduction to syntax. London: continuum.
  • Osborne, T., M. Putnam, and T. Groß 2011. Bare phrase structure, label-less structures, and specifier-less syntax: Is Minimalism becoming a dependency grammar? The Linguistic Review 28: 315-364.
  • Sobin, N. 2011. Syntactic analysis: The basics. Malden, MA: Wiley-Blackwell.
  • Tesnière, Lucien 1959. Éleménts de syntaxe structurale. Paris: Klincksieck.
  • van Valin, R. 2001. An introduction to syntax. Cambridge, UK: ケンブリッジ大学出版局.

関連項目[編集]