博士家

博士家(はかせけ)とは、日本の古代から中世にかけて、家伝の学術などで世襲的に朝廷に仕えた家系を指す。

概要[編集]

博士とは、大学寮などで学生を指導・教授し、成績を試験する教官のことであり、『大宝令』の規定により、大学寮には明経博士音博士算博士・書博士が設置され、のちに令外官として紀伝博士明法博士が追加されている。陰陽寮にも陰陽博士天文博士暦博士漏刻博士典薬寮にも医博士針博士呪禁博士などが設置されているが、平安時代になり律令制が弛緩・変質するにつれ、延喜年間に菅原道真三善清行大江音人などが高位高官にのぼったように、文章博士の地位が向上してくるようになった。そして、この時期から諸官職に世襲の傾向が現れ、博士の出る家も各分野で固定化し、儒学の経典の学を家業として世襲されるようになってきた。

最も重要な仕事は、天皇や皇太子の侍読として儒教の経典の進講を行ったり、願文・詩文などの作成に携わったりすることであった。鎌倉時代末期に禅宗とともに宋学朱子学が日本に伝来するようになってからは、四書に関して部分的に朱子の新註を採用し、新旧の折衷をはかる試みも現れてきたが、どちらかと言えば旧註を重視するものであった。

平安時代末期から江戸時代初期にかけて、博士家としての体面を維持し、時代の文運の興隆に大きく寄与したのは、紀伝道(文章博士)では、菅原氏日野氏藤原南家藤原式家であり、明経道では中原氏清原氏がある。

時代とともに博士家の学問は柔軟さを失って衰退し、その存在の意義も薄れていった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]