名良橋晃

名良橋 晃
名前
愛称 ナラ
カタカナ ナラハシ アキラ
ラテン文字 NARAHASHI Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-11-26) 1971年11月26日(52歳)
出身地 千葉県千葉市花見川区
身長 170cm
体重 67kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1987- 1989 千葉英和高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 フジタ工業 85 (14)
1994-1996 ベルマーレ平塚 114 (7)
1997-2006 鹿島アントラーズ 196 (16)
2007 湘南ベルマーレ 1 (0)
通算 396 (37)
代表歴2
1994-2003[1] 日本の旗 日本 38 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月31日現在。
2. 2003年6月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

名良橋 晃(ならはし あきら、1971年11月26日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。元日本代表

長男の名良橋拓真サッカー選手J3テゲバジャーロ宮崎所属)。

略歴[編集]

小学校時代は地元千葉のサッカー少年団で、キックボクサーの元日本チャンピオン立嶋篤史とチームメートであった。

千葉英和高等学校を卒業後、1990年日本サッカーリーグ1部のフジタ(現:湘南ベルマーレ)に加入。同時に日本ユース代表にも選ばれ、サイドバックとしてのいろはをデットマール・クラマーに叩き込まれた。後にベルマーレでもチームメートとなる田坂和昭とはこの時以来の親友。

平塚では、左サイドバックの岩本輝雄と共に、攻撃型サイドバックとしてチームを牽引。1993年のジャパンフットボールリーグ1部ではサイドバックにも関わらずアシスト王となった。

1994年3月12日ヴェルディ川崎戦でJリーグデビューを果たし、同年9月27日オーストラリア戦で日本代表デビューを果たした[1]。しかし代表監督が加茂周に変わると代表からしばらく遠ざかった。

1997年、代表復帰のためにはJリーグで優勝を争うチームに所属する必要があると考え鹿島アントラーズに移籍。当時の鹿島には、名良橋が尊敬する右サイドバックの名手、ジョルジーニョ(鹿島ではボランチとしてプレイ)が在籍しており、それが移籍の決め手になった。

代表ではそれまでレギュラーだった柳本が怪我により長期離脱すると、名良橋はアントラーズで活躍を見せ目論見通り代表に復帰し、レギュラーに定着。 フランスW杯でも日本代表の右ウイングバックとして全3試合に出場した。 その後、監督がフィリップ・トルシエに変わると、右サイドは望月、伊東、明神、酒井、石井など、本来ボランチの選手を主に起用する形となり召集されることはなかった。 それでもJリーグでは好調なプレーを見せていたため、代表監督がジーコに変わるとさっそく召集される。しかしチーム立ち上げ当初のレギュラーだったが、ディフェンスラインの総入れ替え以降は代表に招集されなくなった。

2006年本田泰人と共に鹿島と来季の契約を更新しない事が発表された。現役引退を表明した本田と対照的に名良橋は現役続行を希望し、2007年2月に古巣ベルマーレに11年ぶりに復帰したが、同年7月末に契約満了により退団。現役続行を希望し、新たな移籍先を探すも決まらずに2008年2月に引退を発表。今後は指導者を目指すことにし、2009年度よりSC相模原で、ジュニアユース総監督を務めることが決まった。

2008年3月13日JFAアンバサダーに就任。同月17日、元U-23日本代表の松原良香が主催するフェリーチェFCのコーチとして参加した。

引退後[編集]

2009年からはNHKCS日テレスカパーなどでサッカー解説を務めている。また、SC相模原ジュニアユースの総監督も務めている。サッカーのコメンテーターとして、あるいはバラエティ番組などで度々テレビ出演している。

選手時代の特徴[編集]

攻守に長ける右サイドバック。バルセロナオリンピック予選出場時には左サイドバックを務めていた[2]

所属クラブ[編集]

指導者経歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 フジタ 14 JSL2部 25 5 1 0
1991-92 8 25 3 3 0
1992 旧JFL1部 18 1 - 4 0 22 1
1993 17 5 5 0 1 0 23 5
1994 平塚 - J 39 2 1 0 4 0 44 2
1995 46 4 - 2 0 48 4
1996 29 1 14 1 3 0 46 2
1997 鹿島 32 17 1 7 1 5 0 29 2
1998 22 33 5 1 0 4 0 38 5
1999 2 J1 15 2 7 1 2 1 24 4
2000 26 3 7 1 4 0 37 4
2001 27 3 6 0 3 0 36 3
2002 25 1 8 0 5 0 38 1
2003 27 1 4 0 0 0 31 1
2004 12 0 4 0 0 0 16 0
2005 11 0 0 0 3 0 14 0
2006 3 0 0 0 0 0 3 0
2007 湘南 35 J2 1 0 - - 1 0
通算 日本 J1 310 23 59 4 35 1 404 28
日本 J2 1 0 - - 1 0
日本 JSL1部 0 0 -
日本 JSL2部 50 8 4 0
日本 旧JFL1部 35 6 5 0 5 0 45 6
総通算 396 37 68 4

その他の公式戦

  • 1997年
  • 1998年
    • XEROX SUPER CUP 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 1999年
    • XEROX SUPER CUP 1試合1得点
  • 2000年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2001年
    • XEROX SUPER CUP 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2002年
    • XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 鹿島 2 3 0
通算 AFC 3 0

その他の国際公式戦

個人タイトル[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 38試合 0得点(1994-2003)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1994 1 0
1995 9 0
1996 0 0
1997 13 0
1998 9 0
1999 0 0
2000 0 0
2001 0 0
2002 2 0
2003 4 0
通算 38 0

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]