和田義彦

和田 義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - 2016年3月25日)は、日本画家

2006年、イタリア人画家アルベルト・スギの作品との強い類似性が問題視され、芸術選奨文部科学大臣賞を正式に取り消されるなどの社会的な波紋を呼んだ。1950年に創設された芸術選奨の歴史の中で、賞取り消しは初めての事態であった[1]

略歴[編集]

  • 1940年 -三重県北牟婁郡引本町(現紀北町)で出生。
  • 1959年 -愛知県立旭丘高等学校美術科を卒業。東京芸術大学美術学部油画科に入学。
  • 1963年 -東京芸術大学美術学部油画科を卒業。
  • 1964年 -スルガ台画廊で初めての個展開催。
  • 1965年 -東京芸術大学大学院美術研究科を修了、研究副手となる。
  • 1966年 -国画会展 野島賞受賞。
  • 1967年 -国画会展 プールブー賞受賞。滝沢具幸・和田義彦二人展(スルガ台画廊)開催。
  • 1968年 -国画会会友に推挙される。
  • 1969年 -講談社フェーマススクールズにインストラクターとして勤務。(1971年まで)
  • 1970年 -国画会会員に推挙される。
  • 1971年 -イタリア政府給費留学生として渡伊、ローマ美術学校でジェンティリーニ教室で学ぶ。
  • 1972年 -ローマ国立中央修復学校に編入学、バルディ教授に師事して修復技術、古典技法を学ぶ。シモーネ・マルティーニ、セバスティアーノ・デル・ビオンボの作品等の模写を行う。
  • 1974年 -現代日本新人作家展(日本橋高島屋)出品。ローマ、ドーリア=パンフィーリ美術館でベラスケス作《インノケンティウス10世》の模写を行う。
  • 1975年 -マドリード、プラド美術館でルーベンス作《プロセルピーナの略奪》《聖ペドロ》ホセ・デ・リベラ作《聖バルトロメイ》の模写を行う。
  • 1976年 -マドリード、プラド美術館でホセ・デ・リベラ作《バコ女性像》の模写を行う。
  • 1977年 -東京に住む。
  • 1979年 -第1回明日への具象展(日本橋高島屋他)出品。(81、82年)
  • 1981年 -名古屋芸術大学美術学部助教授に就任。(1985年から教授)
  • 1982年 -開館記念 三重の美術・現代(三重県立美術館)招待出品。
  • 1983年 -帰国後初の個展・和田義彦個展(日本橋高島屋、7.28-8.2、名古屋丸栄スカイル、9.29-10.4)開催。具象現代展(上野松坂屋)出品。裸婦デッサン展(伊勢市・亀谷美術館)出品。
  • 1984年 -第1回日本青年画家展(日本橋三越)出品。(85年)和田義彦滞欧作と新作展(東京自由が丘・一誠堂画廊、10.26-11.5)開催。和田義彦個展(大阪・阪急百貨店、11.21-11.26)開催。炎の会展(名古屋・第一画廊)に佐々亮暎、鈴木五郎と出品。(96年まで)
  • 1985年 -和田義彦展(名古屋画廊、5.14-5.22)開催。
  • 1988年 -洋画の現在と未来展(企画・美術世界画廊、会場・ラフォーレミュージアム赤坂)出品。
  • 1990年 -サロン・ド・アブリル展(東京・日動画廊本店)出品。第27回太陽展(東京・日動画廊本店)出品。(以後05年まで毎年)第21回日動展出品。和田義彦展 この十年の歩み展 PartI(名古屋・ギャルリー・メチエ、12.8-12.18)開催。
  • 1991年 -和田義彦展 この十年の歩み展 PartII(名古屋・ギャルリー・メチエ、1.20-1.30)開催。パリ国立美術大学ピエール・キャロン教授からパリに招待される。以後数年間、同大学にアトリエを借りて毎年制作を行う。
  • 1992年 -和田義彦展(名古屋日動画廊11.20-11.28)開催。
  • 1993年 -和田義彦展(東京・日動画廊本店、9.14-9.21)開催。3人展(ローマ、グラディーバ画廊)出品。
  • 1995年 -藤田吉香、山本文彦とともに実行委員となって組織した赫風会展(東京大丸、京都大丸、大丸大阪心斎橋店)出品。
  • 1998年 -和田義彦展(東京・日動画廊本店、1.19-1.27、名古屋日動画廊、1.29-2.6)開催。雑誌「美術の窓」連載の芸苑雑事記(瀧悌三著)挿画原画展(銀座・風童門)開催。樹要会展(東京・日動画廊本店)出品。
  • 2000年 -両洋の眼21世紀の絵画展(日本橋三越他)出品。(以後05年まで毎年)和田義彦挿画原画展 森村誠一著「敵対狼群」(東京・日本橋高島屋(3.30-4.5)、大阪・なんば高島屋(4.12-4.18)名古屋・丸栄スカイル(5.3-5.9)開催。
  • 2001年 -和田義彦展、新作と森村誠一著作のための原画展(東京・日動画廊本店、10.31-11.9、名古屋日動画廊、2002.1.10-1.19)開催。
  • 2002年 -現代洋画選抜展(名古屋・松坂屋本店)出品。名古屋芸術大学教授を退官。
  • 2003年 -東郷青児美術館大賞25周年記念 25人の絵画展(損保ジャパン東郷青児美術館)出品。4つの視点展(サムホール画廊)招待出品。(04年)15の眼展(光画廊)出品。(04年)
  • 2004年 -桃花の会展(日本橋高島屋)出品。
  • 2005年 -両洋の眼新美術主義の画家たち展(日本橋三越他)出品、河北倫明賞受賞。秋山庄太郎・画家・一期一会展(日本橋高島屋)出品。和田義彦展開催(三重県立美術館、渋谷区立松濤美術館、茨城県つくば美術館)
  • 2006年5月 - イタリアの画家アルベルト・スギの作品との、作品類似疑惑が発生。
  • 2006年6月5日 - 芸術選奨文部科学大臣賞、安田火災東郷青児美術館大賞の取り消し。国画会退会。
  • 2008年 -パリ・セーヌ画廊で小品展開催。和田義彦展(東京セントラル美術館 11.24-11.30)開催。
  • 2010年 -円鳥洞画廊特別企画和田義彦展(円鳥洞画廊、10.12-22)開催。東北福祉大学特別任用教授。
  • 2011年 -2011年3月12日~4月3日、中国北京「Mizuma & One Gallery」にて「和田義彦展~挽歌~」開催。
  • 2012年 -ブータン王国芸術顧問に就任、国王及び王妃の肖像画を制作。
  • 2013年 -和田義彦展(東京・ギャラリーミハラヤ、5.6-5.18)開催。
  • 2014年 -「日本とブータンの子供たち絵画交流展」を、福島県、宮城県、東京都内の計5会場にて開催[2][3]
  • 2016年 - 死去。75歳没。

盗作疑惑[編集]

2006年、芸術選奨で文科大臣賞を授与された際、受賞理由の一つであった回顧展にイタリア人画家アルベルト・スギの作品(『何処へ?』1991年)と酷似したもの(『旅立ち』2002年)を出展しているとの投書が行われ、文化庁が調査を開始した[4]。和田はイタリア留学中の知人であったスギの作品と酷似している事を認めつつ、「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」「本人に了解を取っている」「スギ氏とは30年以上の深い交流を通じて、作品の創作においても啓発しあった」「(スギ作品と)形を同化して私なりの空間、造形性を技法と絵肌で盛り込み、独自の世界を創造。盗作ではない」「一部の作品はスギ氏へのオマージュ」等と弁解したが、アルベルト・スギは「明らかな盗作」「事実は調査が始まって知った」「和田氏は私の絵のファンだと思っていた。画家だとは知らなかった。制作における影響関係もない」「和田作品は私の完全なコピーで盗作」「複数の作品をひとつにまとめたような作品まで作っている」と和田を強く非難した[5][6]

6月1日、所属する国画会は和田に対して退会勧告を行い、特別企画展「国画会の画家たち」を開催していたメナード美術館は和田の作品を撤去した[7]。6月5日、文部科学省は和田への文科大臣賞・芸術選奨受賞の撤回を決定した[8]。これに先立って和田が希望していた受賞の自主返上については、「返上では受賞履歴は残る」として拒否した[8]

参考文献一覧[編集]

自筆文献
  • 「ウェールズ美術展によせて」/『朝日新聞』(名古屋本社版)/1982年8月3日
  • 「雨の日のローマ スカルコ氏のアトリエで」/『ジョルジョ・スカルコ展』パンフレット ガレリアフォルニ/1986年4月5日
  • 「ヨーロッパ美術学校事情 環境や体験重視の教育」/『中日新聞』(夕刊)/1998年5月26日
  • 「留学体験—心の旅路—」/『信濃毎日新聞』/1992年4月9日
  • 「大きな愛に彩られた鴨居玲さんとチータ 没後10周年記念展によせて」/『繪』日動出版/1995年5月1日初夏号
  • 「米倉守・森村誠一・和田義彦鼎談会」/『十勝毎日新聞』/2000年4月4日
  • 「欧州美術学校事情」/『美じょん新報』/2000年4月20日
  • 「名古屋の色彩を語る」/中京テレビ/1985年6月3日
  • 「解説」/(森村誠一著『腐蝕の構造』)ハルキ文庫/1998年3月18日
  • 「解説」/(森村誠一著『空洞星雲』)中央公論新社/1998年3月18日
  • 「解説」/(森村誠一著『人間の証明』)ハルキ文庫/2000年3月18日
  • 「中国への道」/『和田義彦展~挽歌~』中国北京Mizuma & One Galleryカタログ/2011年3月12日
展覧会図録
  • 『和田義彦展』/1983年/日本橋高島屋、名古屋丸栄スカイル
  • 『和田義彦滞欧作と新作展』/1984年/一誠堂画廊/米倉守「和田義彦に巣食うもの」
  • 『和田義彦個展』/1984年/阪急百科店
  • 『和田義彦—この10年の歩み展』/1990年/ギャルリー・メチエ/大渓紀男「コレクター随想」
  • 『和田義彦展』/1992年/名古屋日動画廊/森村誠一「渦の引力—和田義彦の作品世界」/滝悌造「和田義彦—華麗に上昇気流に乗る」
  • 『和田義彦展』/1998年/日動画廊/滝悌造「途上性の美学—和田義彦展画説」/森村誠一「この犇めき立つもの—和田義彦展によせて」
  • 『和田義彦挿絵原画展 森村誠一著「敵対狼群」』/2000年/日本橋高島屋、なんば高島屋、丸栄スカイル/森村誠一「和田義彦『成吉思汗』挿絵個展開催」/滝梯造「和田義彦君の挿画展を祝するの記」/和田義彦「挿画を描いて」
  • 『和田義彦展—森村誠一著作のための原画』/2001年日動画廊/滝悌造「再び『途上性の美学』’01—和田義彦展画賛」/森村誠一「和田義彦氏個展によせて」
  • 『第25回安田火災東郷青児美術館大賞記念—煌めく刻—和田義彦展』/2002年/損保ジャパン東郷青児美術館/米倉守「果てしなき自叙伝—空虚が張り詰まっている―」/森村誠一「和田義彦氏作品に寄せて―運命の窓」/和田義彦「西洋から渡る風」
  • 『ドラマとポエジーの画家~和田義彦展』/2005年/三重県立美術館、渋谷区松濤美術館、茨城県つくば美術館/加藤貞雄「和田義彦の絵」/毛利伊知郎「ドラマとポエジーの世界」/舟木力英「和田義彦の芸術—主題とモティーフ」
  • 『和田義彦展』/2008年/東京セントラル美術館/森村誠一「和田義彦再起個展に寄せて」
  • 『和田義彦展~挽歌~』/2011年/中国北京Mizuma & One Gallery/森村誠一「和田北京での挑戦」/和田義彦「中国への道」
個展評、展覧会紹介記事、和田義彦論
  • [無署名]「形而上的な世界 和田義彦個展」/『新美術新聞』/1983年7月25日
  • [無署名]「ゆうかんさろん・故郷の個展に胸弾む」/『中日新聞』(夕刊)/1983年9月24日
  • 加藤龍明「寂しさが漂う画面」/『中日新聞』(夕刊)/1983年9月30日
  • 米倉守「独特の“不完全の美”」/『朝日新聞』(夕刊)/1984年10月31日
  • 滝悌造「和田義彦展」/『日本経済新聞』(夕刊)/1984年11月31日[要検証]
  • 加藤龍明「量感のある絵肌、不思議な迫力」/『中日新聞』(夕刊)/1985年5月28日
  • 小川潔「欧風技法の個展油絵」/『名古屋タイムズ』(夕刊)/1989年12月14日
  • 有海千尋「人間“主役”の作品が目立つ」/『中日新聞』(夕刊)/1990年12月11日
  • [無署名]「噴き出す心象風景 和田義彦展」/『毎日新聞』(夕刊)/1990年12月14日
  • 有海千尋「〈作者独自〉ドラマッチックな世界」/『中日新聞』(夕刊)/1992年11月19日
  • [無署名]「風景や人物中心、魅力作品が並ぶ」/『岐阜新聞』(夕刊)/1992年11月23日
  • [無署名]「話題の展覧会 和田義彦展」/『美術の窓』/1993年9月号
  • 朝倉摂「赤い門 個展によせて」/『繪』/1993年7月1日夏号
  • 滝悌造「展覧会REVIW『〈和田義彦展〉を前に』」/『美術の窓』/1998年1月号
  • 米倉守「肉体に裏付けられた芸術の天分」/『月刊美術』/1998年1月号
  • 常盤茂「和田義彦 ドラマの誕生」/『アート・トップ』/1997年12月号・1998年1月号
  • [無署名]「研鑽を積んだ芸術世界 和田義彦展」/『月刊ギャラリー』/1998年1月号
  • 滝悌造、米倉守対談展評「せ・ら・ゔ・ぃ45」/『美術の窓』/1998年4月号
  • 井上昇治「均整を崩し固定せぬ生成変容のイメージ」/『中日新聞』(夕刊)/1998年22日
  • 小川潔「作家と30分—内面をえぐる―人物像」/『名古屋タイムズ』(夕刊)/1998年2月2日
  • 栗山文子「アートレポート『和田義彦挿画原画展』」/『美術の窓』/1998年4月号
  • 常盤茂「森村誠一作《敵対狼群》和田義彦挿画展/『美術の窓』/2000年3月21日
  • 小森佳代子「展覧会REVIW『和田義彦 東洋回帰への旅』」/『美術の窓』/2000年4月号
  • [無署名]「小説家と画家が共鳴する勇壮な世界—森村誠一作《敵対狼群》和田義彦挿画展」/『月刊ギャラリー』/2000年4月号
  • 篠原弘「アートレポート『和田義彦挿画原画展』」/『美術の窓』/2000年6月号
  • [無署名]「和田義彦展—新作と森村誠一著作のための原画」/『新美術新聞』/2001年10月21
  • 小森佳代子「展覧会REVIW『美意識の絵画』」/『美術の窓』/2001年11月号
  • 米倉守「たしかな肉眼の視覚」/『月刊美術』/2001年11月号
  • 滝悌造、米倉守対談展評「せ・ら・ゔ・ぃ82」/『美術の窓』/2002年1月号
  • 小森佳代子「2002年下半期ダイジェスト『和田義彦展 煌めく刻』」/『美術の窓』/2002年8月号
  • 滝悌造「劇性と途上性の美学」/『新美術新聞』/2002年9月21日
  • [無署名]「話題の展覧会『和田義彦展 煌めく刻』」/『美術の窓』/2002年10月号
  • 石川健次「色彩が奏でるリズム 和田義彦展によせて」/『月刊美術』/2002年10月号
装丁・表紙絵・挿画
  • 滝悌造著『芸苑雑記事』生活の友社1998年1月20日刊[表紙絵、カット24点]
  • 森村誠一新聞連載小説挿画

『敵対狼群』学芸通信社1998年7月〜1999年11月/『正義の基準』三友社2001年3月〜2002年6月/『使命の条件』2006年

  • 森村誠一雑誌連載小説挿画

「法王庁の帽子」『小説宝石』2000年11月/「誉生の証明」『小説宝石』2000年3月〜

  • 森村誠一著作表紙絵
  • 森村誠一著『凄愴圏』中公文庫1998年11月4日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『異常の太陽』中公文庫1999年3月18日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『挫折のエリート』中公文庫1999年5月3日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『白昼の視線』中公文庫1999年10月18日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『煌めく誉生』講談社2000年3月20日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『棟据刑事の黙示録』ハルキ文庫2000年7月18日刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『棟据刑事の一千万人の完全犯罪』2006年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『誉生の証明』2006年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『レッドライト』2006年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『棟据刑事の凶縁』2006年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『夜明けのコーヒーを君と一緒に』2007年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著『人間の天敵』2008年刊[表紙絵]
  • 森村誠一著「美術エッセイ」挿画『繪』日動出版
  • 「絵心の位置」2000年3月1日春号
  • 「私の肖像画」2000年5月1日初夏号
  • 「予感のきらめき」2000年7月1日夏号
  • 「名作の借景」2000年9月1日秋号
  • 「生涯の画」2001年1月1日新春号
  • 「運命の出会い」2001年3月1日春号
  • 「居候の形見」2001年5月1日初夏号
  • 「父の車窓」2001年7月1日夏号
  • 「最後の一店」2001年9月1日秋号
  • 「無名の約束」2001年11月1日冬号
  • 「死蔵された名作」2002年1月1日新春号
  • 「人類に対する挑戦」2002年3月1日春号
  • 「無念の伝説」2002年5月1日初夏号
  • 「ただ一人の異性」2002年9月1日秋号
  • 滝悌造著『芸苑雑記事』『美術の窓』生活の友社1995年4月〜[挿画]
  • 滝悌造、米倉守対談展評「せ・ら・ゔ・ぃ」『美術の窓』
  • 生活の友社1998年7月〜2002年1月[カット]
  • 『不二 中高版』(財団法人日本書道教育学会 1984年6月号)[表紙絵]
  • 『不二 中高版』(財団法人日本書道教育学会 1984年7月号)[カット]
  • 「銀の町タスコへ―メキシコにて 高良留美子誌」『朝日新聞』(夕刊)1984年12月1日[カット]
  • 「コラム」『中日新聞』1986年6月8日[カット]
  • 『繪』日動出版1998年3月1日春号目次[カット]

出典[編集]

  • 展覧会カタログ『ドラマとポエジーの画家 和田義彦展』三重県立美術館、渋谷区松濤美術館、茨城県つくば美術館 2005年
  • 展覧会カタログ『和田義彦展』東京セントラル美術館 2008年

脚注[編集]

  1. ^ 『毎日新聞』2006年6月5日。
  2. ^ 和田義彦 公式facebook(2014年4月28日)”. www.facebook.com. 2019年12月22日閲覧。
  3. ^ 和田義彦「幸せの国ブータンを描く」:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape”. 美術館・アート情報 artscape(2013年06月15日号). DNP大日本印刷. 2019年12月22日閲覧。
  4. ^ 洋画家・和田義彦氏、作品酷似で文化庁に調査うけるサンケイスポーツ 2006年5月29日
  5. ^ サンケイスポーツ 2006年5月29日
  6. ^ 朝日新聞夕刊2006年6月6日
  7. ^ 和田義彦氏の作品、展示中止に…メナード美術館 読売新聞 2006年6月2日
  8. ^ a b [1]ウィキニュース2006年6月9日

外部リンク[編集]