四ヶ所日出光

四ヶ所 日出光(しかしょ ひでみつ、? - 2016年7月15日[1])は、日本のラーメン職人。豚骨ラーメン九州に広めた立役者の1人とされる[2]

1950年ごろに久留米ラーメン発祥とも言える「三九(さんきゅう)」の屋台を継いだ四ヶ所は、すぐに店舗展開に乗り出し[2]八女市玉名市に支店を出した[3]1952年に国鉄高瀬駅(現・JR玉名駅)前に構えた玉名支店は熊本県初のラーメン店とも言われ、売り上げも良く、この店で修業した職人も多く、そういった職人が独立することで玉名市にはラーメン店が林立することになり、玉名ラーメンとして確立され地元以外からの人気も高い[2]。出店の翌年となる1953年に九州北部地方を大雨が襲い、熊本県では白川大水害が発生し、死者行方不明500人以上を出すのだが、これがきっかけて熊本ラーメンが誕生することになる[2]。水害で事業が頓挫した3人が噂を聞きつけ玉名の「三九」でラーメンを食し、感銘を受けてラーメン店を始めたのが熊本ラーメンの祖である[2]

開店から5年ほど経ったところで、四ヶ所は結婚を機に玉名の「三九」を閉じ、同じ頃に久留米の「三九」の屋台も引き払って佐賀市に移転する[2]。佐賀でも「三九」の影響を受けた職人や店は多く、佐賀ラーメンを産み出すことになる[2]

2016年7月15日、88歳で死去[1]。葬儀は同月17日に行われ、喪主は次女が勤めた[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c 「おくやみ」『佐賀新聞』、2016年7月17日。
  2. ^ a b c d e f g 熊本に広がった豚骨  四ケ所日出光さんの功績  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長”. 共同通信アグリラボ (2022年12月19日). 2024年1月29日閲覧。
  3. ^ 小川祥平「<13>偶然生まれた白濁スープ 来々軒(北九州市小倉北区)」『西日本新聞』、2015年4月2日。2024年1月29日閲覧。

関連項目[編集]