坂本スミ子

坂本さかもと スミ
坂本(さかもと) スミ子(こ)
キネマ旬報社『キネマ旬報』第302号(1962年)より
本名 石井 寿美子
いしい すみこ
生年月日 (1936-11-25) 1936年11月25日
没年月日 (2021-01-23) 2021年1月23日(84歳没)
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市東住吉区
死没地 日本の旗 日本熊本県熊本市
職業 女優歌手
主な作品
映画
楢山節考』(1983年)
テレビドラマ
琉球の風
音楽
「エル・クンバンチェロ」
「夢であいましょう」
「たそがれの御堂筋」
「夜が明けて」
 
受賞
毎日映画コンクール
女優助演賞
1966年エロ事師たちより 人類学入門
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坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂本、1936年11月25日 - 2021年1月23日)は、ラテン歌謡曲歌手俳優。愛称は「おスミ(さん)」。異名は「ラテンの女王」。

略歴[編集]

大阪府大阪市東住吉区出身。学生時代から発声をクラシックの木下保のもとで学び、プール学院高等学校を卒業する。プール学院時代の同級生に女優の三ツ矢歌子がいた。NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めもありラテン歌手として独立してデビューするが、当初は歌手として全く売れなかった。

1959年12月にアイ・ジョージと共にトリオ・ロス・パンチョス日本公演の前座歌手となり、「ラテンの女王」として一躍名が知れて人気歌手となる。宝とも子らと共に1961年から始まったテレビ番組『夢であいましょう』で主題歌を歌い、NHK紅白歌合戦に1961年から1965年まで5回連続出場した。

私生活では、映画評論家で人気司会者栗原玲児と結婚するも1966年に離婚。二人で離婚会見を行った際に、栗原が「坂本側に離婚原因がある」という発言を繰り返したことから、反論する意思は当初なかった坂本側が翌日になって反論した。セックスレスのほかに栗原側から「別れてくれ」と言われたことが離婚の原因で、結婚後に「栗原が同性愛者と気付いた[注釈 1]が、懸命に尽くしても結局無理だった」と語った。坂本は後年、皮膚科医石井禮次郎と再婚した。

1971年ソニーへ移籍後の第一弾である『夜が明けて』がヒットして歌手として復帰し、続いて『浮雲』もヒットする。1973年には再婚相手の石井との間の娘(石井聖子)を出産し、『幼い子供のように』を歌って第2回東京音楽祭で外国審査団賞を受ける。1976年ポール・モーリア作曲の『オーララ・オーサカ』が話題を呼ぶ。女優としても活躍し、ミュージカル『キャバレー』で1982年文化庁芸術祭優秀賞を受賞する。

映画では1964年から1967年大映田宮二郎主演の犬シリーズに助演し、今村昌平監督作品にたびたび招かれた。1966年の今村作品『"エロ事師たち"より 人類学入門』で毎日映画コンクール助演女優賞を受ける。1983年に代役で主演した『楢山節考』で、実年齢を30も上回る70代の老女を演じるにあたり、前歯を短く削り歯が抜けた演出をした役づくりが評価され、第36回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。カンヌ映画祭へ出品に消極的だった今村を、坂本とプロデューサーが説得して出品した経緯がある。この時は大島渚の『戦場のメリークリスマス』も出品されており下馬評で本命と言われていた。しかし、帰国直後「大麻取締法違反」で書類送検され、芸能界から干される結果を生んでしまった。

1993年から夫の母の後を継いで、熊本市の聖母保育園幼稚園・幼愛園で園長を務め[1]、歌手と女優業も続けていた。2009年5月に脳梗塞で倒れるが早期発見で3ヶ月後に舞台へ復帰した。

2016年に発売されたさだまさしによる永六輔追悼トリビュートアルバム「永縁」に参加して「夢であいましょう」を収録した[2]

晩年は坂本自身が「私が一番のファン」と自任する愛娘の石井聖子と競演が多かった。2008年に発売した坂本の50周年アルバムに「夢で逢いましょう」「親を眠らす子守唄」の2曲が二人のデュエットで収録されている。

2021年1月23日、脳梗塞のため、熊本市の病院で死去[3]。84歳没(享年85歳)。

NHK紅白歌合戦出場歴 [編集]

年度/放送回 曲目 対戦相手
1961年(昭和36年)/第12回 ア・ロ・ロコ 坂本九
1962年(昭和37年)/第13回 エル・クンバンチェロ 旗照夫
1963年(昭和38年)/第14回 テ・キエロ・ディヒステ ジェリー藤尾
1964年(昭和39年)/第15回 マラゲーニャ デューク・エイセス
1965年(昭和40年)/第16回 グラナダ フランク永井

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

ラジオ[編集]

  • 9時45分 坂本スミ子です→今日は坂本スミ子です(MBSラジオ)- 1967年8月1日 - 1968年6月29日

映画[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
テイチク
1 1960年 A面 黒い天使 福島正二 M.A.Maciste アロー・
ラテン・グループ
NS-216
B面 チャ・チャ・チャ・
フラメンコ[注釈 2]
M.D.Jesus ノーチェ・クバーナ
2 1960年 B面
[注釈 3]
ア・ロ・ロコ A.G.Campoy 中川昌 NS-272
3 1960年 B面
[注釈 4]
キエン・セラ[注釈 2] L.Demetrio 北野タダオ NS-294
4 1961年 B面
[注釈 5]
初恋のブルース 中野ただし S.Bechet NS-336
5 1961年 B面
[注釈 6]
パパはママにいかれてる 坂本スミ子 J.Moutet NS-360
Decca (USA)
6 1961年
10月
B面
[注釈 7]
Corazon De Melon C.Rigual 北野タダオ 31315[4]
テイチク
7 1961年 B面
[注釈 8]
パシート・デ・チャ・チャ・チャ 永田文夫 J.Smith 福井利雄 NS-406
8 1962年 A面
[注釈 9]
祇園でドドンパ 古川益雄 北野タダオ NS-414
東芝
9 1963年
1月
A面 夢であいましょう 永六輔 中村八大 JP-5178
B面 ブルー・ナイト・イン・ヨコハマ 永田文夫 R.M.Siegel 山木幸三郎
10 1964年
5月
A面 ウナ・セラ・ディ・トウキョー 岩谷時子 宮川泰 中川昌 TR-1081
B面 みんないや J.Albino 大塚善章
11 1965年
3月
A面 アンジェリータ M.Minerbi 小野崎孝輔 TP-1042
B面 砂に消えた涙 漣健児 P.Soffici
12 1965年
6月
A面 小さな言葉 栗原玲児 宮川泰 TP-1088
B面 秋のワルツ 永六輔 中村八大 中村二大
13 1966年
6月
A面 アリベデルチ・東京 岩谷時子 白石信 大沢保郎 TP-1287
B面 ある恋の物語 ホセ・しばさき C.E.Almaran 中川昌
14 1967年
1月
A面 戦争は知らない 寺山修司 加藤ヒロシ 大塚善章 TP-1391
B面 勇士の故郷 加藤ヒロシ
フィリップス
15 1967年
2月
A面 紫の雨 利根常昭 五十嵐謙二 FS-1
B面 たそがれの御堂筋 古川益雄 加藤ヒロシ
16 1967年
4月
A面 心のしずく 利根常昭 林一 FS-3
B面 大阪の夜はふけて 古川益雄 加藤ヒロシ
17 1967年
8月
A面 それもそうだわネ 大塚善章 FS-5
B面 キミが好き好き 万里村ゆき子 五十嵐謙二
18 1967年
10月
A面 北国の慕情 古川益雄 加藤ヒロシ 大塚善章 FS-7
B面 雨のボサノバ
19 1967年
12月
A面 朝も夜も 瀬戸内晴美 五十嵐謙二 FS-8
B面 ゆきずりの人 片桐和子 A.Pate
20 1968年
6月
A面 恋の天神さん 浜口庫之助 FS-10
B面 ぬれ色の町
21 1969年
4月
A面 私もうイやよ 岩谷時子 J.Albino 利根常昭 FS-19
B面 時計 永田文夫 R.Cantoral
CBS・ソニー
22 1971年
10月21日
A面 夜が明けて なかにし礼 筒美京平 SONA-86203
B面 待ちわびて
23 1972年
5月21日
A面 浮雲 SOLA-25
B面 ごめんなさいあなた
24 1972年
10月21日
A面 女と言う名の汽車 筒美京平 馬飼野康二 SOLA-52
B面 京都木屋町情話 筒美京平
25 1973年
2月21日
A面 郷愁 SOLB-3
B面 忘れてください
26 1973年
4月21日
A面 幼い子供のように 千家和也 馬飼野康二 SOLB-21
B面 あなたと並んで幸せな私 池田幾三 大塚善章 青木望
27 1974年
6月1日
A面 あなたの影 なかにし礼 都倉俊一 飯吉馨 SOLB-145
B面 あなたがいない日
28 1975年
8月21日
A面 離婚 第一章 山口洋子 中村泰士 馬飼野俊一 SOLB-296
B面 離婚 第二章
フィリップス
29 1976年
12月20日
A面 オー・ラ・ラ・オーサカ なかにし礼 P.Mauriat 大野雄二 FS-2040
B面 たそがれの御堂筋'77 古川益雄 加藤ヒロシ
30 1977年
8月25日
A面 おおさか音頭 安永栄次 服部良一 高田弘 FS-2067
B面 わたしのまち みんなのまち大阪 吉川昌英
トリオレコード
31 1979年
10月5日
A面 踊って乾杯 山崎ハコ 馬飼野康二 3B-166
B面 さよならの前に 尾中美千絵 J.Renard
ラジオシティ
32 1983年
4月5日
A面 親を眠らす子守唄 なかにし礼 川口真 鈴木宏昌 RD-4066
B面 春待ちかぞえ唄

アルバム[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 坂本スミ子のラテン・リサイタル(1961年 NL-1126)
  • 坂本スミ子は歌う ラテン・ヒット・メロディー集[注釈 10](1964年 TP-7004)
  • たそがれの御堂筋 坂本スミ子はうたう(1967年 FS-5016)
  • おスミとボサ・ノバ[注釈 11](1969年 FS-8036)
  • ファースト・ゴールデン・アルバム 夜が明けて(1972年3月21日 SOLJ-7)
  • ゴールデン・アルバム 女と言う名の汽車(1972年9月21日 SOLJ-35)
  • ビバ!ハリウッド(1975年8月21日 3B-1026)
  • 夢で逢いましょう(2008年2月22日 AZRC-1)

主な編集盤[編集]

  • ドドンパ誕生[注釈 12](1961年)
  • ギフトパック・シリーズ39 坂本スミ子
  • GOLDEN☆BEST/坂本スミ子(2003年7月21日)
  • おスミのラテン・ヒッツ(2003年8月21日)
  • 定番ベスト(2004年)
  • 情熱のラテン・ミュージック・ベスト[注釈 13](2010年06月30日)

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ
1963年 夢であいましょう NHK夢であいましょう」主題歌
1967年 朝も夜も 日本テレビ系テレビドラマ「朝も夜も」主題歌
1983年 親を眠らす子守唄 東映映画「楢山節考」イメージソング

賞歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 栗原はのちに民社党から参議院議員選挙に数度出馬するもいずれも落選して表舞台から姿を消したが、後年に料理研究家の栗原はるみと再婚している。
  2. ^ a b アイ・ジョージとのデュエット。
  3. ^ A面は、アイ・ジョージの「パンパ」。
  4. ^ A面は、アイ・ジョージの「マカレナの乙女」。
  5. ^ A面は、アイ・ジョージの「硝子のジョニー」。
  6. ^ A面は、アイ・ジョージの「今夜もベラ・ベラ・ベンチャーロ」。
  7. ^ A面は、アイ・ジョージの「Bella Bella Ventura」。
  8. ^ A面は、アイ・ジョージの「カミノス」。
  9. ^ B面は、アイ・ジョージの「トリスでドドンパ」。
  10. ^ 「エル・クンバンチェロ」収録。
  11. ^ 横尾忠則がカバーアートを担当。
  12. ^ アイ・ジョージとの混成盤。アイジョージ-坂本スミ子-ドドンパ誕生 - Discogs
  13. ^ 見砂直照と東京キューバン・ボーイズ水原弘との混成盤。「坂本スミ子は歌う ラテン・ヒット・メロディー集」全12曲中の11曲収録。

出典[編集]

  1. ^ “ラテンの女王”坂本スミ子さん 保育園の園長として奮闘中|日刊ゲンダイDIGITAL2021年1月18日閲覧。
  2. ^ 黒柳徹子、坂本スミ子参加 さだまさしによる永 六輔カヴァー集『永縁(えいえん)』発売 - CDJournal ニュース2021年1月18日閲覧。
  3. ^ “歌手・女優、坂本スミ子さん死去 84歳 「楢山節考」主演”. 熊本日日新聞社. (2021年1月23日). https://kumanichi.com/news/id82210 2021年1月23日閲覧。 
  4. ^ I-George-Sumiko-SakamotoArrow-Latin-Group-Bella-Bella-Ventura-Corazon-De-Melon - Discogs (発売一覧)

外部リンク[編集]