塩原秩峰

塩原 秩峰
生誕 1880年8月19日
出身地 日本の旗 日本 栃木県那須塩原市
死没 (1937-03-24) 1937年3月24日(56歳没)
ジャンル 演歌
流行歌
職業 演歌師
歌手
活動期間 1900年代 - 1934年
レーベル 京都オリエント
大阪ニットー

塩原 秩峰(しおはら ちつみね、1880年明治13年)8月19日 - 1937年昭和12年)3月24日)は、大正時代から昭和初期に活躍した日本演歌師歌手栃木県那須塩原市出身。

経歴[編集]

初期の京都オリエントで書生節を多数吹き込み、「レコード流行歌」の普及に大きな功績を持った鳥取春陽に次ぐ、人気演歌師である。やや低めの歌声が特徴。代表曲には『平和節(ジョーヂァソング)』、『金色夜叉』、『春爛漫の花の色』などがある。京都オリエントがニッポノホン大阪支社レーベルになってからは新録音発売は途切れたが、1934年(昭和9年)、大阪ニットーで吹き込んだ『兵隊ぶし』[1]で再びヒットを放つ。片面は美ち奴デュエットの『水兵ぶし』で、塩原はこの2曲を最後に引退する。1937年(昭和12年)3月24日、敗血症のため56歳で死去した。

代表曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1934年、書生節は「流行青年歌」「流行青年節」と表記されている。