大瀬 (給油艦)

大瀬
修理のため佐世保に入港した大瀬(1943年7月8日)[1]。艦首側面の膨らみと船尾の垂下は被雷によるもの。
修理のため佐世保に入港した大瀬(1943年7月8日)[1]。艦首側面の膨らみと船尾の垂下は被雷によるもの。
基本情報
建造所 フィンケンウェルダ社[2][注釈 1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[3] (給油艦(揮発油運搬艦)[4])
母港 舞鶴[5]
艦歴
進水 1935年4月[2]
竣工 オランダ油送船「ヘノタ[注釈 2]」として竣工[2]
就役 1942年7月20日、日本海軍籍に編入[3]
1942年10月5日就役[4]
最期 1944年3月30日沈没[4]
除籍 1944年5月10日[4]
要目
基準排水量 約15,000英トン[4]
満載排水量 約17,000トン[4]
総トン数 7,986 総トン[6](オランダ船時)
全長 483 ft 3+12 in (147.31 m)[4]
垂線間長 460 ft 0 in (140.21 m)[4]
59 ft 0 in (17.98 m)[7]
深さ 34 ft 0 in (10.36 m)[4]
吃水 満載 約8.50m[4]
ボイラー 補助缶1基[8]
主機 マン式ディーゼル 1基[2]
推進 1軸[2]
出力 約6,000馬力[2]
速力 12.0ノット[2]
乗員 日本海軍編入時の定員 101名[9]
兵装 日本海軍時(1944年)
45口径十年式12cm高角砲 2門[2][注釈 3]
13mm連装機銃 1基[10]
同単装機銃 2挺[10]
搭載艇 日本海軍時(1944年):9m内火艇1隻、9m特型カッター2隻、24'-0"救命艇2隻[10]
その他 積載量:石油約12,000トン[2]
または載貨重量11,875トン[4]
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大瀬(おおせ/おほせ[11])は、日本海軍の特務艦(運送艦)。

概要[編集]

元は1935年(昭和10年)4月にドイツハンブルクのフィンケンウェルダ社で進水したオランダのラ・コロナ石油会社所属の油槽船「ヘノタ(Genota)」[2]1942年(昭和17年)4月30日にオーストラリアジェラルトンを出港しイランアーバーダーンへ向かっていた[6]が、同年5月9日にインド洋上で日本海軍の特設巡洋艦「報国丸」と「愛国丸」によって拿捕される。20名ほどの回航班が乗り込み、まずペナンへ回航された[12]。5月17日にペナンに到着したが、その際在泊艦船から砲門を向けられた[13]という。その後、タラカンで油を積み徳山へ向かうよう命じられ5月30日にタラカン到着[14]。6月10日、徳山に到着[14]。6月17日に東京湾につき、6月20日に横浜捕獲審判所に引き渡された[15]。東京湾への航海中には、回航班の大半が下痢になったり、大島に乗り上げかけたといったことがあった[16]という。

同年7月20日「大瀬」と命名し特務艦に編入[3]舞鶴鎮守府[5]とし、運送艦に類別[3]された。同年10月5日に横須賀海軍工廠ガソリン輸送艦として整備完了し[1][4]、その後は主に南方からの軽質油輸送に従事した[1]

1943年(昭和18年)6月24日、高雄行きの第169船団に加わって航行中[17]奄美大島西方で米潜「スヌーク[18][19][20]の雷撃を受け[21]魚雷2本が命中、機械室前方で船体がほとんど切断する被害を受けた[22]。奄美大島で応急修理の後、佐世保海軍工廠で修理を行った[21]。同年11月30日には佐世保を出港し[21]、輸送任務についた。

1944年(昭和19年)3月30日、パラオ大空襲で米艦載機の空襲を受け沈没した。4月25日、本艦の残務整理は舞鶴鎮守府艦船部隊残務整理班で行われた[23]。5月10日、大瀬は帝国特務艦籍から除かれ[24][21]、運送艦から削除された[25]

捕獲検定と戦後の再審査[編集]

1942年6月19日横須賀捕獲審検所に送致され、船体は横須賀鎮守府司令長官に委託される[26]。8月15日、検定開始[6]。同月18日、検定確定し「捕獲」とされた[6][27]。同月20日、官報に判決が掲載され、翌21日に執行手続きを終えた[27]

戦後の1953年3月、対日平和条約第17条に基づきオランダからヘノタの捕獲措置が国際法上合法かどうかの再審査要求があり、日本側は運輸省の外局として捕獲審検再審査委員会(委員長法学博士信夫淳平)を設置し[28]検定を行った。本件は同年6月に検定確定し日本海軍による捕獲措置は正当と認め、外務省はその結果を同年6月16日にオランダ大使館へ通告した[29]。ヘノタは捕獲審検再審査委員会が取り扱った検定の最初の案件だった。

歴代艦長[編集]

  1. 三坂直廉 大佐:1942年7月20日[30] - 1943年9月15日[31]
  2. 木岡蟻志松 大佐:1943年9月15日[31] - 1944年4月15日[32]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #日本特設艦船物語pp.330-331によると「WERFT A. G. BET. FINKENNRDER HANBURG」。
  2. ^ 日本側の公文書および新聞報道での表記は「ゼノタ」である。
  3. ^ #海軍艦艇公式図面集pp.250-251に掲載の公式図では仰角30度までの12cm単装砲が描かれているが、#日本海軍全艦艇史p.866掲載の写真には、30度以上の仰角を掛ける砲が写っていて、写真解説も12cm単装高角砲としている。

出典[編集]

  1. ^ a b c #日本海軍全艦艇史p.865。
  2. ^ a b c d e f g h i j #日本海軍特務艦船史p.25。
  3. ^ a b c d #内令第1317号
  4. ^ a b c d e f g h i j k l #日本特設艦船物語pp.330-331。
  5. ^ a b #内令第1329号
  6. ^ a b c d #捕獲検定、あるいは国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1942年08月20日」 で閲覧可能。ただし、排水量は当該検定書にもあるとおり「ゼノタ」のものであり、「大瀬」のものではないことに注意。
  7. ^ #日本特設艦船物語pp.330-331による。#日本海軍特務艦船史p.25によると最大幅が17.98m。
  8. ^ #海軍艦艇公式図面集pp.252-253。図42、給油艦・大瀬 昭和19年(拿捕艦、オランダ船ゼノダ)、艦内側面他。
  9. ^ #内令第1318号
  10. ^ a b c #海軍艦艇公式図面集pp.250-251。図42、給油艦・大瀬 昭和19年(拿捕艦、オランダ船ゼノダ)、舷外側面、艦橋諸甲板平面他。
  11. ^ #達第207号
  12. ^ 特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦、102-104ページ
  13. ^ 特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦、104ページ
  14. ^ a b 特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦、105ページ
  15. ^ 特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦、106-107ページ
  16. ^ 特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦、106ページ
  17. ^ #SS-279, USS SNOOK p.34
  18. ^ #佐鎮1806 pp.33-38
  19. ^ #SS-279, USS SNOOK pp.42-43
  20. ^ #日本海軍全艦艇史艦歴表p.31。
  21. ^ a b c d #写真日本の軍艦第13巻p.48。
  22. ^ #日本特設艦船物語p.377。
  23. ^ 昭和19年5月3日付 海軍公報(部内限)第4679号。
  24. ^ 昭和19年5月10日付 内令第657号。
  25. ^ 昭和19年5月10日付 内令第662号。
  26. ^ #横捕審通報第6号
  27. ^ a b {#横捕審通報第8号。なお、本文書では検定確定日は8月17日となっている。
  28. ^ 昭和27年4月1日 法律第70号 「捕獲審検所の検定の再審査に関する法律」。
  29. ^ 朝日新聞 1953年6月16日夕刊
  30. ^ #海辞第903号
  31. ^ a b #海辞第1216号
  32. ^ #海辞第1430号

参考文献[編集]

  • (issuu) SS-279, USS SNOOK. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-279_snook 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.B02032830900『昭和十七年六月三十日付 横須賀捕獲審検所 横捕審通報第6号』。 
    • Ref.C12070115100『昭和十七年七月二十日付 達第207号』。 
    • Ref.C12070164200『昭和十七年七月二十日付 内令第1317号別表』。 
    • Ref.C12070164200『昭和十七年七月二十日付 内令第1318号別表』。 
    • Ref.C12070164200『昭和十七年七月二十日付 内令第1329号別表』。 
    • Ref.C13072086300『昭和十七年七月二十日付 海軍辞令公報(部内限)第903号』。 
    • Ref.B02032830600『昭和十七年八月十五日付 横須賀捕獲審検所 昭和十七年第九号 『和蘭国汽船「ゼノタ」号捕獲事件検定書』』。 
    • Ref.B02032831300『昭和十七年八月三十一日付 横須賀捕獲審検所 横捕審通報第8号』。 
    • Ref.C08030345800『自昭和十八年六月一日 至昭和十八年六月三十日 佐世保鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C13072093000『昭和十八年九月十五日付 海軍辞令公報(部内限)第1216号』。 
    • Ref.C13072097400『昭和十九年四月十八日付 海軍辞令公報(部内限)第1430号』。 
  • 福井静夫 編『-海軍造船技術概要別冊- 海軍艦艇公式図面集』今日の話題社、1987年12月。ISBN 4-87565-212-7 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、第一法規出版、1995年。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9 
  • 中川努『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 福井静夫『日本特設艦船物語』 福井静夫著作集/第十一巻 - 軍艦七十五年回想記、光人社、2001年。ISBN 4-7698-0998-0 
  • 安永文友「特設巡洋艦二隻のインド洋通商破壊戦」『変わりダネ軍艦奮闘記 裏方に徹し任務に命懸けた異形軍艦たちの航跡』潮書房光人社、2017年、ISBN 978-4-7698-1647-8、98-114ページ

関連項目[編集]