大西利夫

大西 利夫(おおにし としお、1889年2月2日 - 1977年4月9日)は、日本の新聞記者演劇評論家劇作家

経歴[編集]

1914年京都帝国大学文科大学国文科を卒業後、大阪朝日新聞社に入社。1918年8月26日夕刊の「寺内正毅内閣弾劾関西記者大会」の記事を執筆する中で「白虹日を貫く」との中国古語を使ったが、これは兵乱の前兆を示唆する不穏当な表現[1]であり、白虹事件と呼ばれる日本の新聞の歴史でも類をみない筆禍事件を招いた[2]。大阪朝日新聞および大西は新聞紙法違反で告訴され、大阪朝日新聞は新聞の発売禁止こそ免れたものの、大西は禁錮2月の有罪判決を受けた[3]

新聞社を退社後は、関西演劇界へ身を投じ、文楽による『ハムレット』、『蝶々夫人』、『椿姫』など外国劇の脚本を多数作り上げた。また、1950年には大阪府に対し「大阪府民劇場制度」の創設について提言。市民が舞台芸術に触れる機会を自治体が提供する政策立案に寄与した[4]

1977年4月9日、心不全のため大阪府枚方市内の病院で死去。88歳[5]

脚注[編集]

  1. ^ 白虹筆禍事件(はっこうひっかじけん)”. 広辞苑. 2021年6月12日閲覧。
  2. ^ 大西 利夫とは - コトバンク
  3. ^ (白球の世紀:16)「不偏不党」、発禁免れる 高校野球”. 朝日新聞 (2018年1月30日). 2021年6月12日閲覧。
  4. ^ 本田洋一「大都市圏文化政策の蓄積と継承-大阪府における1980年代までの文化政策の展開から-」『文化経済学』第4巻第3号、文化経済学会〈日本〉、2005年、87-95頁、doi:10.11195/jace1998.4.3_87ISSN 1344-1442NAID 1300009634882021年12月12日閲覧 
  5. ^ 訃報欄 大西利夫氏(演劇評論家、劇作家)『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月19日朝刊、13版、23面