女王

女王(じょおう ラテン語: reginaフランス語: reine英語: queenドイツ語: Königin)は、一般に「」のうち女性であるもの、または男性の「王」に相当する女性の地位。

「王」は、君主の一般的な称号として用いられるほか皇族や諸侯の称号として、あるいは転じて第一人者の意味で用いられるが、これは「女王」についても同様である。ここでは、君主としての女王の意味のほか、その派生的用法について記述する。

訳語の対応関係[編集]

以下、ヨーロッパ諸言語の一般例として英語を用いる。
エリザベス・ボーズ=ライアン(1900年 - 2002年)
イギリス王妃:1936年 - 1952年
イギリス王太后:1952年 - 2002年

日本語においては、君主として自ら王位を有する女王(queen regnant)は、男王の配偶者である王妃(おうひ、queen consort)とは言葉の上で完全に区別される。また、王位ではなく帝位を有する女帝(empress regnant:これも皇后(empress consort)とは区別される)とも区別される。

ただし、原語で女王と王妃を区別せず、単にクイーン(queen)とされている場合に、本来は「王妃」であっても「女王」と訳されることもある。

イギリス国王ジョージ6世の妻で王妃であったエリザベス・ボーズ=ライアンは、王太后となってからは「クイーン・エリザベス・クイーンマザー(The Queen Elizabeth the Queen Mother)」と呼ばれたが、ここでの2つの「クイーン」は「ジョージ6世王妃(クイーン、Queen)及び女王(クイーン、Queen)エリザベス2世の生母のエリザベス」と意味で異なる。

女王の配偶者である男性は、王配(おうはい、prince consort, king consort)と呼ばれることがある(例:イギリスのフィリップ王配)。

「女王」の読み[編集]

女王」は、「じょおう」のほか、語呂の都合により「じょおう」と長音化して読まれることも多い。「女」の字の別の読みである「にょ」の場合も、「女房」など特定の語においては「にょ」と長音化して読まれ、「女院」では「にょいん、にょういん」の2種類の読み方があるが、このようなものと同様の現象である。

NHK(日本放送協会)等の放送では「じょおう」が用いられている。これは、「同じく漢字にはない長音を付加する例として『夫婦(ふふ)』、『詩歌(しか)』『馬油(ばゆ)』といった読み方が江戸時代以前からなされてきたことに対し、「女王」を「じょうおう」と読む例は比較的最近に発生したと思われるため、伝統的な読み方である「じょおう」を採用している」と、NHK放送文化研究所は主張している[1]。ただし、アナウンサーやキャスターの個々の癖が出るため、注意深く聴いていると「じょおう」と発音しているアナウンサー・キャスターも少なくなく、例えば競馬の重賞レースの1つであるエリザベス女王杯は「エリザベスじょおうはい」が本来の正しい読みであるが、実況担当者は「エリザベスじょおうはい」と長音化して呼称していることが多い。これは「女王」に限らず、長音化がなされる他の用語でも同様である。

女王の即位が可能である君主国[編集]

以下、君主国の中で女性に継承権が容認されている国。デンマーク女王であったマルグレーテ2世が2024年1月14日に退位したため、それ以降で女王が君主となっている国は存在しない。

兄弟姉妹間で女性より男性を上位にする王位継承順位が与えられる国(男子優先長子相続制)[編集]

兄弟姉妹間で男女の区別なしに王位継承順位が与えられる国(絶対的長子相続制)[編集]

女王として在位経験のある存命人物[編集]

  • 在位年順
肖像 生年月日 在位期間 続柄
ベアトリクス
Beatrix
1938年1月31日
(86歳)
オランダの旗 オランダ 1980年4月30日2013年4月30日
33年 + 0日)
ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト
ユリアナの第1子
マルグレーテ2世
Margrethe II
1940年4月16日
(84歳)
デンマークの旗 デンマーク 1972年1月14日2024年1月14日
52年 + 0日)
フレゼリク9世イングリッド・アヴ・スヴェーリエの第1子

女性王族で君主の継嗣、またはそれに次ぐ人物[編集]

以下の人物は、各国における君主位の継承権第1位から第2位の地位にある女性王族である。

  • 法定推定相続人とは、将来にわたり当人より上位の継承権を有する人物が誕生する可能性がない、継承権第1位の人物。
  • 推定相続人とは、上位の継承権を有する人物が誕生して継承順位が変更される可能性がある、継承権第1位の人物。
肖像 生年月日 年齢 地位 配偶者 続柄
ヴィクトリア 1977年7月14日 46歳 スウェーデンの旗 スウェーデン 法定推定相続人 ダニエル 国王カール16世グスタフ第1子
エリザベート 2001年10月25日 22歳 ベルギーの旗 ベルギー 法定推定相続人 - 国王フィリップ第1子
カタリナ=アマリア 2003年12月7日 20歳 オランダの旗 オランダ 法定推定相続人 - 国王ウィレム=アレクサンダー第1子
レオノール 2005年10月31日 18歳 スペインの旗 スペイン 推定相続人 - 国王フェリペ6世第1子
イングリッド 2004年1月21日 20歳 ノルウェーの旗 ノルウェー 継承権2位(確定) - 王太子ホーコン第1子
エステル 2012年2月23日 12歳 スウェーデンの旗 スウェーデン 継承権2位(確定) - 王太子ヴィクトリア第1子

歴史[編集]

以下では女王だけでなく、女性君主全般についても言及する。

近代以前には男性を中心とし、かつ君主に実質的な統治権力が与えられる社会が多く見られたが、こういった社会においてはその帰結として女性が君主となることは少なかった。

伝えられる中で最も古い女王としては、古代メソポタミア、キシュ第3王朝の伝説的な女王ク・バウである、旧約聖書に出てくるシバの女王がいるが、伝説の域を出ていない。

古代のプトレマイオス朝エジプトでは、男王との共同統治という形でクレオパトラなどの女王が現れた。古代エジプトでは王位継承権を、王室の王女が持つことが多く(王子が持つこともあった)、この王女と結婚した王室の男性がファラオ(王)になるという慣習があった。この慣習の後、プトレマイオス朝では、代々男王と女王の共同統治が続くことになった。一方、力を持ち単独で支配した女性のファラオは第18王朝ハトシェプストがいるのみである。他にはセベクネフェルなどの単独の女王もいた。

古代の日本においては、邪馬台国の女王として卑弥呼が知られるが、実権は弟が握っていたとも見られ、実態は明らかでない。飛鳥時代から奈良時代、また江戸時代には女性天皇が存在したが、これについては当該項目を参照。

新羅では7世紀に善徳女王など3人の女王が即位した。中国では女性君主も女系継承という考え方もなく、母后として実権を振るった女性は多いが、女帝として即位したのは武則天が唯一であった。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では8世紀にエイレーネーが女帝となったが、西ヨーロッパはこれに反発し、カール大帝を西ローマ皇帝とした。東ローマ帝国では以後もテオドラゾエエウドキア・マクレンボリティサなど女帝が誕生する。

ヴィクトリア女王(1819年 - 1901年、在位:1837年 - 1901年)は19世紀にイギリスの王位を継承した。在位63年。一方、女子相続を認めないサリカ法によって、ジョージ1世以来同君連合を組んできたドイツのハノーファー王国の王位を継承することはできなかった。
エリザベス2世(1926年 - 2022年、在位:1952年 - 2022年)は、イギリスを含む16カ国(英連邦王国)の国家元首イギリスの君主)であった。在位期間は2022年で70年を迎え、同年9月8日に96歳で崩御した。イギリス史上最長在位かつ最高齢の君主であった。
デンマークマルグレーテ2世(1940年 - 、在位:1972年 - 2024年)は、2024年まで世界でただ1人の在位中の女性君主(女王)だった。デンマークの歴史上2人目とされる女王である。

一方、西ヨーロッパにおいては、ゲルマン法系のサリカ法典が女性による土地の相続を禁止しており、これが女性の王位継承を禁じていると解釈されたため、その影響下にある地域(フランスドイツ諸邦など)においては女王は原則として存在しなかった。しかし、他の地域では女性君主が存在することがあった。

12世紀エルサレム王国では、国王ボードゥアン2世の娘メリザンドがアンジュー伯フルク5世を婿に迎え、共同国王とした。

12世紀のイングランドでは、ヘンリー1世の死後、唯一の嫡子である娘マティルダが王位を主張した。上述のメリザンドは既に即位しており、その夫フルクはモードの夫アンジュー伯ジョフロワ4世の父に当たるため、イングランドでも同様の即位は可能と考えたと思われる。しかし、一時期「イングランド人の女主人」を称し事実上の女王となったが、正式の即位は果たせず、息子ヘンリー2世が王位を継ぐことになる。

13世紀スコットランドでは、3歳の幼君マーガレットが女王となるが、父であるノルウェーエイリーク2世の下で養育される、完全に名目だけの君主だった。しかも7歳の時、スコットランドへの渡航途中で死去している。

14世紀の終わりに、デンマーク王女マルグレーテが同国の事実上の君主として辣腕を振るい、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの北欧三国を支配した(カルマル同盟)が、正式な女王の位にはついていない。しかし君主並みの権力を擁していたため、後年女王として遇され、20世紀に即位したデンマーク女王はマルグレーテ2世と称している。

15世紀イサベル1世カスティーリャ女王となったが、イサベルはカスティーリャにおいては夫のアラゴンフェルナンド2世との共同統治、アラゴンにおいてはフェルナンドの王妃であった。イサベル1世の死にともないフェルナンドもカスティーリャ王位を失い、カスティーリャ王位は2人の娘のフアナ女王が継承したものの、その数年後に健康を害した。アラゴンの王位はフェルナンド2世の死後にフアナの長男カルロス1世が継承した。両王位が形式上も1人の君主のものとして統合されるのは、フアナの死後のことである。

16世紀にスコットランドでは、メアリー女王が生後わずか数日で即位するが、5歳でフランスに渡り、その後フランス王フランソワ2世の王妃となった。フランソワ2世が早世したため18歳でスコットランドに帰国するが、24歳で退位している。その間、スコットランド国内は貴族が支配し、メアリーに君主としての実権はほとんどなかった。

16世紀のイングランドではエドワード6世の死でテューダー家の男系男子が絶え、ジェーン・グレイメアリー1世エリザベス1世と女王が続いた。ジェーンは完全な傀儡であり、しかも即位自体を認めない見解もある。「メアリーも夫のスペイン王フェリペ2世に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王はエリザベス1世が初めてである」という見方もある。エリザベス1世は25歳で即位、45年在位してイギリス海洋帝国の基礎を築いた。

17世紀のスウェーデンでは、グスタフ2世アドルフの戦死後、6歳の娘クリスティーナが女王になった。従兄のカール10世と継承争いが起こってもおかしくない状況であったが、クリスティーナがカールと婚約することですんなりと決まった。しかし、クリスティーナは決められた結婚と不自由な女王の座を嫌い、28歳で王位をカール10世に譲り、ローマに移住して気ままな人生を送った。スウェーデンではまた、18世紀初頭にカール12世の後を襲い、ウルリカ・エレオノーラが女王に戴冠している。しかし王権が著しく制限されたことへの不満から、わずか2年で夫フレドリク1世に譲位した。

スウェーデン王女ヴィクトリア皇太子(左)、第1子エステル王女(中央)と夫ダニエル(右)。

18世紀には、女性による継承が禁止されていたハプスブルク家において相続問題が生じたものの、プラグマティッシェ・ザンクツィオン(国事勅書)によりマリア・テレジアが家督を相続した。これを巡ってオーストリア継承戦争が勃発する。ハプスブルク家が事実上世襲化していた神聖ローマ皇帝位は、一時バイエルンヴィッテルスバッハ家に奪われた後、マリア・テレジアの夫フランツ1世が継承した。マリア・テレジア自身は神聖ローマ帝国においてはフランツ1世の皇后という立場だったが、ハプスブルク家領(ハプスブルク帝国)においてはオーストリア大公ハンガリー女王、ボヘミア女王などの君主位に就いており、自らが君主として君臨した。

18世紀のロシア帝国では、エカチェリーナ1世女帝となって以降、4人の女帝が現れた。重臣たちの傀儡が多かったが、エカチェリーナ2世は実権を振るい、ロシアの黄金期を造りあげた。

スペイン・ブルボン朝は創始時にはサリカ法を導入していたが、19世紀フェルナンド7世がこれを廃し、娘のイサベル2世が即位している。

現代のヨーロッパの君主国における王室では、スウェーデンやデンマーク、イギリスオランダベルギーのように後継者問題や女性の地位向上などに伴い、「男子優先主義」を廃して性別を問わず第一子を後継者とする「第一子主義」への転換を行った国が多く現れている。

例としてスウェーデンにおいては、女性皇太子ヴィクトリアは、同国国王カール16世グスタフの第一子(長女)であるが、1980年の王位継承法改正によって第二子(長男)の弟カール・フィリップに代わり次期王位継承者となった。即位すれば、スウェーデン史上3人目の女王になる。また、エステル王女は出生時から推定相続人であり、スウェーデンは女王が2代続くことが確定となっている。

歴史上の主な女王(女性君主)[編集]

現在の君主国[編集]

過去に存在した君主国[編集]

日本の皇族の身位[編集]

女王の称号は、日本の皇族身位にも用いられる。この場合の女王は、現代では皇室典範で定める、天皇からみて嫡男系嫡出で3親等以遠の皇族女子である。

日本の歴史における女王君主については、女性天皇を参照。

派生的用法[編集]

女王様[編集]

  • SMの女王様についてはSM嬢、もしくはミストレスを参照。
  • 高飛車な性格の女性を指すこともある。
  • 渋谷などで見かける「ギャル」の小グループの中のリーダーのことをまれに言う。クイーンとも。

脚注[編集]

関連項目[編集]