安和岳

安和岳
南から望む安和岳
標高 432 m
所在地 日本の旗 日本沖縄県名護市
位置 北緯26度37分45.88秒 東経127度55分42.89秒 / 北緯26.6294111度 東経127.9285806度 / 26.6294111; 127.9285806 (安和岳)座標: 北緯26度37分45.88秒 東経127度55分42.89秒 / 北緯26.6294111度 東経127.9285806度 / 26.6294111; 127.9285806 (安和岳)
安和岳の位置(沖縄本島内)
安和岳
安和岳 (沖縄本島)
安和岳の位置(南西諸島内)
安和岳
安和岳 (南西諸島)
安和岳の位置(日本内)
安和岳
安和岳 (日本)
プロジェクト 山
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安和岳(あわだけ[1])は、沖縄本島北部の本部半島に位置する、標高432メートル

地勢・自然[編集]

沖縄本島北部にある本部半島の南に位置する[1]沖縄県名護市大字「勝山(かつやま)」にあり、小字は「我謝如古山(ガジャナクヤマ)」に属する[2]。また、同市の大字「安和(あわ)」の北方にそびえる[3]標高は432メートルで、沖縄県内で第10位、沖縄本島内で第5位の高さである[4]。北に八重岳[5]、東北東には嘉津宇岳があり[6]、これら一帯は本部半島のほぼ中央部の山塊を形成している[7]

安和岳の山体は南北に約1キロメートル、東西に約300メートルの範囲に及び、特に西側と南側は急な斜面をなす[6]。西側の谷に「我謝如古バンタ」と呼ばれる岩壁があり、高さ15メートル以上の石灰岩で形成され、鍾乳洞が存在している[8]地質古生代ペルム紀の石灰岩を主とする本部層で[6]円錐状のカルスト地形を形成し、山頂は切り立つ岩が露出している[1]千枚岩粘板岩が一部見受けられ[9]、西麓に緑色岩がまとまって分布している[10]。嘉津宇岳と安和岳付近の石灰岩地帯を流れる穴窪川と安和与那川の中上流部においては地下に伏流し、大雨の際は一時的に地面に表流する[11]

安和岳は、1972年昭和42年)に指定された「嘉津宇岳安和岳八重岳自然保護区」に含まれる[12]。また、沖縄県は1989年平成元年)に「嘉津宇岳・安和岳・八重岳自然環境保全地域」を設定した[13]イスノキヤブニッケイなどの常緑広葉樹林が自生し、ホントウアカヒゲイボイモリコノハチョウなどの動物が生息している[1]。麓の斜面にシークヮーサーが栽培されている[14]

人間史[編集]

安和岳は方言で「アーダキ」という[1]。『ペリー艦隊日本遠征記』に所載された地図には、嘉津宇岳・安和岳・八重岳の一帯を「NATCHIJIN MOUNTAINS (ナチジン山地)」と記している[15]

かつて首里王府に仕えていた幸地里主(幸地里之子[3])といわれる役人が、首里から追放され、安和岳の山中に潜んだという伝説があり[1]、8合目の南斜面に彼が隠れたといわれる洞穴が存在する[3]。部下を連れて来た彼は当初、村人から歓迎されていたが、次第に労働意欲を失い、終いには農作物を荒らすなど、村人から山賊と呼ばれるようになったという[14]。また、麓にある安和の女性たちは彼らに襲われるので、村人は生まれてくる娘が美人にならないように願ったという[16]。村の人々は、首里からの軍勢が安和岳に攻め入るという知らせを流して、退治計画を立てた[14]。夕方、数十隻の船が名護湾へ出され、松明に火をつけ、それに伴い銅鑼の音が響き渡った[14]。村人は、首里の軍が山賊を退治しに来たと叫び、その様子に驚いた山賊は去っていったという[14]

安和と本部町を結ぶ道路(後の国道449号)が完成する1934年(昭和9年)までは、山間の道を利用しなければならず、当時は人力での運搬が主であり、収穫したシークヮーサーを女性たちが、安和岳の西にある我謝如古バンタの道を徒歩で売りに出かけたが、シークヮーサーの売値は安く、現金収入は少なかったという[17]戦時中、我謝如古バンタの周辺には周辺住民の避難小屋が設けられ、また日本軍の兵舎もあった[8]。戦後に入ってしばらく、我謝如古バンタの奥に十数軒の集落が存在したが、移住により消滅し、生活跡が残っている[8]。ここから通う子供らは、学校まで1時間半以上を要し、また大雨により一時的に冠水し、流れが速くなるため、通学できないこともあった[8]

登山[編集]

安和岳は傾斜が大きく、石灰岩で切り立つ山肌であるため、登山は容易ではない[3]。登山口は勝山の西又集落を越えた川と道路が交わる場所にあり、ミカン畑の間を通る登山道で、安和岳と嘉津宇岳に挟まれた谷の急な斜面を登ることになる[18]。安和岳の南に「三角山」と呼ばれる山があり[19]、「古巣岳」といわれる山への分岐点を過ぎて山頂へ向かう登山道があり、また三角山と安和岳との山頂間を通るルートもある[18]。2004年(平成16年)に「勝山つたえ隊」という地元ガイドが設定した安和岳の登山道は「中級者向け」とされ、下山を含む所要時間は5時間としている[20]。頂上からは、本部半島や名護湾のほかに、金武湾を遠望できる[21]

登山口
登山道。周囲はシークヮーサー畑で、中央奥に安和岳を望む。
分岐を示す道標
登山道
頂上

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 「安和岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.133
  2. ^ 「勝山の小字一覧」、『わがまち・わがむら』(1988年)、p.345
  3. ^ a b c d 高江洲重一「安和岳」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.128
  4. ^ 沖縄の地理”. 国土地理院沖縄支所 (2017年10月1日). 2018年9月14日閲覧。
  5. ^ 「八重岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.685
  6. ^ a b c 「嘉津宇岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439中段
  7. ^ 新納義馬「嘉津宇岳安和岳八重岳天然保護区」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.719
  8. ^ a b c d 「24. 巨大な石灰岩が切り立つ我謝如古バンタ」、「ふんしどぅくる 勝山の里」編集委員会編(2005年)、p.26
  9. ^ 「安和岳」、『三省堂日本山名事典 改訂版』(2011年)、p.52
  10. ^ 神谷厚昭「嘉津宇岳、安和岳地域の地形と地質」、『嘉津宇岳』(2009年)、p.15
  11. ^ 神谷厚昭「嘉津宇岳、安和岳地域の地形と地質」、『嘉津宇岳』(2009年)、p.13
  12. ^ 「嘉津宇岳安和岳八重岳自然保護区」、沖縄県教育委員会編(1996年)、p.20
  13. ^ 「沖縄県自然環境保全地域の概要」、『環境白書 平成28年度報告』(2018年)、p.228
  14. ^ a b c d e 「20. 伝説・安和岳の山賊を退治した村人の知恵」、「ふんしどぅくる 勝山の里」編集委員会編(2005年)、p.22
  15. ^ 「嘉津宇岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439上段
  16. ^ 「〔近世〕安和村」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.132
  17. ^ 「15. 「シークヮーサー」の由来と" ちゅふぁーら一銭 "」、「ふんしどぅくる 勝山の里」編集委員会編(2005年)、p.17
  18. ^ a b 千木良芳範「嘉津宇岳周辺の両生爬虫類」、『嘉津宇岳』(2009年)、p.139
  19. ^ 比嘉寿、新里孝和「嘉津宇岳・安和岳一帯の植生と植物相」、『嘉津宇岳』(2009年)、p.24
  20. ^ 「21. 勝山の豊かな自然を満喫できるトレッキングにチャレンジしてみませんか」、「ふんしどぅくる 勝山の里」編集委員会編(2005年)、p.23
  21. ^ 「古里の新緑を満喫 名護市・安和小学校6年生 卒業記念し勝山区などで登山」『琉球新報』第34552号、2005年4月1日、夕刊、7面。

参考文献[編集]

  • 沖縄県環境部環境政策課編『環境白書 平成28年度報告』沖縄県環境部環境政策課、2018年。 
  • 沖縄県教育委員会 編『沖縄の文化財I 天然記念物編』沖縄県立博物館友の会、1996年。 
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典沖縄タイムス社、1983年。 全国書誌番号:84009086
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7 
  • 徳久球雄、石井光造、武内正 編『三省堂日本山名事典 改訂版』三省堂、2011年。ISBN 978-4-385-15428-2 
  • 名護市教育委員会文化財係、名護博物館 編『嘉津宇岳 名護市動植物総合調査報告書 2005 - 2008』名護市教育委員会〈名護市天然記念物調査シリーズ 7〉、2009年。 
  • 名護市史編さん委員会編『わがまち・わがむら』名護市役所〈名護市史・本編 11〉、1988年。 
  • 「ふんしどぅくる 勝山の里」編集委員会編『ふんしどぅくる 勝山の里』「ふんしどぅくる勝山の里」編集委員会、2005年。 
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]