安野豊道

安野 豊道(やすの の とよみち、生没年不詳)は、平安時代初期の官人。名は豊門とも記される[1]官位従五位下下総介

経歴[編集]

仁明朝末に少内記を務め、嘉祥2年(849年)5月の渤海使の帰国に際しては、参議小野篁や他の文官らとともに勅書太政官牒を伝達するために鴻臚館に派遣された(この時の位階従七位下[2]。同年7月に少外記に転じる。

斉衡2年(855年文徳天皇により、右大臣藤原良房参議伴善男刑部大輔春澄善縄らとともに『続日本後紀』の編纂を開始する(この時の位階は正六位上[3]。斉衡3年(856年従五位下に叙せられるが、翌斉衡4年(857年下総介に任ぜられて地方官に転じており、『続日本後紀』の編纂事業から離れたか。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『外記補任』
  2. ^ 続日本後紀嘉祥2年5月2日条
  3. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡2年2月17日条

参考文献[編集]