富岡素敬

とみおか もとよし
富岡 素敬
生誕 1924年6月15日
東京都
死没 (2011-12-20) 2011年12月20日(87歳没)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 撮影技師撮影監督
活動期間 1953年 - 1976年
活動拠点 東宝
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富岡 素敬とみおか もとよし[1]1924年大正13年〉6月15日[2][3] - 2011年[4]平成23年〉12月20日)は、日本特撮映画撮影監督東京都出身[5]

来歴[編集]

人物[編集]

有川貞昌によれば、元々は東映でデスクワークを務めていたが現場を希望し、東映のプロデューサーを通じて円谷英二へ紹介された[7]。富岡自身は、東横映画時代に太秦撮影所で合成作業に訪れていた円谷と出会い、親しくしていたと述懐している[6]。特殊技術研究所時代は、有川、国分正一らと3人で「円谷プロ」を自称していた[6]。東宝に入る際は、「円谷の弟子」という触れ込みであったという[6]

円谷の特技監督時代では、有川に次ぐ特撮カメラマンを務め、B班カメラマンなどを担当した[3][1][4]。有川が特撮監督に就任した後は、チーフカメラマンを務めた[3][1]

Bカメラは主にアップを担当していた[6][4]。ロングショット(マスターショット)を担当し全体の指揮も行っていた有川に対し、冨岡はゴジラの目や尾などの動きを撮るなど円谷から無理難題を要求されていたという[6][4]。冨岡は、円谷からは怒られることが多かったと述懐している[6]。書籍『初代ゴジラ研究読本』では、高度なカメラワークを要求されていたと評している[4]

初のカラー特撮である『白夫人の妖恋』、初のワイドスクリーン作品『地球防衛軍』、モスララドンなどの操演怪獣、『海底軍艦』での疑似海底、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』での水中撮影、戦争映画の大プールでの艦隊撮影など、東宝特撮全盛期に様々な撮影を経験し、試行錯誤しながら苦労も多かったという[6]

キングコング対ゴジラ』では、クライマックスでのゴジラとキングコングが熱海城で戦うシーンの撮影にて手動でパララックスを調整しなければならないところ修正に失敗し、円谷から徹底的に怒られた上に、スタッフが2週間かけた熱海城のミニチュアをまた作らなければならないかもしれないと考え、その晩は一睡もできなかったが、翌日のラッシュで無事に映っていたことがわかり、円谷から声をかけられた後、人知れず泣いたという[5]

主な作品[編集]

映画[編集]

公開年月日 作品名 制作(配給) 役職
1953年10月21日 太平洋の鷲 東宝 撮影助手
1954年2月10日 さらばラバウル
1954年11月3日 ゴジラ
1954年12月29日 透明人間
1955年4月24日 ゴジラの逆襲
1955年8月14日 獣人雪男
1956年6月22日 白夫人の妖恋
1956年12月26日 空の大怪獣 ラドン
1957年12月28日 地球防衛軍
1958年6月24日 美女と液体人間
1958年10月14日 大怪獣バラン
1959年4月19日 孫悟空
1959年7月5日 潜水艦イ-57降伏せず
1959年10月25日 日本誕生
1959年12月26日 宇宙大戦争
1960年4月10日 電送人間
1960年4月26日 ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
1960年12月11日 ガス人間第一号
1961年1月3日 大坂城物語
1961年7月30日 モスラ 撮影
1961年8月13日 紅の海
1961年9月17日 ゲンと不動明王
1961年10月8日 世界大戦争
1962年3月21日 妖星ゴラス
紅の空
1962年8月11日 キングコング対ゴジラ
1963年1月3日 太平洋の翼
1963年5月29日 青島要塞爆撃命令
1963年8月11日 マタンゴ
1963年10月26日 大盗賊
1963年12月22日 海底軍艦
1964年1月13日 士魂魔道 大龍巻 宝塚映画
(東宝)
1964年4月29日 モスラ対ゴジラ 東宝
1964年8月11日 宇宙大怪獣ドゴラ
1964年12月20日 三大怪獣 地球最大の決戦
1965年6月19日 太平洋奇跡の作戦 キスカ
1965年8月8日 フランケンシュタイン対地底怪獣 東宝
ベネディクト・プロダクション
(東宝)
1965年10月31日 大冒険 東宝
渡辺プロダクション
(東宝)
1965年12月19日 怪獣大戦争 東宝
1966年7月13日 ゼロ・ファイター 大空戦
1966年7月31日 フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 東宝
ベネディクト・プロダクション
(東宝)
1966年12月17日 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 東宝
1967年7月22日 キングコングの逆襲 東宝
ランキン・バス・プロダクション
(東宝)
1967年12月16日 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 東宝
1968年8月1日 怪獣総進撃
1968年8月14日 連合艦隊司令長官 山本五十六
1969年7月26日 緯度0大作戦 東宝
ドン・シャーププロ
(東宝)
1969年8月13日 日本海大海戦 東宝
1969年12月20日 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 撮影監督
1970年8月1日 ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 撮影
1971年7月17日 激動の昭和史 沖縄決戦
1972年3月12日 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 東宝
東宝映像(製作協力)
(東宝)
1973年3月17日 ゴジラ対メガロ 東宝映像
(東宝)
1973年9月8日 人間革命 東宝映像
シナノ企画
(東宝)
1973年12月29日 日本沈没 東宝映画
東宝映像
(東宝)
1974年3月21日 ゴジラ対メカゴジラ 東宝映像
(東宝)
1974年8月3日 ノストラダムスの大予言 東宝映画
東宝映像
(東宝)
1974年12月28日 エスパイ 東宝映像
(東宝)
1975年3月15日 メカゴジラの逆襲 撮影監督
1975年7月12日 東京湾炎上 東宝映画
東宝映像
(東宝)
撮影
1976年6月19日 続・人間革命 東宝映像
シナノ企画
(東宝)
1976年10月2日 大空のサムライ 東宝映画
(東宝)

博覧会[編集]

期間 博覧会名 主催 担当パビリオン 製作会社、スポンサー 役職
1970年3月14日 1970年9月13日 日本万国博覧会 財団法人日本万国博覧会協会 三菱未来館 東宝
三菱グループ
撮影

DVD出演[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 資料によっては、1947年(昭和22年)と記述している[5]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 東宝ゴジラ会 2010, p. 34, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW1 富岡素敬」
  2. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 542, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  3. ^ a b c d e ゴジラ大百科 1990, p. 101, 「ゴジラ・スタッフ名鑑」、最新ゴジラ大百科 1991, p. 99, 「ゴジラスタッフ名鑑」
  4. ^ a b c d e f 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 240, 「初代ゴジラスタッフ評伝」
  5. ^ a b c d e f 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, pp. 155–165, 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」
  6. ^ a b c d e f g h 東宝ゴジラ会 2010, pp. 35–43, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW1 富岡素敬」
  7. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 70, 「有川貞昌 素晴らしき特撮映画」

参考文献[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • Gakken MOOK(Gakken
    • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1990年1月1日。 
    • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA 最新ゴジラ大百科』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1991年12月1日。 
  • 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年。ISBN 4816911111 
  • 『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日。ISBN 4-924609-45-5 
  • 井上英之『検証・ゴジラ誕生―昭和29年・東宝撮影所』朝日ソノラマ、1994年。ISBN 4257033940 
  • 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6 
  • 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0 

外部リンク[編集]