寺本婉雅

寺本 婉雅
1872年 - 1940年
生地 愛知県海東郡
没地 滋賀県と推測
寺院 東本願寺
著作 蔵蒙旅日記・十万白龍
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寺本 婉雅(てらもと えんが、1872年明治5年3月21日〉 - 1940年昭和15年〉)は、日本の仏教学者愛知県海東郡出身で、能海寛とともに日本人として初めてチベットに入り[1]、3番目にラサに入った東本願寺である。北京チベット大蔵経を入手し、日本に送った[1]ダライ・ラマ13世より「トゥプテンゾパ」のチベット名を授かっている[2]

経歴[編集]

チベット行は1899年7月8日能海寛とともに護衛を従えてダルツェンドを出発したことに始まる[3]。この際、旅行許可証である「護照」を取得していた[4]7月20日に中国(朝)とチベットの最前線であるリタンに到着し、8月3日に出発した[5]8月11日パタンに到着し、役人にチベット入りについて協力を請うたところ承諾されたが、グルカによって寺本と能海が「西洋人である」と喧伝されたことでチベット入りを断念することとなる[6]。パタンには50日滞在し、10月1日に出発。リタンを経由して10月22日にダルツェンドに戻った[7]。ラサまでは到達できなかったものの、パタンはダライ・ラマの直轄地であったことからこれをもって日本人初のチベット到達が達成された[7]

1900年4月に日本に帰国すると、中国では義和団の乱が勃発し、政府の命令によって8月19日に通訳として北京を訪れた[8]醇親王慶親王粛親王李鴻章など清朝皇室とも交流があった寺本は、雍和宮ロシアから解放し、日本軍の管理下に置くことを画策するなどし、仏教寺院とラマ僧を救ったとされ、清朝に大きく評価された[8]12月に荒らされた寺院でチベット大蔵経を入手すると、慶親王の計らいによって日本に持ち帰ることに成功し、日本の宮中(のちに東京大学図書館に移管)、大谷大学にそれぞれ寄贈された[8]

1901年7月には「チベット行」という見返りを狙って雍和宮貫主のアキャ・フトクら8名の来日に尽力[9]したが、結局「懐柔」したはずのダライ・ラマからの協力を得られずに[10]1903年2月から2年間クンブム・チャンパーリン寺チベット語モンゴル語を学び、1905年5月にラサ入りを果たす[9]1906年11月22日ダライ・ラマ13世に謁見し、東本願寺法主大谷光瑩の書簡と日露戦争の画帖などを献呈した[11]。その際に、親ロシア派に傾いたダライラマに対して「東洋黄人種」(日本・清など)同士でチベットの将来を考えるべきであると述べた[11]。その後、1908年5月五台山で再度謁見、8月2日大谷尊由などとともにダライ・ラマと会見をした[11]

略歴[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 『于闐国史』丁字屋書店、1921年6月。 NCID BN10209538全国書誌番号:53011236 
  • 『西蔵語文法』内外出版、1922年10月。 NCID BN15235273全国書誌番号:43011514 
  • 『新竜樹伝の研究』中外出版、1926年3月。 NCID BN15391825全国書誌番号:43048215 
  • 『求道と女性』城端仏教求道会、1929年4月。 NCID BA66239622全国書誌番号:46083070 
  • 『愛児はいづこへ 生命の泉』城端仏教求道会、1933年12月。 NCID BA90656295全国書誌番号:44057307 
  • 『生命原理 日本哲学』城端仏教求道会、1933年10月。全国書誌番号:44060658 全国書誌番号:90090100 
  • 『行の中道実践哲学 根本仏教縁起観』黙働社〈西蔵伝仏典訳註仏教研究 第4輯〉、1935年1月。 NCID BA46973787全国書誌番号:47007238 
  • 『黙働聖典』黙働社、1935年9月。全国書誌番号:46034570 
  • 『皇道と仏道』默働社、1936年4月。 NCID BN14582792全国書誌番号:46052302 
  • 『独習実用 西蔵文典』黙働社〈西蔵伝聖典訳註仏教研究 第6輯〉、1938年5月。 NCID BA75587084全国書誌番号:47007756 
  • 『皇軍慰問生死一如の道』城端黙働会、1937年9月。全国書誌番号:90090099 
  • 『根本仏教縁起観及生命実相論』石尾すが、1967年9月。 NCID BN15301538全国書誌番号:91006397 
  • 『于闐国仏教史の研究』国書刊行会、1974年6月。 NCID BN10786622全国書誌番号:73001585 
  • 横地祥原 編『蔵蒙旅日記』芙蓉書房、1974年1月。 NCID BN02748195全国書誌番号:73004827 
  • 石尾すが 編『根本仏教永遠の生命』城端黙働会富山支部、1989年。 NCID BB00055615全国書誌番号:90015244 

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翻訳[編集]

共編訳註[編集]

  • 『蔵漢和三訳対校 異部宗輪論・異部宗精釈・異部説集』寺本婉雅・平松友嗣共編訳註、黙働社、1935年5月。 NCID BA47920367全国書誌番号:46090454 
    • 『蔵漢和三訳対校 異部宗輪論・異部宗精釈・異部説集』寺本婉雅・平松友嗣共編訳註(復刻版)、国書刊行会、1974年6月。 NCID BN09047224全国書誌番号:74006763 

寺本婉雅著作選集[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 江本(1993),p.135
  2. ^ 江本(1994),p53
  3. ^ 江本(1993),p.157
  4. ^ 江本(1993),p.161
  5. ^ 江本(1993),pp.166-167
  6. ^ 江本(1993),p.169
  7. ^ a b 江本(1993),p.172
  8. ^ a b c 江本(1993),pp.245-247
  9. ^ a b 江本(1993),pp.284-285
  10. ^ 江本(1993),pp.290-291
  11. ^ a b c 江本(1994),pp.48-49

参考文献[編集]

  • 江本嘉伸 『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈上〉』 山と溪谷社 1993年 ISBN 4635280233
  • 江本嘉伸 『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈下〉』 山と溪谷社 1994年 ISBN 4635280241
    • 『新編 西蔵漂泊 チベットに潜入した十人の日本人』山と溪谷社〈ヤマケイ文庫〉 2017年 ISBN 4635047997
  • 日本人チベット行百年記念フォーラム実行委員会(編) 『チベットと日本の百年―十人は、なぜチベットをめざしたか』新宿書房 2003年 ISBN 4880082821

外部リンク[編集]