小堀政孝

 
小堀 政孝
時代 江戸時代前期
生誕 寛永3年(1626年
死没 貞享元年8月19日1684年9月28日[1]
改名 政可(初名)→政孝
別名 熊之助、三郎兵衛、宗舟(号)
墓所 法身寺
幕府 江戸幕府 旗本
氏族 小堀氏
父母 父:小堀正十、母:竹中重門の娘
兄弟 政孝政利、政直、柳沢政俊妻
養子:政利
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小堀 政孝(こぼり まさたか)は、江戸時代前期の旗本。禄高は3000石[2]。茶道小堀遠州流第4世で、号は「宗舟」[1]

小堀遠州流第3世の小堀正十の長男として生まれる[1]寛永11年(1634年)に初めて将軍徳川家光に拝謁し、寛永13年(1636年)8月9日に小姓組番士となる。正保元年(1644年)12月25日に父の遺跡を継ぐ。慶安3年(1650年)より青山幸方と共に江戸城西の丸の石垣修補を担当し、その後神田橋雉子橋一ツ橋・門櫓の普請を行い、万治3年(1660年)に時服3領・黄金3枚を賜った。延宝元年(1673年)10月21日に致仕した[2]。子が無かったため、政孝の跡は弟の小堀政利が養子となって継いだ。

法身寺(現・東京都新宿区)を中興したとされる[3][注釈 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 小堀遠州流ウェブサイトでは「開基」となっているが[1]、『牛込区史』の記述では寛永8年(1631年)に別の僧侶によって開基され、「最乗院殿月海」を名乗っていた小堀宗舟が中興したとある[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 歴代家元 - 小堀遠州流
  2. ^ a b 寛政重修諸家譜』巻第千二十四
  3. ^ a b 『牛込区史』牛込区、1930年