山形屋

株式会社山形屋
YAMAKATAYA Co., Ltd.
山形屋(中央。朝日通電停東側から)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
892-8601
鹿児島県鹿児島市金生町3番1号[1]
北緯31度35分36.2秒 東経130度33分25.4秒 / 北緯31.593389度 東経130.557056度 / 31.593389; 130.557056座標: 北緯31度35分36.2秒 東経130度33分25.4秒 / 北緯31.593389度 東経130.557056度 / 31.593389; 130.557056
設立 1917年大正6年)6月15日[1]
(株式会社山形屋呉服店[1]
業種 小売業
法人番号 7340001004414 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店
代表者 岩元修士(代表取締役社長
資本金 1億円
売上高 352億2500万円(2022年2月期)[2]
営業利益 △3億6400万円(2022年2月期)[2]
経常利益 △5億2600万円(2022年2月期)[2]
純利益 △9億2900万円(2022年2月期)[2]
純資産 6億1200万円(2022年2月28日現在)[2]
総資産 262億2300万円(2022年2月28日現在)[2]
従業員数 733人(2023年4月1日現在)
決算期 2月末日
主要株主 金生産業(株) 49.5%
(株)山形屋情報システム 14.5%
岩元 純吉 2.9%
岩元 修士 2.9%
2008年8月31日現在)
関係する人物 岩元達一
外部リンク https://www.yamakataya.co.jp/
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株式会社山形屋[1](やまかたや、: YAMAKATAYA Co., Ltd.)は、鹿児島県鹿児島市に本社を置く日本の百貨店南九州地域の鹿児島と宮崎の両県で5店舗を展開している。

概要[編集]

山形屋の創業は1751年宝暦元年)[1]呉服店から百貨店への転換は明治時代中頃、近代的なデパート建築[注釈 1]となったのは大正時代初期と古く、地方百貨店の先駆け的存在であり、神戸以西における百貨店第1号である。南九州最大の繁華街である天文館地区に位置している。

伊勢丹[注釈 2]松屋を中心としたとした百貨店の共同仕入機構である 全日本デパートメントストアーズ開発機構(A・D・O) に加盟している。

以前、1号館1階には山形屋バスセンター[注釈 3]を併設していたが閉鎖された。鹿児島市内及び薩摩半島中南部を中心とした広域エリアから集客に貢献していた。

店舗[編集]

本店舗[編集]

グループ企業運営店[編集]

山形屋グループ百貨店は、上記のとおり、それぞれ独立した企業として運営されている。したがって、厳密には「山形屋」とは株式会社山形屋が運営する鹿児島市の旗艦店のみを指す。

かつては、島津氏の勢力圏そのままに、熊本県人吉市沖縄県那覇市[注釈 4]にもグループ百貨店が存在した。

現在、山形屋グループは、南九州地域の鹿児島県と宮崎県において、上記のグループ百貨店をはじめ、スーパー部門子会社山形屋ストア山形屋ショッピングプラザなどの企業を展開している。

特色[編集]

山形屋の北海道物産展。売上高は全国トップである
焼きそば

電車通りに面した1号館は1999年平成11年)に昭和初期のルネサンス調の外観に復元され、夜間には美しくライトアップされる。建物内部も曲線をもつ柱や梁などが復元されており、1号館1階は高い天井とシャンデリア、柱には大理石の化粧貼りが施されている。

今では珍しくなった大食堂が健在である。山形屋子会社のベルグ[注釈 5]が1943年(昭和18年)7月に運営を開始し、1972年(昭和47年)から現在の7階で営業している。他の百貨店では複数の専門店から構成されるレストラン街に移行したところが多いが、山形屋では大食堂が盛況を維持し、視察に来た他店の関係者が驚くという。名物は1958年(昭和33年)から出している「焼きそば」で、揚げ麺に野菜たっぷりのあんかけをかけたものである。安価に設定されているものの、年間13万食が提供され、このメニューだけで大食堂の売り上げの半分を占める[3]
屋上には遊園地の「山形屋ファミリーランド」[4]が2015年(平成27年)1月8日まで存在した。
また、無料給茶機や個別空調を完備した休憩室も設けられている。

山形屋の北海道物産展北海道の物産と観光展」は1964年(昭和39年)12月1日に第1回が開かれ、2013年(平成25年)で50回目を迎える鹿児島の秋の風物詩である。2012年(平成24年)の売上高は8億9700万円で、北海道が主催する物産展としては13年連続で日本一を記録している。山形屋の北海道物産展では、同社のバイヤーが直接北海道入りし、仕入れ交渉や商品開発の運営まで担う特徴がある。商品の例としては、鹿児島向けに甘い醤油が使用されたいくらしょうゆ漬けや松前漬けが開発されている[5]。2013年の第50回展では記念式典が開催され、高橋はるみ北海道知事から山形屋に感謝状が送られた[6]。この第50回展では、通常は商業施設の催事などは取り上げることがないNHKも全国放送で生中継を実施した[注釈 6]。担当したのは、当時NHK鹿児島放送局に勤務していた、山形県出身の大石真弘アナウンサーだった。

店内放送のチャイム[注釈 7]として「アルプスの牧場」[注釈 8]が使用されている。1984年(昭和59年)には、作詞を福永ひろみ、作曲を小泉まさみが手掛け、松原みきが歌唱する山形屋のイメージソングが制作され[注釈 9]、その後テレビやラジオのCMには、この曲の社名を歌う最後の歌唱以外はインストルメンタル版になっているバージョンが使用され続けている。

鹿児島空港において「エアポート山形屋」を2店、「エアポート山形屋食堂」を運営している。「エアポート山形屋食堂」でも本店の看板メニューである「焼きそば」を本店と同価格で供している。

歴史[編集]

創業は1751年(宝暦元年)。創業者近江商人の血を受け継ぐ現在の山形県庄内地方北前船商人で、薩摩藩主の許可を得て開業した鹿児島城下唯一の呉服商が現在の山形屋の前身といわれる[注釈 10]

大正時代には、1912年(大正元年)に山形屋に先んじて「明治屋呉服店」というデパート風の商店が近くに開業した。ルネサンス風の3階建ての壮観な建物を持ち、店員150人、年間売上200万円に上るなど、鹿児島随一の店舗とされていた。しかし、この頃、鹿児島市電[注釈 11]の建設計画が進んでいた。その路線計画は、現行の電車通りより海側の当時の繁華街であった広馬場を通るものであった。広馬場周辺の商店主は、電車を通すために必要な道路拡幅で店舗用地を削られることを嫌って反対し、計画は難航していた。そこで当時の山形屋の当主であった岩元信兵衛は早速電車会社に対して用地提供を申し出、そのために必要な店舗建物の撤去費用も自分で負担するとした。電車会社としても、広馬場周辺の商店主としてもこれに異論はなく、こうして現在の電車通りに路面電車が通ることになった[7]

折から山形屋は本格的な百貨店へと新築工事を進めていたが、本来の計画では西側に正面を向けることになっていた。しかし、東側の通りが電車通りとなったことから設計が変更され、電車通りに正面を向けて華やかなショーウィンドウを備えた建物となった。路面電車の運行によって人の流れが変わり、従来の繁華街広馬場から山形屋のある金生町周辺がメインストリートへと変貌した。この流れに抗することができず、明治屋も1931年(昭和6年)に電車通り沿いの高見馬場に移転することになったが、結局第二次世界大戦時の鹿児島大空襲により焼失してそのまま閉店した[7]

最初の山形屋の建物は1916年(大正5年)10月6日に開業した[8]:143。建物は斎藤久孝によって設計され[8]:111-114、地下1階、地上3階からなる鉄筋コンクリート製の建物で、その上にドームがあった[8]。外装はルネサンス式で、総工費は38万9000円だった[8]:163-164

1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌時には、破格売出を行ったほか、他の商店等において支払が遅延する中、掻き集めた売上金を鹿児島から大阪まで列車輸送し、問屋に通常決済を行ったことなどにより、鹿児島県内の顧客のみならず全国の問屋から信用を勝ち取った。

1932年(昭和7年)に地下1階、地上7階の新館が竣工した。斎藤久孝の弟子の大森茂の設計による近世復興式の建物で、総工費は98万円だった[8]:252-256。1945年(昭和20年)6月17日の鹿児島大空襲で全焼したが[8]:359-365、同年9月17日に早くも営業を再開[8]:379、1946年(昭和21年)から8年かけて完全に復興した[8]:408

1954年(昭和29年)7月にバスセンターを設置した[8]:415。1955年(昭和30年)には4階と5階を増築したが、それにともなって山形屋のシンボルであったドームが姿を消すことになった[8]:417。1963年(昭和38年)に大幅な増改築を行い、従来のルネサンス式の外装を一新、現代的な外観へと変貌した。総工費は5億2000万円だった[8]:436-440。1968年に再び拡張を行い、それまで4階までだった売り場を5階まで伸ばし、バスセンターの上に5-7階を増築した[8]:442

1998年(平成10年)に外装を改修し、かつてのルネサンス式に復元された。戦前の山形屋の象徴だったドームも復活した[8]:663-666

地域における商品力、ブランド力は昔から格段に強く、鹿児島市の中心繁華街である天文館地区においてガリバー的存在として君臨している。そのため、鹿児島市の商圏規模を考えれば共存できるはずの丸屋デパート[注釈 12]や高島屋デパート[注釈 13][注釈 14]といった競合店は苦戦を強いられ、最終的には百貨店運営から撤退[注釈 15]ことになった。

2023年令和5年)11月8日には1号館5階の寝具倉庫にあった毛布から小さな火災が発生し、館内にいたおよそ3000人が避難する騒動があった。

現況[編集]

山形屋は、ふるさとのデパートというキャッチコピーで長年にわたり親しまれてきた。地元には山形屋を脅かす競合店が存在せず、また北部九州地域との交流も限定的であったため、文字通り「一人勝ち」の状況が続いてきた。しかし、新幹線高速道路などの高速交通網の整備や、大規模小売店舗立地法の施行に伴う郊外大型商業施設の増加などの影響もあり、近年売上高は減少傾向にある。

こうした状況の中、山形屋も業績を拡大するべく、2004年(平成16年)の九州新幹線の部分開業以前には「ジェイアール九州山形屋(仮称)」として、鹿児島中央駅ビルへの出店を計画していたが、経済情勢等から断念した。

その後は、鹿児島中央駅ビルのアミュプラザ鹿児島や、イオン鹿児島ショッピングセンター[注釈 16]など郊外大型商業施設の相次ぐオープンに対抗するため、「We Love 天文館協議会」への参画や各種イベントの開催などにより、天文館地区における協力調和と地域活性化を図る姿勢を明確にしている。

増床計画[編集]

2007年(平成19年)8月、都市間競争や郊外大型商業施設への対抗策として、増床計画の概要が発表された[9]。その後、2008年(平成20年)のリーマン・ショック以降の消費不況の長期化から、計画は無期限延期となっているが、事務所やエネルギー設備が入る新3号館は2009年(平成21年)11月に完成し、新2号館の建設用地は暫定的にイベント広場として地域に開放されている。

以下、当初計画の概要を記す。

  • 2008年(平成20年)3月着工、2011年(平成23年)春に完工予定。投資額は100億円。
  • 現3号館を新2号館として建て替え、売場面積を16,000m2増やす。
  • 現2号館と新2号館を地下と3階から5階のフロアで一体化し、間を通る市道を廃止して山形屋所有とする[注釈 17]
  • 新2号館は地下1階地上7階で、延床面積40,000m、売場面積27,000m。約500m2のイベント広場を設ける。
  • 新2号館北側に地下1階地上6階、延床面積4,000m2の5号館を新築。現3号館内の事務所やエネルギー設備、新2号館地下の物流センターの出入口を設ける。
  • 完工後の全館の延床面積は77,000m。

グループ百貨店の再編強化[編集]

2006年(平成18年)6月国分山形屋を「きりしま国分山形屋」として新築移転した。同店は鹿児島県内初出店のテナント誘致に成功し、また鹿児島県内百貨店として初めて電子マネーEdyカードの利用が可能となった。

また、2006年(平成18年)9月には宮崎山形屋がイオン宮崎ショッピングセンター[注釈 18]への対抗策として新館を増床し、2007年(平成19年)3月末に全館リニューアルを完了した[10]

不祥事[編集]

2007年(平成19年)3月から8月の間、通信販売で「地鶏」と表示した商品を260人に販売したが、地鶏ではなくブロイラーを使用していた事が判明した[注釈 20]。原因は「担当者の入力ミス」とされた。

同年10月25日宮崎県東国原英夫知事(当時)は「この時期[注釈 21]に、『単純なミスだった』という説明で済むのか?」と疑問を呈したうえで、「今後、このような事がないようにしてほしい」と述べた。なお、商品には東国原知事をデフォルメしたキャラクターのイラストが使用されており、このイラストの扱いについても検討すると述べた。

サテライトショップ・外商出張所[編集]

山形屋のギフトショップ(鹿屋市)
霧島地区にはきりしま国分山形屋、北薩地区には川内山形屋があるが、外商は山形屋直轄。
  • サテライトショップ谷山
  • サテライトショップ姶良
  • 東京事務所: 台東区上野

おもな関連会社[編集]

  • 山形屋商事株式会社
  • 株式会社山形屋友の会
  • 金生産業株式会社
  • 株式会社山形屋物流サービス
  • 山形屋産業開発株式会社
  • 山形屋パーキング株式会社
  • 株式会社山形屋情報システム
  • 株式会社山形屋工作所
  • 株式会社ワイズ
  • 株式会社ベルグ(山形屋食堂株式会社より社名変更)
  • 株式会社クーダイニング
  • 丸岩電機株式会社
  • 丸岩工業株式会社
  • 南菱冷熱工業株式会社
  • 宮崎南菱冷熱株式会社
  • 株式会社トウェンティ・ワン
  • マルイワテクノ株式会社

合弁事業[編集]

鹿児島ウォーターフロント株式会社
2004年(平成16年)3月に設立され、かつてドルフィンポートを運営していた、山形屋や地元財界を中心とした共同出資会社。

スポーツ[編集]

山形屋ラグビー部
トップキュウシュウBに所属するラグビー部。

関連ラジオ番組[編集]

希望のリボン
南日本放送のラジオ番組で、毎日午前7時30分からの10分間。開局当初からの長寿帯番組で、開始当初から山形屋の一社提供である。
山形屋DAYパートナー
エフエム鹿児島のラジオ番組で、毎日午前9時50分からの10分間。こちらも開局当初からある一社提供長寿帯番組だが、冠スポンサーとなっていることが前項と異なる。

アクセス[編集]

山形屋バスセンター[編集]

閉鎖後の山形屋バスセンター・入口部分(2016年1月31日撮影)
閉鎖後の山形屋バスセンター・旧窓口(2016年1月31日撮影)

1954年(昭和29年)7月から2015年(平成23年)8月31日まで、1号館1階に設けられていた鹿児島交通三州自動車の21路線が乗り入れするバスターミナルで、開設された当初は屋根が無かったものの、1963年(昭和38年)の1号館の増改築で屋根付きで3本のホームを有するターミナルとなった[11]。計算上は各ホーム3台ずつで最大9台のバスが入線出来る広さであるが、ターミナルの構造上、スーパーハイデッカーなど車高の高いバスは入線できなかった。

なお、いわさきグループが運行に関わっていた九州ならびに本州方面の都市間バスは当初より当バスセンターには乗り入れていない[注釈 22]

閉鎖翌日の2015年(平成27年)9月1日からは山形屋バスセンターに代わり、既存の金生町バス停[注釈 23]での運行を開始。

いわさきグループ バスチケットセンター 山形屋窓口(2016年1月31日撮影)

1番乗り場は市内線・薩摩半島方面の路線(鹿児島交通担当)の始発便、2番乗り場は同路線の終着便、3番乗り場は国道10号大隅半島方面の路線[注釈 24]が使用、1番線乗り場の向かいに当バスセンターの案内放送が出来る案内所があり、地下および1階の売場と連絡していた。

かつてのバスセンター乗り場[編集]

閉鎖までの間、以下の路線が始発便として運行されていた。それ以外は金生町バス停を利用。

閉鎖後も連絡通路のみ引き続き使用できたが、2016年(平成28年)5月以降は耐震補強工事に伴い使用できなくなっている[12]

2016年(平成28年)10月14日に売り場として増床し、リニューアルオープンしている[13]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 清水組による施工
  2. ^ 三越伊勢丹
  3. ^ 鹿児島交通三州自動車バスターミナル
  4. ^ 沖縄山形屋
  5. ^ 旧・山形屋食堂。
  6. ^ 情報まるごと』。
  7. ^ 山形屋グループ百貨店共通。
  8. ^ 2017年3月ごろまでは国鉄20系客車で使用されていたものと同一だった。
  9. ^ 制作当初は、3分間あるこの歌のフルバージョンがテレビで放送されていた。
  10. ^ 1号館の壁面に山形屋呉服店のレリーフが掲げられている。
  11. ^ 当時は民営の鹿児島電気軌道。
  12. ^ 後に鹿児島三越こと三越鹿児島店が建ち、マルヤガーデンズが建った。
  13. ^ 大阪に本社を置く百貨店大手の髙島屋とは資本関係のない別企業。但し、同社が主宰していた共同仕入れ組織「ハイランドグループ」の一員となるなど、緩やかな繋がりはあった。
  14. ^ 後に高島屋プラザ、TAKAPLAを経て再開発によりセンテラス天文館が建つ。
  15. ^ 両施設ともに、現在は専門店ビルへと転換。
  16. ^ 現・イオンモール鹿児島。
  17. ^ ただし、鹿児島市と山形屋は歩行者が24時間通行できるように管理協定を締結している。
  18. ^ 現・イオンモール宮崎
  19. ^ イオン鹿児島ショッピングセンター(現・イオンモール鹿児島)開業前の連載記事。
  20. ^ 購入者に対して謝罪し、代金の返還や別の商品への差し替えを行った。
  21. ^ 当時、ミートホープ赤福餅比内鶏などにおいて、食品の表示に関する類似事件が続発していた。
  22. ^ 最寄り停留所は2009年3月31日まではいづろ高速バスセンター、2009年4月1日からは鹿児島本港高速船ターミナル、または天文館より発着。
  23. ^ ただし始発便、到着便、経由便でそれぞれバス停の場所が異なる。
  24. ^ 三州自動車担当。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 43-44 
  2. ^ a b c d e f 第107期決算公告、2022年(令和4年)6月15日付「官報」(号外第127号)118頁。
  3. ^ 「山形屋大食堂65周年/定番の味で衰えぬ人気=気軽な雰囲気も魅力」南日本新聞2008年7月26日朝刊
  4. ^ 山形屋・鹿児島天文館本店 - デパート通信」デパート通信
  5. ^ 赤間早也香「山形屋の北海道物産展 50回目=売上高13年連続日本一」南日本新聞2013年11月6日9面
  6. ^ 「150人節目祝う=北海道知事ら記念式典出席」南日本新聞2013年11月6日9面
  7. ^ a b 「連載[かごしま20世紀-山河こえて]4/大量消費の夜明け・デパート 」南日本新聞1999年1月25日朝刊
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『山形屋二百六十七年』山形屋、2018年。 
  9. ^ 2号館増床計画 山形屋ホームページ 企業情報
  10. ^ 南日本新聞』2007年9月14日・17日朝刊[注釈 19]
  11. ^ 鹿児島)山形屋バスセンター、61年の歴史に幕」朝日新聞デジタル 2015年8月31日
  12. ^ facebook:山形屋 【1号館1階 耐震補強工事に伴う売場移設についてお知らせ】 (2016年5月24日)
  13. ^ 山形屋1号館1階、リニューアルオープン 鹿児島市 | 鹿児島のニュース | 373news.com」373news.com 2016年10月14日

関連事項[編集]

外部リンク[編集]