岡上梁

岡上梁

岡上 梁(おかのうえ りょう[1]1880年明治13年)1月3日[2] - 1954年昭和29年)12月14日[3])は、日本教育者

経歴[編集]

岡上市次・竹の次男として高知県長岡郡大篠村(現・南国市)に生まれる[4]。高知県尋常中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)、第五高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[4][5]

私立有恒学舎教授[5]金沢第一中学校教諭、佐沼中学校校長、第七高等学校造士館教授、第五高等学校教授、東亜同文書院副院長、徳島中学校校長、新潟高等学校校長、広島高等学校校長を歴任した[1]1936年(昭和11年)、浦和高等学校校長に就任し[1]1939年(昭和14年)に第四高等学校校長に転じた[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 斎木織三郎編『大日本現代教育家銘鑒 第2輯』教育実成会、1915年。 
  • 日本官界情報社編『昭和十三年度版 日本官界名鑑』日本官界情報社、1937年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 「高知県人名事典新版」刊行委員会編『高知県人名事典』(新版)高知新聞社、1999年。 
公職
先代
校長事務取扱
竹村昌次
日本の旗 浦和高等学校長
1936年 - 1939年
次代
沢田源一
先代
田上倉平
徳島県立徳島中学校
1931年 - 1932年
次代
九ノ里虎之助
先代
深沢伊三郎
宮城県立佐沼中学校
1910年 - 1914年
次代
続有節