岡田龍松
岡田 龍松(おかだ りゅうまつ、1841年(天保10年10月[1][2]) - 1913年(大正2年)7月2日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴[編集]
越後国魚沼郡中条村(のち新潟県中魚沼郡中条村、現・十日町市)出身[1]。1872年、柏崎県第5区副戸長、1875年、新潟県第12大区長、1879年、中魚沼郡長、1881年、新潟県会議員、徴兵参事員、1897年、中魚沼郡会議員となり[1][2]、議長代理となる[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において新潟7区から進歩党公認で立候補して初当選する[3]。8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補して再選する[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1913年に死去した。
家族[編集]
- 次男:岡田正平 - 公選初代新潟県知事
- 三男:岡田紅陽(岡田賢治郎) - 写真家[5]。