岩科学校

旧岩科学校校舎
正面外観
岩科学校の位置(静岡県内)
岩科学校
情報
旧用途 校舎
設計者 菊地丑太郎、高木久五郎[1][2][3]
施工 菊地丑太郎、高木久五郎[1][2][3]
構造形式 木造二階建、両翼一階建、背面下屋付、桟瓦葺[3]
建築面積 436.2 m² [3]
階数 2階[3]
着工 1879年4月[2]
竣工 1880年9月[2][3]
所在地 410-3613[2]
静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442[2][3]
座標 北緯34度44分11.4秒 東経138度47分10.4秒 / 北緯34.736500度 東経138.786222度 / 34.736500; 138.786222 (旧岩科学校校舎)座標: 北緯34度44分11.4秒 東経138度47分10.4秒 / 北緯34.736500度 東経138.786222度 / 34.736500; 138.786222 (旧岩科学校校舎)
文化財 重要文化財[3]
指定・登録等日 1975年6月23日[3]
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岩科学校(いわしながっこう)とは、静岡県賀茂郡松崎町岩科に残る伊豆地域最古の小学校校舎である[2]

沿革[編集]

1879年4月に着工し、1880年(明治13年)9月に竣工。総工費2630円66銭のうち、4割余りを住民の寄付でまかなった。1975年に「旧岩科学校校舎」として国の重要文化財に指定され、1992年には竣工当時の状態に復元された。[2]

敷地内には1875年(明治8年)に建設された岩科商社の建物が移築され、開花亭の名称で休憩所として利用されている。[2]

建築概要[編集]

地元の大工棟梁・菊地丑太郎、高木久五郎の設計施工による擬洋風建築である[1]。玄関上の唐破風など寺社建築の要素に加え、なまこ壁やアーチ窓、半円バルコニーが組み合わせられている[1]。平面は、和風2階建の中央棟の左右から副舎一棟ずつがはりだしたコの時型をしている[1]。正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣三条実美の書である[1][2]

松崎町は左官の名工で工芸家であった入江長八の出身地で[1]、2階の和室には代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されている[1][2]。扁額上の龍の彫刻も長八の作と伝えられている[2]。また、開化亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものである[2]

アクセス[編集]

  • 松崎町自主運行バスW55松崎八木山線(運行委託先:東海バス松崎営業所)「重文岩科学校」停留所から徒歩約5分

関連項目[編集]

旧開智学校
明治時代初期に建てられた校舎を利用した教育博物館。2005年に岩科学校と姉妹館提携している[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 中村哲夫 1989.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 松崎町振興公社.
  3. ^ a b c d e f g h i 文化庁.
  4. ^ 松本市立博物館 2013.

参考文献[編集]

  • 中村哲夫 (1989). 西洋館を訪ねて. 保育社. p. 44. ISBN 4586507829 
  • 松崎町振興公社. “国指定重要文化財「岩科学校」”. 2015年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月26日閲覧。
  • 文化庁. “旧岩科学校校舎”. 文化遺産オンライン. 2015年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月26日閲覧。
  • 松本市立博物館 (2013年). “施設案内 > 博物館施設 > 旧開智学校 > 姉妹館”. 松本市公式ホームページ. 松本市. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月3日閲覧。

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、岩科学校に関するカテゴリがあります。