平等寺 (阿南市)

平等寺
 24時間ライブ配信中の本堂
 24時間ライブ配信中の本堂
所在地 徳島県阿南市新野町秋山177
位置 北緯33度51分6.6秒 東経134度34分58秒 / 北緯33.851833度 東経134.58278度 / 33.851833; 134.58278 (平等寺)座標: 北緯33度51分6.6秒 東経134度34分58秒 / 北緯33.851833度 東経134.58278度 / 33.851833; 134.58278 (平等寺)
山号 白水山
院号 医王院(醫王院)
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁5年(814年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 白水山 医王院 平等寺
札所等 四国八十八箇所22番
文化財 紙本金地著色秋草図(県文化財)
公式サイト 平等寺オンライン
法人番号 7480005004529 ウィキデータを編集
平等寺 (阿南市)の位置(徳島県内)
平等寺
平等寺
地図
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本尊から伸びる結縁の綱
遠くに涅槃大師が見える

平等寺(びょうどうじ)は、徳島県阿南市新野町にある高野山真言宗の寺院。白水山(はくすいざん)、医王院(いおういん)と号す。本尊薬師如来四国八十八箇所第二十二番札所で、阿南室戸歴史文化道に指定され、四国八十八景18番「涅槃大師に見える風景」として選定されている。

  • 本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  • ご詠歌:平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる

歴史[編集]

寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来梵字が金色に現れた。さらに、その端相に加持すると薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖でその場に井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置したのに始まるという。寺名は、この霊水により、人々の平等な幸せを願い、また、一切の衆生を平等に救済する祈りを込めて「平等寺」と称されたという[1]

七堂伽藍や12の末寺を持つまでに栄えたが、天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火で焼失した。享保年間(1716年 – 1736年)になって照俊阿闍梨によって再興される。

2017年1月より、平等寺本尊初会式が毎年行われるようになった。初回は第26世住職真梁(3回までは副住職)が焼八千枚護摩を成し遂げた。

2021年、SARS-CoV-2感染防止・堂前の階段が登れない・遠方のためお参りが難しいなどの人々の為に、本堂内陣を24時間拝観できるライブ配信開始した。お勤めは通常、午前6時と午後8時、護摩は毎週日曜午後3時よりしている(変更の場合あり)。→平等寺オンライン

境内[編集]

  • 山門 - 入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。
  • 本堂 - 本尊薬師瑠璃光王如来・脇仏日光月光菩薩・十二神将を拝顔できる。脇陣に青不動明王坐像・毘沙門天立像・倶利伽羅不動と金剛界大日如来坐像。内陣の天井絵は四国八十八箇所の本尊を外陣の天井絵は多くの草花が描かれている。
  • 大師堂 - 大師像を拝顔できる。脇陣:空海の十大弟子像。
  • 鎮守社 - 当地の氏神を祀る。
  • 護摩堂 - 不動明王立像と脇に金剛界大日如来小像と稚児聖徳太子像、脇陣に役行者と弘法大師、前に赤不動明王坐像を祀る。
  • 観音堂(小堂)
  • 白水の井戸 - 弘法の霊水とも開運鏡の井戸とも呼ばれ、この水は万病に効くとの言い伝えがある。
  • 客殿 - 十一面観音立像、当寺で一番古い像。
  • 厄除け坂 - 本堂正面に男坂42段、本堂左に女坂33段、山門前に子厄坂13段で合計88段となっている。また、本堂の壇から遠くを見ると大師が寝ているような風景が見られる。
  • 鐘楼
  • 白水山 新四国八十八ヶ所 - 当寺の裏山一周コースで 約45分[注釈 1]
  • 句碑 - 谷中隆子「大道といへる道あり花樗(おふち)」が女厄除坂の途中に、「・・の・を・して花ちりぬ」がその上にある。

道路に面した13段の石段を上がって山門をくぐる。左に鐘楼があり、その先に大師堂、その横に小さな観音堂がある。右には納経所があり、その先に手水場が、左に鏡の井戸と地蔵石像の祠がある、正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり上り詰めると本堂が建つ。本堂左のほうに護摩堂がある。

  • 宿坊:3室、完全予約制。
  • 駐車場:30台(無料・大型5台)

文化財[編集]

国史跡
太龍寺から平等寺に至る遍路道のうち、大根峠の前後601 mが指定されている。令和3年10月11日指定。[2][3][4][5]
  1. 大根峠(標高約253 m、大根峠)の阿瀬比町側手前約200 m
  2. 大根峠の新野町側を少し下ってからの約400 m
前半は太龍寺#文化財参照。
  • 阿波遍路道 平等寺境内:約0.56ha。令和3年10月11日指定。[2][3][4][5]
県指定有形文化財
  • 紙本金地著色秋草図 4面:襖貼図、狩野内膳筆、昭和44年9月10日指定。[6][7]

交通案内[編集]

鉄道
  • JR新野駅から徒歩で 2.3 km・約28分・車で2.9 km・約5分
バス
  • 徳島バス阿南「新野局」停留所から徒歩で 550 m・約2分
道路
  1. 21番-- (3.9 km)--黒河-- (2.4 km)--阿瀬比-- (1.1 km)--大根峠-- (3.5 km)-- 22番
  2. 21番-- (0.7 km)--舎心ヶ嶽-- (2.4 km)--持福院-- (3.9 km)--阿瀬比-- (1.1 km)--大根峠-- (3.5 km)-- 22番

奥の院と周辺の霊跡[編集]

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
奥の院・月夜御水庵 (月夜のお水大師)
月夜御水庵
この地で泊まった空海(弘法大師)が、水がない衆生の不便を感じて加持し清水を湧かせた。夜になり月が沈んで闇夜となると月を招き寄せ、月夜としたとの伝説がある。また、空海が通夜したところに自ら刻んだ薬師如来を祀った一宇の庵を建立したとも云われている。
奥の院・弥谷観音堂
弥谷観音堂
当時は魔物が棲むと云われたこの谷間に足を踏み入れた若き空海が岩に如意輪観音を刻み修行をされたという霊跡。
阿部御水大師(あぶおみずだいし)
阿部御水大師
水不足に苦しむ民衆のため空海が祈願すると金色の龍が現れ水が湧き出したという霊跡。金龍庵とも呼ばれ、始めは海に面した所にあり、水が直接海に流れ落ちていたと云われているが、崖崩れにより1954年(昭和29年)今の場所に移された。近くに方丈と大師堂あり。[8]
鉦打大師・鉦打坂薬師
鉦打大師
石造大師像(向かって左)は福井ダム建設により、石造薬師像は険しい旧土佐街道に倒れた者の為享保4年(1717年)に灌頂され、平成7年3年17日に現在地に移された。

前後の札所[編集]

四国八十八箇所
21 太龍寺 -- (10.9 km)-- 22 平等寺 --- 22番奥の院 月夜御水大師 --- 鉦打大師・鉦打坂薬師 --- 22番奥の院 弥谷観音堂 --- 23 薬王寺

周辺[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 不動堂の左奥から山の中に入って行く。舟形の石仏を順番に上って行き41番の上がTV中継設備のある壇になり、奥に進むと45番になる。さらに尾根筋を登りきると頂上となり、鳥居があり祠がある。その後、41番に戻り右に下ると46番があり順に下って88番になると本堂の右に到達する。

出典[編集]

  1. ^ 人文社観光と旅編集部 編『郷土資料事典徳島県・観光と旅』人文社〈県別シリーズ ; 37〉、1986年1月、107頁。全国書誌番号:87012275 
  2. ^ a b 徳島県の文化財”. 徳島県. 2023年8月6日閲覧。
  3. ^ a b 国・県指定文化財一覧” (PDF). 徳島県. p. 3. 2023年6月11日閲覧。
  4. ^ a b 阿波遍路道 - 文化遺産オンライン文化庁
  5. ^ a b 阿波遍路道 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 山川浩實『徳島の指定文化財』徳島県博物館、2021年7月31日、1345頁。 
  7. ^ 国・県指定文化財一覧” (PDF). 徳島県. p. 13. 2023年6月11日閲覧。
  8. ^ 川崎一洋『四国「弘法大師の霊跡」巡り』セルバ出版、2012年12月18日、79頁。ISBN 9784863670792 

参考文献[編集]

  • 四国八十八ヶ所霊場会 編『先達教典』四国八十八ヶ所霊場会、2006年。 
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』 地図編(第8版)、へんろみち保存協力会、2007年。 
  • 阿南市文化財一覧”. 阿南市 (2018年1月11日). 2023年6月15日閲覧。

外部リンク[編集]