広島車両所
広島車両所 | |
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広島車両所 入口 | |
基本情報 | |
鉄道事業者 | 日本貨物鉄道 |
帰属組織 | 関西支社 |
所属略号 | 広 |
整備済み車両略号 | HS |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 93,172 m2 |
配置両数 | |
電気機関車 | 3両 |
合計 | 3両 |
備考 | 2021年3月現在のデータ 敷地面積は有価証券報告書の値[1] |
広島車両所(ひろしましゃりょうしょ)は、広島県広島市東区にある日本貨物鉄道(JR貨物)の車両基地および工場である。
概要[編集]
敷地面積77,803m2[2]。山陽本線の瀬野 - 八本松間に存在する瀬野八で有名な急勾配を走行する上り貨物列車の補助機関車(補機)などが所属している。また、工場では関西支社に所属する電気機関車・ディーゼル機関車や貨車の検修を行っている。その他に関連施設として、広島貨物ターミナル駅東端の天神川駅に挟まれた場所に広島車両所蟹屋派出があり、仕業検査を行っている。
なお、広島機関区は乗務員区であり、検修業務は行っていない。
毎年10月20日頃に一般公開している(貨物フェスティバル)。ちなみに、修理工場第1主棟・動力室・油庫は1945年(昭和20年)の原爆投下時に被爆した被爆建物でもある[3]。
所在地[編集]
機関車検修業務を行う第1主棟と、貨車検修業務を行う第2主棟が存在する[5]。第1主棟の西側では電車交検庫があり、かつては西日本旅客鉄道(JR西日本)所属電車の交番検査が行われていた。
車体に記される略号[編集]
- 所属車両:「広」…広島を意味する「広」から構成される。
- 整備済み車両:「HS」…台車に和暦で検査年月日と共に手書きされる。
所属車両[編集]
2022年3月現在の所属車両である[6]。
電気機関車[編集]
- EF67形
- 105の計1両が所属する。
その他[編集]
保存車両[編集]
過去の保存車両[編集]
- EF66 11[10]
- EF65 75[11]
- EF58 113(前頭部のみ)[12]
- EF81 5(試験塗装)
- EF59 16(先頭部のみ)
- EF61 4(前頭部のみ)
- EF66 30(署員用塗装機)
- D52 1
- EF58 113
- EF59 16
- EF59 21
- EF61 4
- EF500 901
- EF66 11
歴史[編集]
- 1943年(昭和18年)3月23日 - 鉄道省広島鉄道管理局広島工機部として開所[2]。蒸気機関車の検修を開始[2]。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 被爆。ここは爆心地から4.25kmに位置した。建物の窓ガラスは粉々に砕け、木材は吹き飛ばされたが、建物の倒壊は免れた。その当日、臨時救護所として市内から避難してきた被爆者を収容、職員が救護にあたった。翌8月7日、業務を再開、蒸気機関車の整備を行い始めた。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1955年(昭和30年) - 広島工場に改称。
- 1960年(昭和35年)2月 - ディーゼル機関車の検修を開始[2]。
- 1962年(昭和37年)
- 1964年(昭和39年)10月 - 貨車の検修を開始[2]。
- 1973年(昭和48年)9月 - 蒸気機関車の検修を終了[2]。最終出場車はD51 214[2]。
- 1984年(昭和59年)5月 - 客車の検修を開始[2]。
- 1985年(昭和60年)3月 - 組織改正に伴い、広島車両所に改称[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR貨物に継承。
- 1991年(平成3年) - 西日本旅客鉄道(JR西日本)所属電車検修の受託を終了[2]。電車交検庫をJR西日本所有とする。
- 1996年(平成8年)4月 - 広島機関区の検修部門を統合[2]。
- 2000年(平成12年)4月 - 鷹取工場閉鎖に伴い、梅田貨車区の業務を担当[2]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ 第35期有価証券報告書 35頁 (PDF) - 日本貨物鉄道
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『鉄道ピクトリアル』通巻690号、p.34
- ^ “被爆建物 新たに2棟現存 JR貨物広島車両所 動力室と油庫”. 中国新聞 (2015年7月30日). 2015年7月30日閲覧。
- ^ “JR貨物広島車両所(被爆建物)”. 【公式】広島の観光・旅行情報サイト Dive! Hiroshima. 2023年5月9日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻690号、p.35
- ^ 『2021貨物時刻表』鉄道貨物協会、2021年
- ^ 日本貨物鉄道株式会社広島車両所 『広島車両所15年のあゆみ(五十五年史)』 1999年、p.51
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2011年9月号(NO.853)p.61-p.62によれば、この機材は神鋼電機製。「アント工業#「アント」の呼称について」も参照。
- ^ 国鉄色に復元の上保存
- ^ 2007年に鉄道博物館へ寄贈された。
- ^ 茶色に復元の上保存されたが後に解体された。
- ^ 2013年に伏木に移動。
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
- “当時の鉄骨今も支える”. 読売新聞 (2009年3月16日). 2009年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月26日閲覧。
座標: 北緯34度24分4.2084秒 東経132度30分0.903秒 / 北緯34.401169000度 東経132.50025083度