建国史 尊王攘夷

建国史 尊王攘夷
尊王攘夷
監督 池田富保
脚本 池田富保
製作総指揮 池永浩久
出演者 山本嘉一
大河内伝次郎
谷崎十郎
新妻四郎
三桝豊
酒井米子
沢村春子
撮影 松村清太郎
井隼英一
製作会社 日活太秦撮影所
配給 日活
公開 日本の旗 日本1927年昭和2年)10月1日
上映時間 266分 / 現存 102分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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建国史 尊王攘夷』(けんこくし そんのうじょうい)は、1927年昭和2年)製作・公開、池田富保監督による日本の長編劇映画、サイレント映画時代の剣戟映画である。タイトルは単に『尊王攘夷』とも。

略歴・概要[編集]

1927年(昭和2年)、当時の日活太秦撮影所長池永浩久総指揮のもとに製作された15巻ものの大作である[1]タウンゼント・ハリスの上陸から安政の大獄桜田門外の変までを描く。本作は、日活が配給し、同年10月1日神田神田日活館浅草公園六区観音劇場を初めとして全国で公開された[1]

本作の上映用プリントは、現在[いつ?]東京国立近代美術館フィルムセンターにも[2]マツダ映画社にも所蔵されていない[3]。しかしフィルムは現存し、日本のビデオグラムメーカーのディスクプランが2009年(平成21年)4月25日に『尊王攘夷』のタイトルで、「100分」の上映尺のDVDをリリースしている。同DVDの冒頭は、題名やキャストのカットタイトルは残っておらず、装置(美術)・照明・美髪・衣裳・字幕・撮影調達のスタッフのクレジットが1枚、次に補監督・撮影・撮影(補助撮影)・助監督のクレジットが1枚、「時代劇部 現代劇部 總出演」のタイトルが1枚、説明書が1枚、「原作・監督 池田富保」のタイトル1枚、で始まっている[4]

スタッフ・作品データ[編集]

クレジットおよびデータは日本映画データベースの本項参照[1]。『尊王攘夷』DVD画面にあるクレジットはそれに準じる[4]

キャスト[編集]

ストーリー[編集]

幕末安政5年6月(1858年7月)、アメリカ合衆国の全権総領事タウンゼント・ハリスが神奈川沖に投錨した。幕府側の代表である井上信濃守(中村仙之助)、岩瀬肥後守(実川延一郎)と交渉するが、開国と友好を求めるハリスらに井上らは強硬姿勢を見せる。ハリスらは清国がイギリスに上海を乗っ取られた例を挙げ、友好の必要を説く。その報告が江戸城に伝えられると、幕府大老井伊直弼(大河内伝次郎)は、客観的な国力の違いから、命を張っても開国すべきだとの姿勢である。13代将軍家定(市川百之助)も病に伏せている。一方、水戸齊昭(山本嘉一)らは開国に反対であり、水戸藩士たちも同様である。

水戸の巷で開国反対を説くヒゲの大男・関鉄之助(新妻四郎)がいる。正義漢で直情型の関は、有村治左衛門(尾上多見太郎)、森山繁之助(谷崎十郎)の仲間である。

やがて、頼三樹三郎(岡崎晴夫)、鵜飼吉左衛門(中村時五郎)、梅田源次郎(三桝豊)ら危険人物たちを井伊直弼は次々に捕らえさせる、のちに安政の大獄安政5年(1858年) - 安政6年(1859年))と呼ばれる強硬手段に出る。なかでも梅田は、乳飲み子をかかえる病弱なおせつ(沢村春子)と別れる羽目になり、連行される梅田を、おせつは病身を押して道にまろびながらも追うのだった。

有村らは、水戸齊昭に暇を乞い、井伊直弼を討つ決意を固める。有村は新しい刀を購って準備を進めるが、森山はシャイな関を芸妓遊びに連れ出し、芸妓のおあき(酒井米子)とくっつけようとする。

安政7年3月2日(1860年3月23日)いよいよ、明日決行、夜には雪が降る。翌朝、江戸城桜田門で斬りかかる有村ら。いよいよ籠のなかから井伊直弼が現れる。井伊も命をかけて開国を推進する身、有村も命がけである。井伊は国賊と叫ばれるが、お互い思想が違うが、国を思う心は同じだと動ぜず、そんなに井伊の首が欲しければ、と雪の庭に座する。井伊の首を取る有村、勝鬨を挙げる関、森山たち。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 建国史 尊王攘夷、日本映画データベース、2010年2月19日閲覧。
  2. ^ 所蔵映画フィルム検索システム [リンク切れ] - 東京国立近代美術館フィルムセンター2020年令和2年)11月1日閲覧。
  3. ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇 - マツダ映画社、2020年(令和2年)11月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 『尊王攘夷』DVD画面、ディスクプラン、2009年(平成21年)4月25日、本篇冒頭部。
  5. ^ Film Calculator Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.換算結果、コダック、2020年(令和2年)11月1日閲覧。

外部リンク[編集]