御嶽海久司

御嶽海 久司
優勝した2022年初場所(関脇時代)
基礎情報
四股名 御嶽海 久司
本名 大道 久司
愛称 オオミチ、みーたん(自称)[1]、Real Deal[2]
生年月日 (1992-12-25) 1992年12月25日(31歳)
出身 長野県木曽郡上松町
(出生地はフィリピンの旗 フィリピン
身長 179cm
体重 164kg
BMI 51.18
所属部屋 出羽海部屋
得意技 突き・押し
成績
現在の番付 西前頭10枚目
最高位大関
生涯戦歴 443勝338敗13休(54場所)
幕内戦歴 408勝329敗13休(50場所)
優勝 幕内最高優勝3回
十両優勝1回
殊勲賞6回
敢闘賞1回
技能賞3回
データ
初土俵 2015年3月場所
入幕 2015年11月場所
備考
金星2個(日馬富士1個、鶴竜1個)
2024年3月24日現在

御嶽海 久司(みたけうみ ひさし、1992年12月25日 - )は、長野県木曽郡上松町(出生地はフィリピン)出身で、出羽海部屋所属の現役大相撲力士[3][4]。本名は大道 久司(おおみち ひさし)。身長179cm、体重164kg、血液型はO型。得意技は突き・押し。自己最高位は東大関。父は日本人、母はフィリピン人、尊敬する力士は武双山[5]、平成4年度生まれの関取を指す、いわゆる「花のヨン組」の1人[6][7]

来歴[編集]

出生からアマチュア時代[編集]

一人っ子[8]としてクリスマスの日にフィリピンで生まれた。フィリピンでは慶事であるクリスマスに限って医療費が無料であり、生まれた直後に1つの親孝行をすることになった。母はクリスマスジャストに生まれたからという理由でミドルネームをジャスティンと命名した[5]。4歳の時に移住した長野県木曽郡上松町の自然で育った[8]。父親と一緒にキノコやタラの芽を山で採取したり、川で泳いだり、アユやイワナ、ヤマメなどの川魚を釣って塩焼きにして食べたりしたことなどを、後に思い出として語っている[9]。保育園時代には生まれつき障害のある子と手を繋いだり、運動会の徒競走で1着でゴールインした後にその障害のある子が困っているところに手を貸したりと弱きを助ける心優しい面があった[5]

大道少年が相撲を始めるきっかけとなったのは、上松町立上松小学校1年の時に大桑村で開かれた相撲大会に出場した際に、初めて挑戦した相撲で自分より体の小さな相手に負けたことである。これをきっかけに負けず嫌いの魂に火がつき、地元の木曽少年相撲クラブに入り相撲一筋の人生が始まった[10]。小学生の時は父と約束し自宅の庭石の上で毎日400回、四股を踏むことを日課とした[5]。5年次に全日本小学生相撲優勝大会で2位となった[11]

木曽町立福島中学校に進学すると3年で全国大会ベスト8となっている。木曽青峰高在学中に国体少年の部で3位となった[12]後に東洋大学法学部企業法学科[13]に進学した。一方で大相撲入りに関しては、相撲部屋へ何度も見学に行って、厳しいということを恐れていたことから、頭になかったという[14]

東洋大学には監督の濱野文雄から「復活のために力を貸してほしい!」と低迷から脱却するための要員として期待されて勧誘された[15]。東洋大学時代は力強い突き押しを武器に、個人タイトル15冠。4年時の11月に学生横綱[16]、12月にアマチュア横綱となり、現行基準では日大出身の元幕内・市原(清瀬海)、同じく日大出身の幕内・遠藤に続き3人目となる幕下10枚目格付出の資格を得た[17]

入門[編集]

当初はプロ入りする意向はなく、アマチュア相撲の強豪・和歌山県庁への就職が内定しており、就職したら家族を呼んで和歌山で一緒に暮らす[14]ことを考えていた[18]。しかし、大学の相撲部の浜野監督の知人から部屋を紹介され[14]、また「最近10年くらい幕内力士が出ていなくて、今は名門とは言えないかもしれない。でも、きっと再興させたいと思っている。是非とも力を貸してほしい」という11代出羽海親方(元幕内・小城ノ花)の説得もあり[15][19]、2015年2月12日に出羽海部屋へ入門した[20]

2014年2月に出羽海部屋を継承したばかりの11代出羽海にとっては初の直弟子である。後に女性週刊誌で大道は「大学卒業後、プロに進もうとは思っていませんでした。公務員試験を受け、和歌山県庁から内定をいただき、両親も喜んでくれていましたから。でも、遠藤関が活躍する姿を見て、"(大学相撲で)自分もあの人といい勝負をしてたんだよなぁ"と思うと、ふつふつと湧き上がるものがありました。でも、勝負の世界に絶対はないですし……」とコメントしており「もし結果が出なければ、"あのとき公務員になっていればよかったのに"と後ろ指をさされる。辞退した県庁のみなさんにも申し訳が立たない。行くからには、絶対に結果を出すという気持ちで入門しました」と入門時の心境を語った[21]

入門時に目標の力士として元大関・武双山(現・年寄:藤島)の名を挙げたが、2月28日新弟子検査で身長を測定したのは奇しくもその元・武双山の藤島審判副部長だった[22]。なお、大道は出羽海部屋は知っていたが部屋の出身力士は舞の海くらいしか知らず、入門した後で名門であることを改めて知ったといい、出羽海部屋が出羽海一門のトップであるということも知らなかった[14][15]

大相撲入門後[編集]

2015年[編集]

入門当初は本名を四股名とする力士も多いが既に自身の本名の姓と同じ元幕内・大道[注釈 1]がいたこともあり[23]、四股名には地元・上松町から望める御嶽山と出羽海部屋の「海」を合わせた「御嶽海」に決まった[24][注釈 2]。父は嶽王(たけおう)や嶽ノ王(たけのおう)という四股名を考えていたと言い、親戚に王という苗字の人がいたので四股名に『王』を付けることを考えたという[14]。入門当初から外出には力士にふさわしい着物や履物を身に着けないといけないため、その点で御嶽海は他の部屋と比べて厳しいと感じたという[15]
3月場所で初土俵。初土俵の場所は2番相撲(3日目)に大翔鵬からプロ初黒星を付けられたものの、これがかえって緊張をほぐす契機となり[25]、最終的に6勝1敗の好成績となった。5月場所は東幕下3枚目の地位で6勝1敗の成績とし、場所後の番付編成会議にて、7月場所での新十両昇進が決定した[26]。十両昇進まで所要2場所で昇進するのは11人目である[27]。長野県は元幕内の大鷲が1978年1月場所限りで引退して以来全都道府県で関取不在の期間(37年間)が最も長かったが[28]、長野県出身力士として47年ぶりの新十両となり、平成以降関取を出していない都道府県は皆無となった[29][注釈 3]
関取になってからは取的に指導やアドバイスもしなければならなくなったが、早い出世だったため当初は関取という立場であっても兄弟子たちには話しづらく、そうしたことができるようになったのは幕内上位となった2016年になってからのことであった[14]。7月場所において、11勝4敗の成績を収め、十両優勝を果たした。長野県出身力士の十両優勝は、1949年5月場所の大昇以来66年ぶりである。10日目の常幸龍から激しい張り手を受け口内から激しく流血し、翌日の取り組み後に左上唇を15針縫う怪我を負った。以降の取り組みでは本来の突き押しが出来ず、いつも以上に立合いの変化を多用した[30]
7月17日、写真家篠山紀信が、松本市美術館にて展覧会の打ち合わせの際に優勝したら御嶽海の写真を撮ると約束していた。結果、十両優勝したため2015年9月9日に出羽海部屋にて撮影が行われ、開催中であった『篠山紀信展 写真力』の展示を変更し御嶽海のモノクロ写真が白鵬や朝青龍に並んで掲げられた[31]
9月場所14日目は初めて幕内で相撲を取り勝利した。また、若手のためにと中入り後最初の取組に懸賞金を掛け続けていたもち吉による初めての懸賞金を受け取った。この場所は西十両5枚目で12勝3敗という好成績だったことから、続く11月場所では新入幕となり、この場所は千秋楽に勝ち越した。
2015年9月(十両時代)

2016年[編集]

1月場所は途中休場により入門丸1年にして初めて勝ち越しを逃したが、3月場所は10勝とした。同年4月24日から食あたりで嘔吐を繰り返し、体重が10kgも落ち、回復したと思われた矢先に風邪を引いた[32]が、西前頭8枚目として迎えた直後の5月場所は場所前の不調とは裏腹に11勝を挙げ、敢闘賞を受賞した。東前頭筆頭まで大きく番付を上げて臨んだ七月場所は7日目までの大関戦で力の差を見せつけられ1勝6敗。最終的には5勝10敗と自身初の皆勤負け越し。初めて大銀杏を結って挑んだ9月場所[33]は11日目に勝ち越しを決めるなど好調であり、最終的に10勝5敗の2けた白星を収め、11月場所では新三役となり小結に昇進した。長野県出身力士としては1932年春場所の髙登以来84年ぶり、出羽海部屋からは2005年9月場所の普天王以来11年ぶりの新三役であり、東洋大卒業者としては初である[34]。福岡県新宮町の出羽海部屋宿舎で新三役昇進会見に応じた御嶽海は、新番付を手に「率直にうれしい。(新三役の県出身力士が)八十四年もでてなかったのか、とびっくりした」と率直に喜びを語った。先場所を「上位と戦って『もうちょっとできる』と思った。その経験があったからこそ、先場所は十勝できた」と振り返り「今まで通り、しっかりと自分の相撲を取れば白星につながっていくと思う。苦しい場所にはなると思うけど、勝ち越せるよう頑張りたい」と九州場所への決意を語った。また、御嶽海の新三役昇進を記念して中日新聞社は10月31日、特別号外を発行し、上松、木曽両町で配布した[35]。11月場所では上位陣相手に健闘するものの6勝9敗で負け越し、三役の座からは陥落する。
靖国神社奉納大相撲 土俵入りする御嶽海(2017年4月17日撮影)
靖国神社奉納大相撲 御嶽海の相手は勢(2017年4月17日撮影)

2017年[編集]

西前頭筆頭で迎えた1月場所では初日から3横綱・4大関との対戦が続いたが、2日目に横綱・日馬富士を寄り切りで破り長野県出身力士として1955年初場所初日の大昇以来62年ぶりとなる初金星を挙げると4日目には鶴竜にも勝利し、二つの金星を含む11勝4敗で初の技能賞を獲得した[36]。これにより3月場所は三役復帰となった。場所後の2月17日に佐久市中込のホテルで行われた「御嶽海関技能賞受賞祝賀会」では「応援をしていただいた皆さんの熱気を感じる。3月場所でも二桁の勝ち星を挙げ、また佐久へ戻ってきたい。期待に応えられるよう精進します」と決意を語り、会場の盛大な拍手を浴びた[37]。2月に1日15番を計12日間取って体が鍛えられたことと初場所後に後援者との食事会が急増したことで場所直前には自己最高を更新する161㎏にまで体重が増加。場所前の稽古は同じ堺市に宿舎があり、遠藤ら関取5人を擁する追手風部屋への出稽古が中心であったが。2日、3日、6日の3日間、申し合い稽古で計35番を取ったが、結果は12勝23敗と不調であった。「立ち合いの踏み込みや出足がしっくりこない」と持ち味が影を潜めた様子が報道された[38]。東小結で迎えた3月場所は大関以上に対して自力勝利なし(5日目の白鵬戦は不戦勝)であったが関脇以下に対しては実力を発揮して14日目に勝ち越し。「ほっとしています。(勝ち越しは)うれしい。自分の相撲が取れたので良かった。体が動いている。前に出る気持ちを忘れずにやっているのがよかったのかな」と声をはずませた。自身2場所目の三役の地位であったが、この場所は9勝6敗で自身初の三役での勝ち越しであったが関脇に負け越しがおらず、地位は留め置きとなった。横綱、大関戦での勝ち星がなかった事もあり「まだまだです。横綱、大関に勝てるようにやってきたい」と気を引き締め直していた[39]。御当地の春巡業松本場所では稽古中に左手首を負傷、ほぼぶっつけ本番で挑んだ5月場所は初日から3連勝、6連敗、5連勝とツラ相撲ぶりを発揮し、8勝7敗[40]で場所を終え、7月場所は西関脇へと昇進した。長野県出身の新関脇は髙登以来84年ぶり。6月26日午後、愛知県犬山市内にある出羽海部屋名古屋場所宿舎で記者会見に臨んだ際、御嶽海は「今は上(大関)は目指していない(意識していない)。しっかり勝ち越しを続けることが大事。課題は精神的な部分。力は通用しているから、あとは気持ち。新関脇でも8勝し、そこから二桁勝利を目指したい」と抱負を語った。県出身者として84年ぶりの関脇昇進には「上の人が歴史をつくってきたことはすごいと思う。自分も歴史に刻んでいきたい」と語った[41]。宿舎に入る前日の25日朝に木曽郡内で震度5強を記録した地震の際は、上松町の実家に帰省中だった。「大きな縦揺れで目が覚めた。(地元では)御嶽山噴火災害も思い出されるかもしれないが、不安を帳消しにできるように、自分の相撲を取りたい」と強調した[42]。29日に境川部屋に出稽古へ行った際には豪栄道と三番稽古に挑み、1勝10敗。押し相撲を試みても全く歯が立たず「体力がきれて押す力もなくなってしまった。何回か来て収穫を得たい」と語る[43]
7月場所では、初日に稀勢の里を破って自己最多となる46本の懸賞金を獲得し、「46本? 2つ(の懸賞の束)を持ったのは初めて。気分よかった。最高のスタートが切れた」と6度目の対戦で稀勢の里に初勝利した喜びを見せた[44]。11日目に、魁皇と並ぶ歴代最多勝記録が懸かった白鵬に勝利し、記録達成を阻止した。[45]、この一番について「めっちゃうれしかったです。横綱も記録がかかっていた一番で、緊張感が伝わってきた」と振り返り[46]、さらに「今までで一番多く舞ったんじゃないですか。いやー、うれしい。今まででいちばんうれしい」と喜んだ。同場所は9勝6敗で、2場所連続の殊勲賞を受賞した。三賞選考委員25人中21人の賛同を得ての受賞であった[45]。夏巡業では15分ほどの四股、すり足、体幹トレーニングで体を鍛えた[47]。帰京してから8月29日に稽古を再開し、この日は四股を15分ほど踏み続け、基本動作を終えると、幕下以下の兄弟子たちを相手に14番を連続で取った。夏巡業では稽古の土俵で相撲を取っていなかったこともあり、相手に与える圧力が「軽い」と振り返った。「体調は悪くなく、初日までに本場所の体の切れを戻したい」とコメントしつつ「今場所は(白鵬と稀勢の里の2横綱を破った)先場所通りにはいかない。でも、当たって前に出る相撲を貫き、隙が出たら、つけ込めるはず」と再び殊勲を狙う[48]。続く9月場所、11月場所共に関脇の地位で勝ち越しを果たし、2017年の年六場所を全て勝ち越した唯一の幕内力士となった。

2018年 -7月場所で初優勝-[編集]

1月場所は初日から7連勝を果たして、鶴竜との優勝争い、そして大関獲りへの足掛かりの場所となることを期待された。しかし場所前から増えすぎた体重によって体に痛みが走るなどの症状が出てしまい[49]、8日目に逸ノ城、9日目に栃ノ心と今場所好調の平幕力士に連敗すると調子を崩し、勝ち越しを目前にして連敗は5まで伸びた。13日目に同じく連敗中の鶴竜を下してなんとか勝ち越しを決めたものの、残りの大関戦も負けて結局8勝7敗の成績だった。なお、9日目に栃ノ心と1敗同士で対戦しているが、平幕と関脇が9日目に1敗同士で対戦するのは、1972年3月場所の長谷川魁傑、1981年9月場所の琴風大錦以来これが3例目となった[50]。3月場所は12日目の豪栄道戦で不戦勝に恵まれたものの13日目と14日目を連敗して負け越しを確定させ、千秋楽に勝ったものの7勝8敗の負け越しに終わり、連続関脇在位が5場所でストップした。4月10日の春巡業伊那場所では高安との三番稽古では4勝5敗。一気の出足で押し出すこともあったが、つかまると力負けした。白鵬にはぶつかり稽古で5分間にわたって胸を出してもらい、俵と俵を往復したり、白鵬に頭を押さえ付けられた低い姿勢ですり足をしたりして、何度も転がされた[49]。スタミナ不足は御嶽海も認識しており「体力面で失速しないように、この巡業で鍛えていきたい」と意気込んだ[51]。御嶽海の両親にとっては伊那場所はご当地場所である。伊那市木曽町の間は権兵衛トンネルで結ばれており、伊那市内はクリスチャンの母が礼拝する教会があり、夫婦で買い物も楽しむ場である。「地元に近い会場で、友人と連れだって観戦できる」と両親は巡業が始まる前に息子の雄姿を楽しみにしていた[52]。同年7月場所では西関脇で初日から11連勝と好調な相撲を取り、12日目に大関・髙安に敗れたものの、14日目に栃煌山に勝利して幕内初優勝を決める。千秋楽こそ豊山に敗れて最終的に13勝2敗となったが、御嶽海の幕内最高優勝は大相撲の優勝制度が制定された1909年(明治42年)6月場所以後、初となる長野県出身力士の優勝であり、また出羽海部屋にとっても1980年(昭和55年)1月場所の横綱・三重ノ海以来38年ぶりにして通算50回目の幕内最高優勝ともなった[53]。千秋楽の朝、記者に対しては「優勝しても泣かない」と話したが、インタビューが始まると涙を堪え切れなかった[54]。8月8日、長野県は御嶽海にスポーツ特別栄誉賞を授与すると発表した。同日に記者会見した県知事の阿部守一は「多くの県民に喜びと大きな希望をもたらした業績をたたえたい」と述べた[55]。9月場所は大関取りの場所となるが、審判部長の12代阿武松は7月場所は3横綱が全休と途中休場で中盤までに不在となり、大関の栃ノ心も途中休場したことに言及。数合わせではなく「(秋場所は)それを踏まえ、内容が大きく加味される」との見解を示している[56]。2018年9月場所前の記事では花田虎上から「詰めが甘いというのではなく、勝負がつく前に勝ったと思いこんでしまっている。その前のエアポケットみたいなところを防げるようにならないと、取りこぼしが多くなってしまいます」と指摘されている[57]。同時期の記事で舞の海はおっつけ、もろ差し、右前ミツとバリエーション豊富な立合いを評価しており、稽古不足を指摘されがちな点に関しても逆に2018年7月場所前に体力を温存して本場所に備えて幕内最高優勝という結果を出したことから「御嶽海の場合は相撲をスポーツの1競技としてとらえ、本場所の土俵で勝つか負けるかという感覚で取り組んでいるのだと思います」と評価している[58] 。大関昇進がかかる秋場所は初日から5連勝と先場所からの好調を維持する。6日目に豪栄道に敗れ後退するも7日目には貴景勝の張りにも動じず連敗はしない。しかし中日に勢から初黒星を喫すると、上位対戦の連戦で5連敗。稀勢の里に敗れたところで今場所での大関昇進は無くなってしまう。それでも13日目に妙義龍から白星を得ると翌日には大関としての高安に初めて勝った。千秋楽も白星を得て9勝6敗。来場所に望みを首の皮一枚ながら繋がる形となった。続く九州場所は、初日いきなり黒星発進。さらに、4日目と5日目で連敗と、序盤終えてすでに3敗を喫するが翌日から3連勝でやや調子を取り戻す。しかし、3連敗と2連敗が響き、14日目に負け越しが決まり、大関取りは白紙へ。翌日の千秋楽では、勝てば優勝決定戦に進出する高安を土俵際の掬い投げで破り、小結にとどまれる成績を残した。

2019年[編集]

1月場所は初日から2横綱を破るなど5連勝と好調。しかし6日目の妙義龍戦で左膝付近を負傷し車椅子で運ばれ、7日目から休場。11日目から再出場し、その1番で10戦全勝としていた白鵬を破って関脇以下で横綱3人撃破という1984年3月場所の大乃国以来35年ぶりとなる記録を達成。大関以下の力士が再出場最初の一番で横綱を倒すのは1951年秋場所で備州山千代ノ山に勝って以来約67年ぶりの戦後2人目[59]。勝ち越しを決めた後は思うような相撲が取れなかったものの、3横綱1大関に加え、優勝した玉鷲、優勝を最後まで争った貴景勝の両関脇にも勝っていたことが評価され、殊勲賞を受賞した。途中休場した力士が再出場して三賞を受賞するのは史上初となった。再出場によって優勝争いの流れを変えたことから藤島審判副部長(元大関・武双山)の後押しで前例のない受賞に至った。本人も受賞するとは思っていなかったという[60]。3月場所は1月場所6日目の妙義龍戦で痛めた左膝が完治しておらず、ぶっつけ本番で挑むこととなった。この場所前は出稽古なしで、最後まで関取と相撲をとらない、異例の調整となった[61]。この場所は大関以上には横綱の鶴竜以外に勝てないなど上位の壁に阻まれ13日目に負け越しを確定させるも、残りを2連勝して7勝8敗と踏みとどまった。春巡業中は怪我の影響で実戦稽古が1日数番にとどまるなど稽古不足が伝えられ、5月場所前には体重が175キログラムを計測するなど稽古不足による体重過多が懸念された[62]。14日目に勝ち越しを決めて3場所ぶりの関脇、そして15場所連続の三役を確定させた。千秋楽は既に優勝を決めた朝乃山を一方的に寄り切って勝利し、「力の差を見せつけました。差が出たんじゃないですか」「伊達に三役を2年張ってきたわけじゃない」と意地を見せた[63]。7月場所前の時津風部屋出稽古では、昨年優勝した場所という事もありいつになく稽古を積み、特に前場所優勝した朝乃山を警戒し申し合いを重ねた[64]。7月場所は、中日を終えて6勝2敗と好調だったが後半2連敗などをして失速、結局2場所連続の9勝6敗に終わり、またも10勝に届かなかった。
9月場所は、初日に朝乃山に敗れるも2日目から7日目まで6連勝をする。8日目の貴景勝で負け2敗をする。10日目の玉鷲戦で勝って勝ち越しを決める。11日目の竜電戦で負けるも、13日目の妙義龍戦で勝って、初優勝した平成30年度7月場所以来の10勝を挙げた。14日目の豪栄道戦では珍しく注文相撲をし11勝を挙げ、3敗の貴景勝、隠岐の海と優勝争いの先頭に立つ。ただしこの注文相撲は波紋を呼び、解説者の北の富士勝昭に、「次期大関の呼び声も高い力士が、今場所最大の見せ場に立ち合いの変化とは、こんな勝ち方をして誰が喜ぶというのか。実に情けないことだ。すっかり気分が悪くなった。もう寝よう」と酷評された[65]。千秋楽は遠藤を寄り切りで下し、12勝3敗同士の優勝決定戦で貴景勝と対戦。その貴景勝を寄り切りで下して自身2度目の幕内最高優勝を達成[66]。関脇の地位で2度の優勝は、後の横綱・朝潮以来62年ぶりの快挙だった。優勝を果たした場合という条件付きで千秋楽に受賞を懸けていた殊勲賞も獲得[67]。大関昇進の夢を11月場所でかけることになった。11月場所はまたこの年の年間最多勝が懸かっており、9月場所終了時点で45勝の暫定1位。これにより同点で暫定1位タイの阿炎と並ぶ格好となった[68] 。しかしその11月場所は1勝1敗で迎えた3日目の明生戦で右目の上を切り(この取り組みには寄り切りで勝利)、そこから恐々と相撲を取るようになって3連敗を喫するなど失速、14日目に負け越しを確定させて大関取りはまたしても白紙になった[69]。更には千秋楽にも阿炎に敗れて6勝9敗となり、17場所連続で務めた三役から陥落となった。12月26日の部屋での稽古では出稽古に来た碧山、栃煌山らと17番取ったが本来の動きの良さは取り戻せておらず、圧力負けする場面が目立ち「前に出ることと、しっかり当たることを意識したが、まだ体が重い」と振り返った[70]

2020年[編集]

出羽海部屋で行われた出羽海一門連合稽古では妙義龍ら関取衆と9番、相撲を取った。押し負ける場面が目立つなど仕上がりはこれからの印象で、「体が重かった」と振り返った[71]。西前頭2枚目で迎えた1月場所は11日目に7勝4敗としながら4連敗を喫し7勝8敗で負け越し。3月場所は初日から6連勝、7日目・8日目は両横綱に連敗するも、14日目に隆の勝に敗れるまで優勝争いに残り10勝5敗で終えた。4月27日の番付発表において西関脇となり、2場所で三役復帰を果たす。
7月場所は、初日から7連勝した後2連敗したが10日目に全勝の新大関の朝乃山を破り、12日目には一敗の白鵬を2敗に引きずり降ろし、千秋楽まで優勝争いに加わった。白鵬の休場もあり、14日目終了時点で2敗で照ノ富士を3敗で朝乃山、正代、御嶽海が追う展開となった。千秋楽で照ノ富士戦に勝てば巴戦だったが、照ノ富士に完敗し優勝を逃し、11勝4敗で終えた。
昨年優勝した9月場所は先場所に続いて西関脇の地位での場所となり、正代と大栄翔に並んでの大関取りへの足固めの場所となる。しかしこの場所は低調ぶりを八角理事長から「気力がないね。『一生懸命押すんだ』と『何となく』というかね」「もっともっと相撲に気持ちをかけなきゃ。気持ちが、どっかに行ってしまっている感じがする」と嘆かれた[72]。北の富士からも「御嶽海のだらしのないこと甚だしい限りである。まるでやる気が見られない。これでは名門出羽海部屋もお先真っ暗であります」と切り捨てられた[73]。結局この場所は8勝7敗で終えた。
10月20日に両国国技館相撲教習所で行われた合同稽古では白鵬と三番相撲を行い、23戦1勝22敗。稽古嫌いで知られる御嶽海が珍しく熱心に稽古していることから白鵬は「稽古しすぎると、雪が降るぞ」とからかっていた[74]
11月場所は2019年11月場所以来となる東関脇の地位が与えられた。正代が大関に昇進し、新三役で先行した御嶽海にとっては、大関昇進で逆転されるのは貴景勝と朝乃山に続いて3人目だが「正代関は自分の相撲を取って上がっている」と地力を認めつつ、学生時代に同じ学生横綱のタイトルを取った1学年上の昇進を「自分にもまだチャンスはある」と発奮材料にすることとした[75]。この場所も数字上は大関昇進の可能性が僅かにあったが、9日目から6連敗を喫するなど結果は7勝8敗で負け越した。これで3度目の大関取り白紙となった。

2021年[編集]

1月3日の稽古開き以降、主に部屋の三段目を相手に1日約20番相撲を取る調整を行い1月場所に備えた。「ぐずぐずしていられない年になった。優勝して大関に上がりたい」と新年の意気込みを示した[76]。1月場所は8日目までに3大関全員に勝利した一方で関脇以下の相手には全敗するという珍現象で3勝5敗、後半は6連勝と持ち直したものの9勝6敗で終え、またしても二桁勝利に届かなかった。
3月場所は千秋楽で勝ち越しを決め、8勝7敗で終えた。千秋楽後、またもや二桁勝利を逃した原因を聞かれて「それをみんなに聞きたい。これから考える。課題はないよ」とコメント[77]
2021年4月20日の合同稽古では十両以上と合計24番相撲を取る稽古を行い「多かったですね。今日、雨降るんじゃないですか。快晴ですけど」とジョークを飛ばした[78]
5月場所は、初日から3連勝するも4日目に照ノ富士に敗れ1敗。その後途中3連敗を喫するも、最終的には10勝5敗で場所を終え、およそ1年ぶりに三役で二桁勝利をあげることとなった。
7月場所直前の7月2日、「(三役で)連続で2桁取ったことないから、こういうチャンスで2桁連続で取りたい」と意気込みを語った[79]
8月24日に相撲教習所で行われた合同稽古では15番相撲を取って7勝8敗。陸奥親方からかけられた「(もっと)稽古をやっていたら今ごろ(大関に)上がっていたよ。(もっと稽古を)やったら強いんだから」という言葉に「元大関の人に僕みたいなのに話し掛けてもらって、気にかけてもらっているのがうれしくて、それもあってスイッチが入って、今日は気合が入った」という[80]。しかし7月場所は序盤は平幕相手に連勝を重ねるも後半、役力士相手に苦戦し結局8勝7敗で終わり目標にしていた2場所連続二桁勝利は達成できず場所後の大関取りの話題などもちろん皆無だった。
9月場所は序盤から好調を維持し11日目終了時点で3敗で照ノ富士を2差ながら追っていたが12日目から照ノ富士との直接対決含む3連敗を喫し結局二桁勝利はまたしても叶わなくなり最終的に9勝6敗で終わった。11月場所直前には「横綱にはなりたくないんですけど…。目標となる一番近い大関には早くなりたいし…。もう上に3人しかいないからね。早く大関の枠に入りたいなと思いますね」と個性的な表現で抱負を語った[81]
11月場所、初日から3連勝を果たしたが錦戸審判長から「(存在は)面白い」とされつつも「ただ、彼は期待を裏切りますから。強い御嶽海と弱い御嶽海がいるから、なんともねえ」と辛口のコメントを受けた[82]。6日目の妙義龍戦では、立合いで左へ大きく変化し、自らの懐へ招き入れる雑な叩き込みで白星を収めた相撲のその内容から、藤島審判長から「あんな立ち合い、相撲では駄目だ」と手厳しいコメントを受けた[83]北の富士勝昭も「関脇で終わってもよければ、それでもいいでしょうけど、やっぱり大関、横綱に上がる気があるなら悠長なことは言ってられないですよ」と一層の奮起を促した[84]。勝ち越しは自身2番目の速さである9日目[85]。終盤に負けが込んだものの11勝4敗で年最後の場所を締めた。翌2022年1月場所は、成績次第では大関昇進が見える大関取りの場所となった[86]。12月20日の合同稽古では、9番取って3勝6敗。番数が少ないようにみえたが「関取衆の重さを感じながら、体が動けるか確認しながらやっていた」と、量をこなすのが狙いではない模様であった[87]

2022年 -大関昇進から僅か在位4場所で関脇陥落、史上ワーストの短命大関に-[編集]

2022年1月場所前、伊勢ヶ濱審判部長は、「直近3場所で合計33勝」に達する13勝を挙げれば大関昇進を認める考えを否定し、全勝優勝を大関昇進のためのノルマとして掲げた[88]。本人は「目標は2桁」と今場所での大関昇進への意識は全く見せなかった[89]。その1月場所では初優勝をした2018年7月場所以来となる初日から8連勝をし幕内力士で一番に勝ち越した[90]。しかし、10日目に北勝富士戦に敗れ1敗になり2桁勝利は翌日以降に持ち越したが[91]、翌11日目に正代戦に勝ち10勝を挙げ、自身初めて三役で2場所連続の2桁勝利を挙げた[92]。その後は12日目の阿武咲戦で敗れ、2敗となったが、13日目の阿炎戦、14日目の宝富士戦と勝ち、14日目に照ノ富士が敗れたため、優勝争いでも単独首位となる。千秋楽は照ノ富士戦が組まれ、照ノ富士戦も勝ち3度目の幕内最高優勝を決めた。また、今場所13勝を挙げ、日本相撲協会の審判部は大関昇進に向けた臨時理事会を招集したため、この時点で事実上大関昇進が確定し[93]、場所後の1月26日の番付編成会議で正式に大関昇進となった。長野県出身力士の大関昇進は、江戸時代の1795年雷電爲右エ門以来、227年ぶりとなる。大関伝達式の際の口上は「大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道に邁進して参ります」だった[94]。また翌27日には、1歳上の一般女性(後援会の関係者)と結婚していたことを発表した[95]。2月22日、東洋大学理事長賞が贈呈された。21日に東京都文京区のキャンパスで表彰式が行われ、御嶽海は「長い間、お待たせしてしまった。番付がある世界で諦めも必要なのかと思ったこともあったが、皆さんの期待に応えたいという思いでここまでくじけずにやってこられた。横綱昇進を目指して頑張っていきたい」とコメント。因みに東洋大学からの大関昇進は大相撲史上初[96]
3月場所の番付発表によって番付表に大関として四股名が掲載された。番付発表会見ではあらためて番付表に「大関 御嶽海」と書かれた文字を見て「目標にしていた1つのところにいけたのでうれしく思っています。(文字が)輝いていましたね」と笑みを浮かべた。「(相撲に対して)熱い方が多い。新大関の期待にしっかり応えられるように恥ずかしくない成績を取りたい」と意気込んだ。すでに関西の関係者からは祝福の声などが多数寄せられているという。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で朝稽古の見学はできず、外出も自粛となっているだけに「ちょっとでもあいさつできればうれしいですけど、その思いをしっかり分かった上でこれから精進していきたい」とコメントした[97]。なお、大関昇進まで三役在位28場所は史上4位のスロー通過[98]
新大関となった3月場所では14日目に4敗目を喫して優勝の可能性が消滅するまでの間、優勝争いに加わった[99]。この場所は11勝4敗で終え、この星取りを「いいんじゃないですか。悪くはないと思います」と振り返った一方で、大学の後輩の若隆景に優勝をさらわれたことには「大関として恥ずかしいと思います」と厳しい表情を浮かべた[100]
4月6日、長野県庁で行われた県民栄誉賞の贈呈式に出席し「なかなかいただけるものではない。早いに越したことはないが、皆さんに大関という地位を楽しんでもらい、横綱を目指していきたい」と決意を語った[101]
5月場所前には5月場所について「10勝は絶対最低限クリアしていかなきゃいけない」と決意を見せた[102]。しかし場所は6勝9敗の負け越しとなり、続く7月場所は自身初の角番。6月22日の稽古後、5月場所初日に右肩を負傷したことを明かした。この時点では相撲を取る稽古が出来ず、基礎運動中心となっており「ぶっつけ本番でもやらないといけない」と語っていた[103]
7月場所は角番で迎え、6日まで2勝4敗と黒星が先行していたが、同部屋の協会員が新型コロナウイルスに感染したことが判明。(翌日の17日に、16日の夜の御嶽海自身の新型コロナウイルス感染を発表[104]。)このため、御嶽海はじめ部屋所属力士全員が7日目(16日)から休場となった。仮に救済措置が取られなければ大関陥落となり、大受久晃の5場所より短く(2場所連続休場で陥落した武双山、貴景勝を除く)、大相撲史上ワーストの短命大関となる見通しだが、もし大関に据え置かれれば翌9月場所も角番で迎えることとなる[105]。6日目まで2勝4敗で相撲内容も極めて悪く仮にそのまま皆勤していれば負け越していた可能性は極めて高かったためなんとも後味の悪い結果となり、北の富士も自身のコラムで救済措置に否定的な意見を示している[106]。 7月27日、伊勢ヶ濱審判部長は御嶽海について「番付発表までは発表できない。番付発表の後でしたらどう対応したかいくらでも話しますけど、今話すと番付が分かってしまう」と断りを入れつつも「ベースは今までと同じだけど番付発表まで言えない」と説明した。場所中の陽性判定による途中休場は初めてで、想定したルールは設けられていないが、伊勢ヶ濱審判部長の話を総合すれば、御嶽海は秋場所も角番で迎えるとみられる[107]。結果8月29日発表された秋場所の番付では大関にとどめられており、秋場所は再び角番ということとなった[108]。場所後の夏巡業には感染症からの回復が間に合ったため参加。8月7日の夏巡業さいたま場所が行われた際には「来場所も大関として仕事を果たしたい。10番取れるようにしたい」と2桁白星を目標に掲げた[109][110]。しかし異例の2場所連続角番で迎えたその9月場所でも復調せず11日目に負け越しが決まり、大関在位僅か4場所で陥落することとなり、前述の大受より短い(年6場所定着後、大関復帰者を除く)史上ワーストの短命大関となった。10月15日の秋巡業久喜場所中、大関特例復帰の懸かる11月場所の意気込みについて「気持ちだと思います。技術とか稽古とか。いろいろ言われますが、自分の場合は気持ち一つだと思っているんで。それで決まってくる。誰よりも強い気持ちで1日1勝を目指したい」と力強く語った[111]。11月場所は、初日の明生戦で低い立合いからの左おっつけで一気に押し出した相撲を指して、北の富士から「気迫も十分に感じられたので10勝は楽勝だろう。私が自信を持って予想するが、まず間違いないだろう」と絶賛された[112]。しかしその後は調子を落とし、6日目から連敗して迎えた10日目の翠富士戦に寄り切りで敗れて6敗目を喫し大関特例復帰の可能性は無くなった[113]。この場所は大関陥落が決定した正代同様に6勝9敗に終わり、この様子に普段は大関陣に厳しい15代武蔵川も「大関は協会の看板だけれど体の調子が悪いのなら、番付を考えず、土俵に上がらないでいいんだよ。負けが込むとやっぱり落ち込むし、相撲から気持ちがどんどん離れて行ってしまう。そうすると、相撲人生の危機なんだ。 本人が出場すると言っても、そこは師匠の判断で、まずは体と心のケアをきちんとさせてあげなきゃダメ」と心配していた[114]

2023年[編集]

3月場所は4勝11敗と不調で、14日目の隆の勝戦は北の富士に「隆の勝と御嶽海の一番を見たが、御嶽海は全くやる気なし。こんな力士こそ、お客さんに失礼だから休場したほうがいい。元大関が泣く、みっともない」と酷評された[115]
西前頭6枚目でむかえた5月場所は、13日目に大栄翔を破り、7場所ぶりの勝ち越しを決めた。
7月場所直前の7月5日、父が74歳で死去した。父の死去を受けて御嶽海が葬儀の喪主を務めるため、部屋の宿舎のある犬山市から実家の上松町に一時帰省した[116]。この場所は父を喪った心労からか、9日目に負け越しを確定させるなど絶不調[117]。最終的には3勝12敗の大敗。なお、場所中にはフィリピンに住む母方の祖母も死去した。場所後には長野県に帰り、亡き父に「今場所は情けなかった」と謝りつつ「だけどまた三役を目指すから、ちょっと力を貸してよ」と伝えたという[118]

2024年[編集]

2月12日、東京都内のホテルで約500人を集めた結婚披露宴を開いた。コロナ禍もあって華燭の典は入籍から2年後に延びたが「ようやくやれてうれしく思います」と表情を和ませた[119]

エピソード[編集]

取組関連[編集]

  • 小学校6年生だった2005年に、「NHK福祉大相撲」の少年力士が関取に挑戦する企画で、大関返り咲き直後の栃東の胸を借りた。
  • 先述の元幕内・大道とは2015年7月場所7日目に対戦し勝利[120]。「大道対決」はこの一番のみだった。
  • 2016年1月場所7日目の千代大龍戦は「寿司屋の常連対決」として話題になった。その4年前から千代大龍が通う九重部屋近くの寿司屋に御嶽海が通い始め、千代大龍は「負けたら店で会った時に気まずいから絶対勝とうと思った」という。取り組みは千代大龍が右上手をつかむと、力強い寄りで御嶽海を破った[121]
  • 2017年5月場所4日目の高安戦で首投げによって黒星を喫した際には「意識せざるを得ないです。置いて行かれたから」と大関取りで先を越されたことを悔しがるコメントを見せ、さらに「興奮しすぎて(相撲内容が)分かっていない」との様子であった[122]
  • 2017年1月場所2日目に日馬富士から初金星を奪った御嶽海だが、この時インタビュールームでは泣こうとしつつも泣けないような微妙な表情をしていた。音楽評論家で作詞家の和田靜香は「まるで『お母さん~』とウソ泣きを通した80年代の聖子ちゃんのガッツある魂に重なるかのよう」と評している[123]
  • 白鵬に現役最後の黒星を付けた力士でもある。白鵬の引退の際に御嶽海は「同じ時代に土俵に立てて、対戦もできて光栄だった。周囲からいろんなことを言われても、きちんと準備して結果を残し、横綱の責務を果たされていた。勝ちに貪欲で、一番にかける思いは誰よりも強いと肌で感じた」と対戦を振り返った[124]
  • 2022年5月場所初日は母の日(5月8日)であったが、この日は大関以上で唯一となる白星。後述の通り母親が話題の人であることもあって、この白星は母親に捧げる白星と注目を浴びた[125]

巡業関連[編集]

  • 2017年4月14日の春巡業松本場所では長野県のご当地力士として人気を集め、6,000枚のチケットはほぼ完売するなど盛況であった[126][127]

タニマチ・化粧廻し[編集]

  • 2022年7月場所から高橋ヒロシから贈呈された『WORST』の登場人物が描かれた化粧廻しを使用[128]

稽古態度[編集]

  • 学生時代は「遊び稽古」という、土俵の外でいろいろと小技を試す嗜みを行い、勝負勘や技術を養った[129]
  • 「稽古をもっとすれば強くなる」という意見に対して御嶽海は「稽古場でやったことが本場所の土俵で出るんだ、というけれど、その逆の力士だっていると思うんです。今の自分は、稽古だけじゃないと思う『このままでは現役寿命が短くなるのでは』などとも言われますけど、例えば、今、幕下でガンガン稽古して、3年後に強くなるぞと言われても、その頃には膝がボロボロで関取になれなかった---では意味がない。"今この時の稽古"を自分なりにして、今、結果を出さないと。そう僕は思っています。それが、もしこの先の現役寿命を短くしてしまうことになっても、そこは変えたくない。僕は"今を生きている"んです」と自分なりの相撲論を展開している[129]
    • 稽古嫌いとされているにもかかわらず相撲で結果を残すことから、2019年2月3日に行われた成田山新勝寺の豆まきに参加した際、控室である横綱から「稽古しないで勝つ方法、オレに教えてくれよ!」とからかわれた[130]

四股名[編集]

  • 2018年8月の報道によると、大関昇進を機に両国大錦といった部屋ゆかりの四股名に改名することに対して「歴史ある部屋だからこそ、しこ名を受け継げる。その資格を備えて許されるものなら名乗ってみたい。それが伝統だから」と意欲を示している[56]

その他相撲関連[編集]

  • 自身の初土俵から上松町の公民館では場所ごとにパブリックビューイングが行われている[131]
  • 昇進が早く、入門当時稽古を付けてもらっていた兄弟子を今は付け人にしている。
  • 2017年5月場所前の記事では、場所に際して「まずは勝ち越し」としか言わない力士であるとされている。上位へは勝ち越しを続ければ絶対に上がるというのが本人の考えである[132]。新関脇昇進会見でも「力は上に通用している。高安関と同じ地位に立ちたい気持ちはすごく大きい。でも、意識しても上には行けない」と堅実に勝ち越しを目標とした[133]
  • 東洋大学1年生のとき、全日本大学選抜相撲十和田大会決勝で遠藤聖大を破って優勝を果たした時、両親から腕時計をプレゼントされた。この腕時計は角界に入ってからも大切にしている[134]
  • 2018年2月10日の第51回NHK福祉大相撲では、オープニングでわーすたと元気よく『め組のひと』を歌った[135]。ソロでは『OH MY LITTLE GIRL』を歌い上げた[136]
  • 「15戦全勝」に繋がる験担ぎとしてさがりの本数を15本にしている白鵬にならって自身も同様にさがりを15本にしている[137]
  • 2019年9月場所の優勝インタビューで投げキッスを行ったが、これには大相撲解説者の花田虎上も「僕らの時代では考えられないです。新しい時代、相撲とともに変わりつつあるんですかね」と終始笑顔で振り返り、好角家の高須克弥も「お相撲さんが投げキッスをするの、初めて見ました」と笑っていた[138]
  • 自身の凱旋を兼ねた木曽町合宿が、例年7月場所前に部屋で行われる。2020年から新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になっていたが、2023年に4年ぶりに再開[139]。因みに木曽町は自身の出身地である上松町と同じ木曽郡である。

イベント・トークショー関連[編集]

  • 2017年6月16日、長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷の障害者支援施設「阿智温泉療護園」を訪れ、利用者ら約120人と交流した。東小結で臨んだ5月の夏場所で勝ち越して初の殊勲賞を獲得し、7月の名古屋場所では関脇昇進が有力になっている御嶽海は「さらにその上を目指していきたい」と意気込みを語った。利用者から「ご飯は何杯食べるか」などの質問が飛び、御嶽海関が「夜は茶わんで10杯くらい。これでも少ない方」と答えると驚きの声が上がった。理想の女性像を聞かれると「きれいめな人が好き」と照れながら話し、会場から笑いを誘った。訪問のお礼に、好物のプリンが職員から贈られると、思わず笑みがこぼれた御嶽海。交流後には利用者や子どもたちに囲まれ、サインや握手に快く応じていた。握手をした利用者の女性は「大きくて優しそうな手だった」と感激していた。御嶽海との交流は、同施設が毎年開いている利用者とその家族の交流会に先立ち開催。御嶽海が村内の旅館関係者と親交があり、同日にこの旅館を訪れていたことから実現した[140]
  • 2017年10月1日、坂城町鉄の展示館で一日館長を務めた。同館で開催中の特別展「大相撲と日本刀」を見学したり、トークショーに登場したりして、詰めかけた大勢のファンらと交流した。同館で山村弘町長から一日館長の任命を受けた御嶽海関は「先場所は、ハラハラドキドキさせました。来場所は、皆さんが落ち着いて見ることが出来るように頑張りたいと思います」とあいさつ。続いて、握手会に臨み、集まった約560人のファンらを笑顔と握手で迎えた。特別展「大相撲と日本刀」の会場では、展示中の歴代横綱の化粧まわしや、土俵入りで使用された太刀などを学芸員の説明を聞きながら熱心に見て回った。トークショーでは、2017年9場所に7勝6敗で迎えた14日目以降「ストレスで胃炎になった。けっこうしんどかった」。だが、千秋楽で勝ち越し、「ほっとした。胃の痛みもどこかへ行ってしまった」。また「(自身は)さみしがり屋でコンビニも1人では入れない」と言う。「彼女はいますか?」との質問には「一緒にいてなごめるような人」がタイプと返答。「彼女、募集中です」などと、巧みなトークで会場を沸かせた[141]
  • 2018年6月23日に地元長野県の松本市を本拠地とするプロサッカーチーム松本山雅FCのホームゲームにゲストとして来場した。その際「チームが勝利したら名古屋場所で2桁勝利する」と宣言した。チームはジェフユナイテッド千葉に4-2で逆転勝ちし、御嶽海は名古屋場所で2桁勝利だけでなく幕内最高優勝までもを果たした[54]。なお、チームでは御嶽海が優勝した7月21日に行われた京都サンガ戦において、ホームスタジアムのアルウィンでアナウンスがあり、サポーターから御嶽海コールが行われた。
  • 2018年7月2日に行われた名古屋駅前の商業施設「KITTE名古屋」でのトークショーでは「地元に近い場所ですし、声援は名古屋場所が一番大きいと自負しています」と話す一方で「ファンからの手紙を1度ももらったことがない」というエピソードを披露した。また、数日前に名古屋場所に向け、関取衆が各自で七夕の短冊に願い事を書くという企画があった。MCから何を書いたか問われた御嶽海は「イケメンになりたいと書きました。まあまじめに言えば、2ケタ勝ちたいとかありますけど、僕には"イケメン"の方が切実です」。自虐ネタ連発で、場内の笑いを独占していた[142]
  • 2019年11月5日に福岡市内でトークショーに参加した際、理想の結婚相手の条件として「年上」「母親似」「フィリピン料理が得意」と挙げた[143]

趣味・嗜好・特技[編集]

  • 2017年3月場所前の週刊誌の記事では「僕はスラッとしたクール系の女性が好きです。北川景子さんや相武紗季さん、米倉涼子さんのような。でも性格はおっとり系がいいなぁ。そういうギャップに弱くて(笑)。お互いに成長できる関係が理想です。自分より人生経験豊富な人は勉強になる部分がたくさんあるので、年上の女性に惹かれます」と答えている[21]
  • 温泉が好きであり、父親の実家に近い長野県の開田高原の中にある温泉には、少なくとも月に1回は通っていたそうである。「硫黄のにおいが好き。地元の温泉は鉄分が強い真っ茶色なんですけど、硫黄がすごく強い。乳頭温泉も硫黄のにおいがすごくて、好きな温泉でした」と御嶽海は2016年の夏巡業中に振り返っている[144]
  • ボウリングも趣味の1つ。その縁で2018年9月5日、日本ボウリング場協会からボール、シューズ、バッグの「ボウリング3点セット」と「ボウリング1ゲーム無料券」100枚が御嶽海に贈呈された。贈呈は名和秋渡辺けあきが手渡しで行った[145]
  • 好物はバナナ寿司焼肉[21]プリン[5]。好きな俳優は峰竜太[134]
  • 部屋公式ホームページによると、憧れのボクサーはマニー・パッキャオ、好きな漫画は『クローズ』、座右の銘は『実るほど首を垂れる稲穂かな』[146]

テレビ出演[編集]

  • 2019年5月2日放送のTBS系「プレバト!!」に出演し、『俳句の才能査定ランキング』に挑戦。「大型連休の電車」をお題に詠んだ一句「居残りの 鉄砲響く 春巡業」が才能アリ1位の評価を受ける。「春場所で負け越し、次の五月場所に向けて思いを春巡業にぶつけたい。パワーアップして五月場所優勝したい」という思いを込めたと話した[147]俳人夏井いつきは「『居残りの』『鉄砲響く』で読者に一体何事? という謎かけをして、最後の下五の『春巡業』(季語)で全容が分かる句。この下五の力が大きい。鉄砲が相撲の稽古のしかたと分かるとさらに楽しめ、『響く』の位置も効果的でよく考えて言葉の配置をしている」と分析、直しなしとしている。

人間関係[編集]

  • 2017年5月場所中、同じ東洋大OB(卒業後、御嶽海在学途中まで職員として勤務)である村田諒太のプロボクシング世界タイトル初挑戦があったが、御嶽海は「ニュースで見ただけ」であり自らの相撲に集中した[40]
  • 2021年4月28日に急逝した三段目力士の響龍は同学年で高校時代に対戦経験もあり、心を痛めているという。「危険なスポーツだということを改めて思いました」と話している[148]
  • 萩野公介とは親交があり、2021年6月に長野県で行われた合宿中に肉やフルーツなどの差し入れをした[79]

家族[編集]

  • 2018年名古屋場所で優勝した後に北海道巡業で北の富士に挨拶をしたところ、「おー、母ちゃんきれいだな」「母ちゃん金星だな」と言われたという。母親は応援に来てくれる人々一人ひとりに挨拶をして回り、普通は「〇〇関のお母さん」と言われるところを「マルガリータさん」と名前呼びで親しまれている。自身が母親のサイン入り色紙にサインを求められることもあり、そのようにファンに接してくれている母親と表には出ないが裏でしっかりサポートしている父親に感謝の思いを述べている[149]

その他[編集]

  • 2017年11月12日からヒノキで作った御嶽海の彫像の販売がインターネットなどで開始された。御嶽海の地元である上松町の樹脂切削加工会社「今泉製作所木曽工場」が手掛け、3Dスキャナーを使って計測した本人の立体データを基に、木曽産のヒノキの角材を工作機械で削りだした。御嶽海の彫像は台座部分を含めて高さ23cm。大銀杏を結い、御嶽山が描かれた化粧まわしを締めた御嶽海が仁王立ちしている。筋肉の隆起や化粧まわしのかざり部分など、細部の質感までリアルに表現されているのが特徴である[150]
  • 2018年1月場所中日、マスク姿で国技館へと場所入りした。コロナ禍前に力士がマスク姿で場所入りすることは珍しい光景だった[151]
  • 2019年12月6日の冬巡業大分場所中、2019年を表す一文字に「無」を選んだ。一文字の意味を「無心とか、無の心」と説明[152]
  • 山川穂高は御嶽海に似ていると評される。2023年5月場所中、女性トラブルに揺れる山川の話題について「(インターネットなどで)『西武の御嶽海』と書かれていたから何事かと思った」と驚きを見せ、被害届を提出した女性に配慮しつつ「今後どうなるのか」と気に懸けていた[153]
  • 絵がとても下手であることを自認しており、日刊スポーツの企画で絵日記を書いたときに話題になった。本人は「絵は本当にダメなんです。小学生のとき、50歳くらいの先生に『今まで生きてきた中で、見たことがない(くらい下手)』と言われたことがありますからね。あれは衝撃でした」と言う[154]

取り口[編集]

基本的に突き押しを得意とするがとっさの変化も見られる。藤島は新入幕を迎えた御嶽海を「力が強いというよりも、瞬発力なんです。ほかの力士よりコンマ何秒か速いのです」と評しており、NHK大相撲ジャーナルの編集長である緒方喜治は「藤島親方の若いころを思い出すのではないですか」と感想を漏らしている。阿武松は「いちばんいいのは、膝が常に曲がっていることです。だから体の芯がブレません。叩きも食いにくいのです」と評する一方で「ただ、押し切れないときに差すことがありますが、差してしまうとまだまだ。これからの課題です」と注文を付けている[155]。四つ相撲もある程度取れるがどちらかというと右四つ得意であり、左四つで胸が合うと弱い[156]

中学生の時にもろ差しになって密着する相撲を取っていたので四つになることもあるが、部屋でも「まわしがないと思って取れ」と押し相撲に徹するように指導されている。[14]あまり稽古熱心でないことでも知られており、2016年11月場所前の座談会では出羽海部屋の部屋付き親方でもある中立からは「入門以来、がっちり稽古をした日はないかもしれない(笑)。何というか、周りに合わせて稽古をしているというか。だから、そのうち、大きな怪我をするんじゃないかな。そこが心配だね。ちょっと痛かったりするとすぐに逃げようとするから」と苦言を呈された[157]朝日山は2016年11月場所前に押しをベースとしてその流れで廻しを取って攻める相撲を評価しており、今後この相撲をどう取ればよいかについて「具体的に話すと、まずは、丸い体でバンと一発頭から当たります。背中を丸めて、当たる角度も考えます。そして、パンパンパンと弾くような突っ張り、または伸びのある突っ張りで相手をのけぞらします。そして、もう一回しゃがんで中にもぐりこむのです。理想的な形としては嘉風のようなイメージです」と話している[158]

2017年1月場所中の朝日新聞の記事では御嶽海の指導に当たる中立が、場所4日目に鶴竜を破った相撲を指して「俺らの方がビックリしているよ。場所前のけいこでは、春日野部屋の力士に歯が立たないんだもの。でも、本場所の一番になると力を出す。あいつは『場所相撲』だな」とうなった[159]。おっつけは相撲の流れの中で多用することがあり、2017年3月場所7日目の日馬富士戦では敗れはしたがおっつけで土俵際まで追い詰めた[160]。2017年5月場所前の元黒姫山の論評では、土俵の真ん中で四つになることをせずに土俵際まで押し込んで最後に四つになるケースが増えれば、2ケタ白星も楽に狙えるだろうと言われた[161]。ケガを訴えても直後の場所では平気で土俵に上がるタイプであり、2017年5月場所前の西岩(元関脇・若の里)は「何場所か前でしたけど、場所直前にケガをして自力で立てなかったのに、初日はケロッとしていい相撲を取っていましたからね。御嶽海のケガは信用できません(笑)」と発言しており、同時に「いかにも現代っ子というか、入った部屋が良かったんですね」と感想を述べている[162]。2017年5月場所の相撲を見た尾車は「以前は押し相撲だったが、組んでも相撲が取れるようになった」とこの時点での御嶽海を評している[163]。2017年7月場所前のコラムでは、舞の海が「当たってもろ差しといういい意味での癖がついています。また塩を取りに行く時、厳しい顔つきで肩を回したりしますが、朝青龍や日馬富士のように、自分を乗せていくのが上手いと思います」「御嶽海は、稽古で負けながらも、相手の癖とか強いところをチェックしているのではないでしょうか。御嶽海は稽古場では死んだふりをしているので、それにだまされちゃいけないんですよ(笑)」[164]2017年7月場所後の記事では緒方喜治が、一瞬不利な体勢になっても瞬時に立て直す相撲センスなどを評価している[45]。同時期の座談会では、錣山が「相撲がはっきりしなくてこれだけ勝っているのですから、すごいと思いますね」と感心している[165]。2017年9月場所前の記事では中立(元小結・小城錦)が「決まり手は寄り切りや押し出しになるが、そこに至るまで相手の嫌がる方に、かいなや足を素早く運べる。教えて出来る技ではなく、子どものころから培われた天性の素質」と言っており、八角理事長は「高安には厳しいかち上げを受け、白鵬には張り手を、どんどん受けたらいい。四つになっても勝てるなんて勘違いしたらいけない」ときついコメントを残している[166]

2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝阿武咲北勝富士とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘している一方で、相撲の臨機応変さを評価している[167]。2019年1月場所後の記事では、県相撲連盟選手強化副部長で、子供の頃の御嶽海を指導した中村協和はもろ差しで巨漢力士の重心を上げる相撲を評価する一方、体重を同時点での170kgよりも増やさないようにと体重管理を訴えた[168]。2018年3月場所前には舞の海から、概して「大兵や怪力の相手には二本差しにして上手を取られる前に出るかどうかが肝心」という論評を受けている[169]

2019年11月場所中、14代玉ノ井から前屈みになって背中を丸めて前に出ることを忘れ、上体だけで相撲を取っていると指摘された[170]。その場所の負け越しを確定させた際、7代高砂が「頭同士で当たって裂傷を負うなど相撲には付きもの。そんなことを嫌がって、こわごわと取っていては大関になどなれない」と一刀両断している[69]。14日目の白鵬戦の完敗について、荒磯は「今のままでは大関は厳しいと言わざるを得ません。考えてもダメであれば体をつくって稽古をするしかありません。彼の強さ、うまさ、才能も知っているだけに、あえて厳しく言いますが、本当に残念です」とコメントしている[171]。11月場所後、15代武蔵川は張られないように顔を上げず顎を引くべきだと指摘している[172]。2020年始に八角理事長も7代高砂同様に2019年11月場所に右目の上を切って意気消沈してしまったことを残念がるコメントをしていた[173]

2019新型コロナウイルス感染拡大防止のため出稽古が禁止されていた中で行われた2020年7月場所は好調であったが、その要因として「普段から稽古熱心な力士ではないだけに、逆に幕下との稽古で疲れが残らず、場所が進むにしたがって調子が上がっていくのではないか」と分析された[174]。突き起こして前に出て押し込む相撲が取れないまま差されると脆く、同場所9日目の霧馬山戦での黒星はその一例である[175]

2021年5月場所中、北の富士勝昭から安易な変化、場所の勝ち越しが濃厚な状況での投げやりな相撲を非難された[176]

調子の良い場所では頭から当たる立合いが冴え渡り、2021年9月場所6日目の琴ノ若戦はその好例である[177]。2021年9月場所中、花田虎上のコラムで「懐に入った相撲は本当に強い」と評された[178]

精神面の甘さが弱点の1つであり、2021年9月場所7日目の逸ノ城戦で敗れた際に八角理事長は「気持ちがこもっていなかった。精神的に甘いところがあるから、こういう相撲になる。15日間、気持ちをこめて、いい立ち合いをするには場所前の稽古で、ちゃんとやらないと難しい。普段の稽古が、こういうところでモノをいう」と残念そうなコメントを並べた[179]

2021年11月場所中、花田虎上は足がしっかりと出る立合いとやはり得意の下からのおっつけで起こす相撲を評価した。そして、2桁白星を挙げてから稽古場で力を抜かないことを3場所続ければ大関になると助言した[180]。一方この場所12日目の遠藤戦を北の富士は、前捌きの応酬で左差しを封じられて自ら土俵外に足を出したと、諦めが早すぎると指摘した[181]

2021年は押しの決まり手で28勝(押し出し27勝、押し倒し1勝)を挙げたが、これは2021年の幕内で1位の記録で、自身が2021年に幕内で挙げた55勝の約半分を占める。御嶽海が押しに拘るのには、取組時間を短くする、突き指などの四つ相撲を取ることによる怪我のリスクを低下させる、といった本人の狙いがある[182]

2022年5月場所直前に北の富士は3月場所の相撲について「相変わらず下位力士に取りこぼす相撲が多すぎます。それさえ注意をしたなら優勝はさほど難しいとは思いません」と評していた[183]。しかし5月場所2日目の豊昇龍戦で一気の出足からの押し出しに完敗した際は「それにしても、御嶽海は実に下位力士によく負ける。これでは、横綱はとても望めそうにない」と酷評された[184]

同年11月場所10日目の翠富士との取組後、八角理事長は報道陣のリモート取材に応じ、その中で「集中力がない。突っ張っているけど、その後、どういうイメージで勝つかが…(感じ取れない)」と、もろ差しを許すまで攻めあぐねた内容に苦言を呈した[185]

年表[編集]

  • 2015年3月場所 - 初土俵(幕下付け出し)
  • 2015年7月場所 - 新十両
  • 2015年11月場所 - 新入幕
  • 2016年11月場所 - 新小結
  • 2017年7月場所 - 新関脇
  • 2022年3月場所 - 新大関
  • 2022年11月場所 - 関脇陥落

合い口[編集]

いずれも2024年3月場所終了現在

(以下、最高位が横綱・大関の現役力士)

  • 横綱・照ノ富士には5勝13敗(うち不戦勝1)。照ノ富士の1度目の大関在位中は2勝5敗。照ノ富士の2度目の大関昇進後は2敗、横綱昇進後は1勝3敗。
  • 大関・貴景勝には13勝12敗(他に優勝決定戦で1勝)。貴景勝の大関在位中は5勝9敗。2019年5月場所から2020年1月場所まで貴景勝戦本割4連敗していたが、2020年3月場所で勝利し連敗を止めた。
  • 大関・霧島には7勝9敗。大関同士の対戦はなし。
  • 大関・豊昇龍には3勝7敗(うち不戦敗1)。大関同士の対戦はなし。
  • 大関・琴ノ若には2勝8敗。大関同士の対戦はなし。
  • 元大関・髙安には10勝22敗。髙安の大関在位中は3勝7敗。大関同士としては対戦していない。
  • 元大関・朝乃山には6勝6敗。朝乃山の大関在位中は2勝3敗。大関同士としては対戦していない。
  • 元大関・正代には19勝13敗。正代の大関昇進後は6勝3敗。

(以下は横綱・大関の引退力士)

  • 元横綱・白鵬には4勝12敗(うち不戦勝1)。土俵上の3回はいずれも三役在位中の勝利で金星は獲得できなかった。
    • 白鵬に最後の黒星をつけた。(2020年7月場所12日目)
  • 元横綱・日馬富士には2勝5敗。2017年1月場所で自身初めての金星を獲得。最後の勝利は2017年5月場所で、決まり手は寄り切り。
  • 元横綱・鶴竜には6勝8敗(うち不戦勝1)。最後の勝利は2019年3月場所で、決まり手は送り出し。
  • 元横綱・稀勢の里には2勝6敗。稀勢の里の横綱昇進後は2勝3敗。勝利した時は2回とも三役在位中のため金星は獲得できなかったが、殊勲賞を受賞した。
  • 元大関・琴奨菊には11勝4敗。琴奨菊の大関在位中は2勝2敗。大関同士としては対戦していない。
  • 元大関・豪栄道には8勝9敗(うち不戦勝1)。大関同士としては対戦していない。
  • 元大関・栃ノ心には6勝8敗。栃ノ心の大関在位中は2勝3敗。大関同士としては対戦していない。
  • 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
関脇
碧山 5 4 阿炎 11(1) 5 6 1 逸ノ城 16 7
隠岐の海 7 5 魁聖 1 7 琴勇輝 3 0 大栄翔 15 13
隆の勝 8 7 宝富士 12 5 豪風 4 1 玉鷲 29 8
栃煌山 7 2 豊ノ島 1 0 妙義龍 7 6 明生 10 6
嘉風 4 4 若隆景 9 4 若元春 1 5
小結
宇良 7 3 遠藤 16(1) 8 阿武咲 11 6 臥牙丸 1 3
松鳳山 5 4 千代鳳 4 1 千代大龍 6 5 翔猿 4 6
錦木 7 4 北勝富士 16 12(1) 竜電 2 8
前頭
明瀬山 1 0 熱海富士 0 2 阿夢露 2 0 荒鷲 3 1
一山本 1 1 炎鵬 1 0 王鵬 0 1 大砂嵐 1 0
7 0 北太樹 2 6 旭秀鵬 0 2 金峰山 0 4
豪ノ山 1 1 琴恵光 3 0 琴勝峰 1 3 佐田の海 7 3
里山 1 0 島津海 0 1 志摩ノ海 1 0 湘南乃海 2 1 
蒼国来 1 4 大翔丸 2 1 貴ノ岩 2 0 美ノ海 1 2
千代の国 8 0 千代丸 0 1 剣翔 1 3 照強 1 0
東白龍 1 0 德勝龍 2 2(1) 友風 1 1 豊響 2 0
錦富士 2 2 英乃海 1 0 平戸海 0 3 北青鵬 2 0
誉富士 1 1 翠富士 3 3 豊山 3 1 狼雅 1 1

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2024年3月場所終了現在、現役力士。)

主な成績[編集]

2024年3月場所終了現在

スピード記録[編集]

  • 幕下付出デビューから新入幕までの所要場所数:4場所(歴代2位タイ)
  • 初土俵から初優勝までの所要場所数(幕下付け出しから):21場所(歴代3位タイ)

通算成績[編集]

  • 通算成績:443勝338敗13休(54場所)
  • 通算勝率:.567
    • 幕内成績:408勝329敗13休(50場所)
    • 幕内勝率:.554
      • 大関成績:23勝29敗8休(4場所)
      • 大関勝率:.442 大関勝率、在位場所数共に歴代ワースト1位
      • 三役成績:253勝179敗3休(29場所)
      • 三役勝率:.586
        • 関脇成績:170勝115敗(19場所)※関脇勝利数は歴代9位
        • 関脇勝率:.696
        • 小結成績:83勝64敗3休(10場所)
        • 小結勝率:.565
      • 前頭成績:132勝121敗2休(17場所)
      • 前頭勝率:.522
    • 十両成績:23勝7敗(2場所)
    • 十両勝率:.767
    • 幕下成績:12勝2敗(2場所)
    • 幕下勝率:.857
  • 途中休場力士の三賞受賞:史上唯一
  • 関脇以下の地位での優勝回数:3回(歴代1位)
  • 幕内連続2桁勝利記録:3場所(2020年11月場所 - 2022年3月場所)
  • 幕内優勝次点以上連続場所:2場所(2021年1月場所 - 2022年3月場所)
  • 関脇出場回数:285回(歴代6位)
  • 小結出場回数:146回(歴代10位)

各段在位場所数[編集]

  • 通算在位:54場所
    • 幕内在位:50場所
      • 大関在位:4場所(短命大関としては歴代ワースト1位)
      • 三役在位:29場所(関脇19場所、小結10場所)
      • 平幕在位:17場所
    • 十両在位:2場所
    • 幕下在位:2場所

三賞・金星[編集]

  • 三賞:10回
    • 殊勲賞:6回(2017年5月場所、2017年7月場所、2018年7月場所、2019年1月場所、2019年9月場所、2020年7月場所)
    • 敢闘賞:1回(2016年5月場所)
    • 技能賞:3回(2017年1月場所、2018年7月場所、2022年1月場所)
  • 金星:2個
    • 日馬富士:1個(2017年1月場所)
    • 鶴竜:1個(2017年1月場所)

各段優勝[編集]

  • 幕内最高優勝:3回 
    • 2018年(1回)7月場所
    • 2019年(1回)9月場所
    • 2022年(1回)1月場所
  • 年間最多優勝:1回
    • 2022年(1回・照ノ富士、若隆景、逸ノ城、玉鷲、阿炎と並んで受賞)
  • 十両優勝:1回(2015年7月場所)

場所別成績[編集]

御嶽海 久司
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2015年
(平成27年)
x 幕下付出10枚目
6–1 
東幕下3枚目
6–1 
西十両12枚目
優勝
11–4
西十両5枚目
12–3 
西前頭11枚目
8–7 
2016年
(平成28年)
西前頭10枚目
5–8–2[注釈 4] 
西前頭13枚目
10–5 
西前頭8枚目
11–4
東前頭筆頭
5–10 
西前頭5枚目
10–5 
東小結
6–9 
2017年
(平成29年)
西前頭筆頭
11–4
東小結
9–6 
東小結
8–7
西関脇
9–6
東関脇
8–7 
東関脇
9–6 
2018年
(平成30年)
東関脇
8–7 
東関脇
7–8 
東小結
9–6 
西関脇
13–2
東関脇
9–6 
東関脇
7–8 
2019年
(平成31年
/令和元年)
西小結
8–4–3[注釈 5]
東小結
7–8 
西小結
9–6 
東関脇
9–6 
東関脇
12–3[注釈 6]
東関脇
6–9 
2020年
(令和2年)
西前頭2枚目
7–8 
西前頭3枚目
10–5[注釈 7] 
感染症拡大
により中止
西関脇
11–4[注釈 8]
西関脇
8–7 
東関脇
7–8[注釈 8] 
2021年
(令和3年)
西小結
9–6 
西小結
8–7[注釈 8] 
東小結
10–5[注釈 9] 
西関脇
8–7 
東関脇
9–6 
東関脇
11–4 
2022年
(令和4年)
東関脇
13–2
西大関2
11–4 
東大関
6–9 
西大関
2–5–8[注釈 10] 
西大関2
4–11[注釈 11] 
西関脇2
6–9[注釈 12] 
2023年
(令和5年)
東前頭2枚目
7–8 
東前頭3枚目
4–11 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
3–12 
東前頭11枚目
9–6 
西前頭9枚目
8–7 
2024年
(令和6年)
東前頭9枚目
6–9 
西前頭10枚目
9–6 
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

メディア出演[編集]

テレビ番組[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 阿武松部屋、現・年寄:阿武松
  2. ^ ただし、「御嶽」の読みは、山は「おんたけ」と読むのに対し、四股名は「みたけ」と読む。「御嶽」の読みを「みたけ」にしたのは2014年の御嶽山噴火による被災者への配慮でもあり、部屋の行司の木村千鷲と話して決めた[14]
  3. ^ 長野県から関取が誕生したことで、関取不在の期間が最も長い都道府県は1990年から関取不在の福井県になった。
  4. ^ インフルエンザのため中日から休場、11日目から再出場。
  5. ^ 左大腿四頭筋腱部分損傷のため7日目から休場、11日目より再出場。
  6. ^ 貴景勝と優勝決定戦。
  7. ^ 無観客開催。
  8. ^ a b c 東京開催。
  9. ^ 3日目まで無観客開催。
  10. ^ 大関角番だったが、出羽海部屋関係者の2019新型コロナウイルス感染が判明(後に自身も感染判明)したことに伴い7日目から途中休場。2場所連続の負け越しだが、負け越し確定前に休場しているため特例で翌場所も角番扱いで大関に据え置きとなった。
  11. ^ 大関角番
  12. ^ 関脇陥落

出典[編集]

  1. ^ 2016年2月11日に行われたNHK福祉大相撲にて自称。
    「みーたん」御嶽海、でんぱ組と福祉大相撲で共演 日刊スポーツ 2016年2月12日9時1分 紙面から
  2. ^ NHK大相撲英語実況でのニックネーム:大空出版『相撲ファン』vol.3 63頁
  3. ^ 御嶽海|力士情報 2021年3月24日閲覧
  4. ^ 大相撲春場所3日目 御嶽海は初黒星 信毎web 2021年3月24日閲覧
  5. ^ a b c d e 心優しい御嶽海、ケンカは自分より強い人と/こんな人 日刊スポーツ 2018年7月22日9時29分(2019年12月17日閲覧)
  6. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p68-71
  7. ^ 出羽海部屋 公式サイト > 出羽海部屋所属力士 > 御嶽海 久司”. 出羽海部屋. 2018年7月21日閲覧。
  8. ^ a b 公務員試験合格→和歌山県庁内定。それでも御嶽海が角界を選んだわけ web Sportiva(2019.11.17)
  9. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号25頁
  10. ^ 長野県上松町出身・大道久司選手 産経新聞 2015年2月13日(2015年5月28日閲覧)
  11. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 118頁
  12. ^ 第65回(平成22年)国民体育大会本大会入賞者 公益財団法人長野県体育協会
  13. ^ 相撲部 大道久司選手が出羽海部屋入門を発表 東洋大学
  14. ^ a b c d e f g h 『大相撲ジャーナル』2016年10月号88ページから91ページ
  15. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p79
  16. ^ 大道、中村破り学生横綱 全国学生相撲第1日 日本経済新聞 2014年11月8日(2015年5月28日閲覧)
  17. ^ 大道が学生横綱に続きアマ横綱で幕下10枚目資格 涙こらえきれず 産経新聞 2014年12月19日(2015年5月28日閲覧)
  18. ^ 【新風力士】御嶽海 御嶽山噴火の地元を「勇気づけたい」 スポニチアネックス 2015年3月9日(2015年5月28日閲覧)
  19. ^ 学生横綱・アマ横綱の2冠を達成した大道久司選手が大相撲デビュー Archived 2015年5月28日, at the Wayback Machine. 東洋大学報WEB2014
  20. ^ アマ横綱大道がプロ初稽古 日刊スポーツ 2015年2月12日(2015年5月28日閲覧)
  21. ^ a b c 寺田文一(編)「大相撲にごっつぁんです」『週刊女性』2017年3月28日号、主婦と生活社、2017年3月28日、41頁、雑誌20364-3/28。 
  22. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 20頁
  23. ^ その元幕内・大道からは「俺が名前を変えようか?」との申し出が御嶽海にあったという。“本名「大道」御嶽海寂しい 日刊スポーツ 2016年1月22日付紙面 4面参照”
  24. ^ 出羽海部屋 大道久司選手のしこ名が「御嶽海(みたけうみ)」に決定 東洋大学
  25. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 19頁
  26. ^ 相撲、新十両に御嶽海と高立 デイリースポーツonline] 2015年5月27日(2015年5月27日閲覧)
  27. ^ 御嶽海、最速所要2場所新十両!逸&遠藤らと並んだ Archived 2015年9月24日, at the Wayback Machine. スポーツ報知 2015年5月28日(2015年5月28日閲覧)
  28. ^ 御嶽海、十両昇進確実 県内出身関取、37年ぶり復活へ Archived 2015年5月28日, at the Wayback Machine. 信濃毎日新聞 2015年5月25日(2015年5月28日閲覧)
  29. ^ 長野から47年ぶり関取、御嶽海ら喜び語る 大相撲 朝日新聞 2015年5月27日(2015年5月28日閲覧)
  30. ^ 御嶽海が相撲人生初の流血…常幸龍の張り手で唇負傷 2015年7月21日19時30分
  31. ^ 松本市美術館 篠山紀信展作品の一部が替わりました!
  32. ^ 御嶽海まさかの食中毒で10キロ減少 Daily Sports Online 2016.5.2
  33. ^ 御嶽海、いよいよ大銀杏姿 きょう11日秋場所初日 信毎Web 2016年9月11日
  34. ^ 『相撲』2016年11月号8ページ
  35. ^ 自分の相撲、しっかりと 御嶽海が小結昇進で抱負 中日新聞 2016年11月1日
  36. ^ 御嶽海、初の技能賞に笑顔 「技なんてあんまりない…」 朝日新聞 2017年1月22日
  37. ^ 活躍の御嶽海 佐久で祝う会「来場所も2ケタ勝ち星を」 /長野 毎日新聞2017年2月18日 地方版
  38. ^ 御嶽海、三役で初の勝ち越し狙う 信濃毎日新聞 3月11日
  39. ^ 小結御嶽海、三役の壁突破し勝ち越し「まだまだ」 日刊スポーツ 2017年3月25日19時50分
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  184. ^ 【北の富士コラム】豊昇龍は見事だが御嶽海は実に下位力士によく負ける…横綱はとても望めそうにない 中日スポーツ・東京中日スポーツ 2022年5月10日 05時00分 (2022年5月10日閲覧)
  185. ^ 御嶽海5連敗で10勝届かず…大関復帰の望みはかなく消える「集中力がない」八角理事長奮起促す 日刊スポーツ 2022年11月22日19時8分 (2022年11月23日閲覧)
  186. ^ 知るしん| NHK長野放送局”. www.nhk.or.jp. 2020年2月10日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]