新大滝駅

新大滝駅
しんおおたき
Shin-Ōtaki
優徳 (4.7 km)
(13.4 km) 御園
所在地 北海道有珠郡大滝村字本町
北緯42度40分22.4秒 東経141度4分47.1秒 / 北緯42.672889度 東経141.079750度 / 42.672889; 141.079750座標: 北緯42度40分22.4秒 東経141度4分47.1秒 / 北緯42.672889度 東経141.079750度 / 42.672889; 141.079750
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 35.0 km(伊達紋別起点)
電報略号 シオ
トユ(改称前)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1940年昭和15年)12月15日[1]
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅
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1976年の新大滝駅と周囲約750m範囲。左下が伊達紋別方面。駅裏の伊達紋別方に転車台が残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

新大滝駅(しんおおたきえき)は、北海道胆振支庁有珠郡大滝村字本町(現・伊達市大滝区本町)にあった日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である。電報略号シオ事務管理コードは▲131907[3]

1980年(昭和55年)9月まで運行されていた急行いぶり」の停車駅であった。

歴史[編集]

駅開業当時、役場がある徳舜瞥村(旧名)の中心地は長流川東岸の高台に位置する上野地区で、駅から歩いて1時間近くを要した。その後は本町地区に村の中心が移り、1950年(昭和25年)の役場庁舎移転と大滝村への改称につながった。また、上野地区の日鉄鉱業徳舜瞥鉱山から産出される鉱石を索道で当駅まで運び、貨車に積み替え発送した。一日当たりの平均取扱量は100~500トン台で推移していた。1971年(昭和46年)の閉山後は貨物取扱量が激減した。

駅名の由来[編集]

旧名の「徳舜瞥」は旧大滝村のかつての村名であり、アイヌ語の「トクシスンペッ(tukusis-un-pet)」(アメマス・いる・川)に由来する。現在も山名や河川名として残る[9]

その後、1950年(昭和25年)に徳舜瞥村が「字がむずかしい[10]」として、村内に所在する三階滝に因み大滝村と改名されたことを受けて[9]、1952年(昭和27年)に駅名を村名に合わせることとなったが、すでに奥羽本線大滝駅が存在したため、「新」を冠することとなった[10]

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された列車交換可能な交換駅であった[11]。互いのホームは駅舎側ホーム南側と対向ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[11]。駅舎側ホーム(東側)が上りの1番線、対向ホーム(西側)が下りの2番線となっていた[11]。そのほか2番線の倶知安方から2番線ホーム外側(乗降不可)に分岐し末端部で2線になる行き止まりの側線、その側線途中から分岐する行き止まりの側線を1線有した[11]9600形蒸気機関車が入線していた当時は、転車台を備えていた。

業務委託駅となっており、駅舎は構内の南東側に位置し、ホームとは通路及び構内踏切で連絡した[11]。駅舎の左手側に別棟でトイレを有した[12]

かつては徳舜瞥鉱山からの鉄鉱石褐鉄鉱)や硫黄鉱の積み出し駅であった[13]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は59人[11]

駅跡[編集]

2001年(平成13年)時点では旧構内の一部が「平成ふるさとの道公園」として整備され、ホームのあった位置には旧大滝村を象徴するオブジェが設置されていた[13]。また伊達紋別方には徳舜瞥鉱山から硫化鉄を搬送するために敷設された[14]引込線の高架橋が残存していた[13]。2010年(平成22年)時点[15]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[14]。優徳方の廃線跡は遊歩道となっていた。近くの駅構内跡には雇用促進住宅が建っている。

1993年(平成5年)に当駅跡から伊達紋別方へ約0.7kmの地点から優徳駅の先までの線路跡が約5.5kmに渡りサイクリングロードの「平成ふるさとの道」として整備され[16]、2001年(平成13年)時点[13]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[15]。途中の小川に架かる一部の橋は胆振線の施設が再利用されている[14]

駅周辺[編集]

駅跡から国道453号までの道は下り坂である。国道沿いを中心に集落を形成している。

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
胆振線
優徳駅 - 新大滝駅 - 御園駅
かつて当駅と御園駅との間に尾路遠仮乗降場(おろえんかりじょうこうじょう)が存在した(1941年(昭和16年)10月12日開業、廃止年月日不詳(1985年(昭和60年)末頃[18]))。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、858頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 日鉄鉱業40年史 1979年11月発行 P81。
  5. ^ 日鉄鉱業40年史 P272。
  6. ^ 日鉄鉱業40年史 P289。
  7. ^ 日鉄鉱業40年史 P293。
  8. ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日) 
  9. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  10. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、78頁。ASIN B000J9RBUY 
  11. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)92ページより。
  12. ^ 書籍『追憶の鉄路 北海道廃止ローカル線写真集』(著:工藤裕之、北海道新聞社2011年12月発行)280ページより。
  13. ^ a b c d 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)70-71ページより。
  14. ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)199ページより。
  15. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)153-155ページより。
  16. ^ “生まれ変わった旧胆振線”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1996年10月19日) 
  17. ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)
  18. ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』212ページより。

関連項目[編集]