新秩序

新秩序(L'Ordre nouveau)は、1920年代後半に、時事的な諸問題を論ずるために集まっていた知識人のサークルから生まれた思潮と、その機関紙の名称である。一般に1930年代の非順応主義者と呼ばれる知識人たちの一部が、その機関紙に寄稿した。

新秩序は、ユダヤ系ロシア人アレクサンドル・マルク(Alexandre Marc [Alleksander Markovitch Lipiansky, 1904-2000])によって指導されていた。マルクは、ロシア革命勃発後、パリに亡命し、29年に「緑の風車クラブ (Club du Moulin-Vert)」を組織。そのサークルには、ニコライ・ベルジャーエフをはじめ、ガブリエル・マルセルイヴ・コンガールなどのカトリック知識人、スイス出身の思想家ドニ・ド・ルージュモンなどが出入りしていた。30年にマルクのサークルに、ロベール・アロン(Robert Aron, 1898-1975)、アルノー・ダンデュー(Arnaud Dandieu, 1897-1933)という二人の強力な論客が加わった。 既に20年代後半から共同で研究を進めていたアロンとダンデューには、『フランス国家の頽廃(Décadence de la nation française)』(1931)、『アメリカ的癌(Le cancer américain)』(1931)、『必要な革命(La révolution nécessaire)』(1933)という、一連の近代社会批判の著作があった。

33年に運動の独自の機関誌『新秩序』が創刊されるが、同年に理論的支柱であったダンデューが急死。その後、「新秩序」は38年まで継続した。 ジャン=ルイ・ルベ・デル・バイルによれば、「新秩序」は、同世代の多様なグループとの最大限の連帯を求めることを基本方針としており、思想的なスタンスとしては、「青年右翼」と「エスプリ」の中間に位置づけられる。

第二次世界大戦後には、マルク、アロン、ルージュモンらの活動によって、ヨーロッパ連邦主義の運動が展開された。