日本リース

株式会社日本リース(にほんリース)とは、かつて存在した日本初の総合リース会社。同社を草分けとして、株主だった会社や金融機関が独自のリース会社を創り、日本にリース業という産業を形成した。

市村清を初代社長に、石坂泰三(当時経団連会長)、倉田主税(当時日立製作所会長)、藤井深造(当時三菱重工業相談役・元会長)、中川不器男(当時トヨタ自動車社長)、川又克二(当時日産自動車社長)らを役員に迎えて、1963年(昭和38年)、日本リース・インターナショナルとして会社設立。1967年(昭和42年)、日本リースに社名変更。

日本初の人材派遣業も構想したが、当時の職業安定法に抵触し実現しなかった。会社設立の経緯に関しての一端を、田中角栄が『市村清追悼集』に記している。

1980年代より日本長期信用銀行(長銀)から役員派遣を受け入れ同行出身者が社長を歴任することとなり、市村のリコー三愛グループ傘下の会社から、実質長銀系の会社となる。本業のリースよりも長銀の別働隊としてのファイナンス業に注力し、バブル景気終焉の余波を受け巨額不良債権を抱え、長銀と共に1998年(平成10年)に経営破綻した。負債額約2兆3000億円は当時の日本最高額であった。

歴史[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “日本リースが会社更生法 負債、戦後最大2兆1803億円”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 朝刊 2,4. (1998年9月29日) 

参考文献[編集]

  • 奧野善彦『会社再建:史上最大の巨大倒産管財人の記録』小学館、2000年。