明治二十七八年役陸軍衛生事蹟

明治二十七八年役陸軍衛生事蹟(めいじにじゅうしちはちねんえきりくぐんえいせいじせき)は、1894年から1895年にかけて戦われた日清戦争(明治二十七八年役)における陸軍省医務局の公式記録。

概要[編集]

1896年(明治29年)12月16日、「明治二十七八年役陸軍衛生事蹟」編纂に関わる委員長、及び委員13人が任命された。委員長には、当時の軍医総監石黒忠悳が就任し、委員には小池正直森林太郎軍医監4名に、岡田国太郎保利眞直等のドイツ留学経験者も選ばれた。この編纂事業は、陸軍医務局が総力をあげて取り組んだ事業であった[1]

1897年(明治30年)4月、編纂事務室を衛生材料庁内に置いた後、組織を陸軍軍医学校内に移動した。1898年(明治40年)3月31日、10年長の時間を掛け、ようやく事業が完結するに至った[1]

構成内容[編集]

脚気を伝染病と同じ巻に扱っており、当時の医務局が脚気という病気を伝染病・中毒説の面から捉えている姿がうかがわれる。

編纂委員[編集]

表内容は以下の文献による[1][3]

職名 任命年月 解任年月 官職(任命時) 姓名 留学経験者 発令日―帰国日 備考
委員長 明治29年12月16日 明治30年10月8日 軍医総監 石黒忠悳
委員 明治29年12月16日 明治31年8月4日 軍医監 小池正直 明治21年3月15日-明治23年12月6日
委員 明治29年12月16日 明治31年10月1日 軍医監 菊池常三郎
委員 明治29年12月16日 明治32年6月8日 軍医監 森林太郎 明治17年6月7日-明治21年9月8日
委員 明治29年12月16日 明治35年3月14日 軍医監 落合泰蔵
委員 明治29年12月16日 明治39年5月7日 一等軍医正 西郷吉義
委員 明治29年12月16日 薬剤監 平山増之助 明治22年7月10日-明治24年12月26日
委員 明治29年12月16日 明治39年3月5日 一等軍医 長谷川春朗
委員 明治29年12月16日 明治34年12月17日 一等軍医 岡田国太郎 明治23年2月25日-明治26年6月8日
委員 明治29年12月16日 明治34年4月15日 一等軍医 保利眞直 明治26年1月11日-明治29年6月19日
委員 明治29年12月16日 明治36年8月9日 一等軍医 高橋茂
委員 明治29年12月16日 明治30年7月2日 一等軍医 平井政遒 事後留学(明治30年7月2日-明治33年1月2日)
委員 明治29年12月16日 明治40年1月17日 一等軍医 牧山健吉 明治26年7月6日-明治29年11月30日
委員 明治29年12月16日 明治30年10月25日 二等軍医 田中苗太郎
委員長 明治30年10月8日 明治31年8月4日 軍医監 石阪惟寛
委員長 明治31年8月4日 軍医監 小池正直 明治21年3月15日-明治23年12月6日
委員 明治31年8月10日 明治35年8月22日 一等軍医 中山森彦
委員 明治31年8月10日 明治34年6月25日 二等軍医 山口弘夫 事後留学(明治36年7月10日-明治37年4月4日 他)
委員 明治31年11月8日 明治35年3月14日 三等軍医正 芳賀栄次郎 明治29年4月18日-明治31年11月5日
委員 明治32年6月8日 明治33年12月1日 二等軍医 黒川謙吉
委員 明治32年6月8日 明治34年3月9日 一等軍医正 谷口謙 明治19年7月17日-明治22年11月22日
委員 明治33年4月4日 三等軍医正 平井政遒 明治30年7月2日-明治33年1月2日
委員 明治33年4月4日 明治35年5月9日 二等薬剤官 三井良賢
委員 明治33年4月4日 明治34年10月9日 二等薬剤官 酒井甲太郎
委員 明治33年11月15日 明治34年10月9日 一等軍医 中村秀樹
委員 明治33年12月6日 明治36年5月1日 二等軍医 秋山春斎
委員 明治34年10月9日 一等軍医 佐藤恆丸 事後留学(明治40年10月26日-明治43年3月1日)
委員 明治35年2月4日 一等軍医 横川徳郎
委員 明治35年8月28日 三等軍医正 本堂恆次郎 明治32年8月7日-明治34年11月3日

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』序文:編纂の沿革
  2. ^ 『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』目次
  3. ^ 「陸軍衛生制度史」第六編.第四章外国留学497-4498頁(陸軍軍医団 編小寺昌大正2年)

参考文献[編集]

  • 『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』

関連項目[編集]