明王院 (鎌倉市)

明王院

寺標
所在地 神奈川県鎌倉市十二所32番地
位置 北緯35度19分12.9秒 東経139度34分34.5秒 / 北緯35.320250度 東経139.576250度 / 35.320250; 139.576250座標: 北緯35度19分12.9秒 東経139度34分34.5秒 / 北緯35.320250度 東経139.576250度 / 35.320250; 139.576250
山号 飯盛山[1]
院号 明王院
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗泉涌寺派
本尊 五大明王
創建年 1231年寛喜3年)
開山 定豪
開基 藤原(九条)頼経[1]
正式名 飯盛山寬喜寺明王院
別称 五大堂[2]、鎌倉五大堂明王院
札所等 鎌倉観音霊場 第8番
鎌倉十三仏 第1番(不動明王
公式サイト 明王院
法人番号 7021005001990 ウィキデータを編集
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明王院(みょうおういん)は、神奈川県鎌倉市十二所にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は飯盛山。寺号は寛喜寺。本尊は五大明王で、「五大堂」とも称される。鎌倉観音霊場の8番札所。

歴史[編集]

鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で[2]、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。

寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、頼経の室・竹御所の一周忌の本尊仏を文暦2年(改元して嘉禎元年・1235年)5月、肥後法橋(定慶)が造立したことが『吾妻鏡』にみえ、頼経と定慶の関係を裏付けている[3]

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 木造不動明王坐像

脚注[編集]

  1. ^ a b 新編相模国風土記稿 十二所村 明王院.
  2. ^ a b 新編鎌倉志 1915, p. 44.
  3. ^ 『月刊文化財』585号、pp.9 - 10

参考文献[編集]

  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』585号、第一法規、2012
  • 河井恒久 等編 編「巻之二 五大堂」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、44頁。NDLJP:952770/37 
  • 「山之内庄十二所村上明王院」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之93村里部鎌倉郡巻之25、雄山閣、1932年8月、2-6頁。NDLJP:1179240/8 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]