景初暦
景初暦(けいしょれき)は、中国暦の一つで、魏の明帝の景初元年(237年)から晋を経て、南朝宋の文帝の元嘉二十一年(444年)まで、また北朝の北魏では道武帝の天興元年(398年)から太武帝の正平元年(451年)まで使用された太陰太陽暦の暦法。後漢・魏・西晋の楊偉(ようい)によって作られた。
晋王朝成立後の泰始元年(265年)に泰始暦が行われたとされているが、実際は景初暦と同一のものであった。
計算上の暦元は干支丁巳の景初元年から4045年前の干支壬辰年の夜半甲子朔旦冬至である(『晋書』律暦下)。
19年7閏月の章法を採用し、1太陽年を365+455/1843(≒365.24688[1])日、1朔望月を29+2419/4559(≒29.530599[2])日とする。
ちなみに、1近点月は27+2528/4559(≒27.55451[3])日とされており、月の運行の遅疾に関する計算が暦に取り入れられ、天体暦として日月食の開始時刻などを推算する方法を確立した。
脚注
[編集]- ^ “365+455/1843”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
- ^ “29+2419/4559”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
- ^ “27+2528/4559”. Wolfram|Alpha. 2016年5月5日閲覧。
紀元前→後漢 | 古六暦 ?-? | 顓頊暦 ?-BC105 | 太初暦 BC104-4 | 三統暦 5-84 | 後漢→魏 | 四分暦 85-236 | 景初暦 237-444 | 魏→南朝 | 元嘉暦 445-509 | 大明暦 510-589 | |||||||||
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呉 | 四分暦 222 | 乾象暦 223-280 | 北朝 | 景初暦 398-451 | 玄始暦 412-522 | 正光暦 523-565 | 興和暦 540-550 | 天保暦 551-577 | 天和暦 566-578 | ||||||||||
蜀 | 四分暦 221-263 | ||||||||||||||||||
北朝→隋 | 大象暦 579-583 | 開皇暦 584-596 | 大業暦 597-618 | 唐 | 戊寅元暦 619-664 | 麟徳暦 665-728 | 大衍暦 729-761 | 五紀暦 762-783 | 正元暦 784-806 | 観象暦 807-821 | 宣明暦 822-892 | ||||||||
唐→後周 | 崇玄暦 893-955 | 後周、北宋、南宋 | 欽天暦 956-963 | 応天暦 963-981 | 乾元暦 981-1001 | 儀天暦 1001-1023 | 崇天暦 1024-1065 | 明天暦 1065-1068 | 崇天暦 1068-1075 | 奉元暦 1075-1093 | 観天暦 1094-1102 | 占天暦 1103-1105 | 紀元暦 1106-1135 | ||||||
後晋、遼 | 調元暦 893-943? 961-993 | 大明暦 994-1125 | |||||||||||||||||
南宋 | 統元暦 1136-1167 | 乾道暦 1168-1176 | 淳熙暦 1177-1190 | 会元暦 1191-1198 | 統天暦 1199-1207 | 開禧暦 1208-1251 | 淳祐暦 1252 | 会天暦 1253-1270 | 成天暦 1271-1276 | 元以降 | 重修大明暦 1182-1280 | 授時暦 1281-1644 | 時憲暦 1645-1911 | グレゴリオ暦 1912- | |||||
金 | 大明暦 1137-1181 |