杉浦国頭

杉浦 国頭(すぎうら くにあきら、延宝6年8月12日1678年9月27日) - 元文5年6月4日1740年6月27日))は、江戸時代中期の国学者[1]歌人[2]浜松諏訪神社大祝神主[2]浜松医師渡辺周顕の次男[2]。初名は忠成、通称は大学、号は志水[1]。本姓は渡辺[1]

経歴・人物[編集]

遠江浜松出身[1]。6歳の時、養父杉浦忠義の跡を継ぎ、浜松諏訪神社の大祝となる[2]。社殿修復願の為、度々江戸へ赴く[2]。26歳で荷田春満に入門[2]。27歳の時、春満の姪雅子(のち真崎)と結婚[2]。57歳のとき舎人親王一千年祭を挙行、尽敬会を結成[2]国学を遠江、三河にひろめた[1]。門下に賀茂真淵斎藤信幸など[2]。誕生日は旧暦8月23日説もある[2]。著作に『伊勢物語講義抄』『日本書紀神代巻講義抄』等。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『杉浦国頭』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『杉浦国頭』 - コトバンク