松緑神道大和山

松緑神道大和山
設立 1930年1月5日
設立者 田澤清四郎(大和松風)
種類 宗教法人
法人番号 7420005001052 ウィキデータを編集
本部 日本の旗 日本 青森県東津軽郡平内町外童子字滝ノ沢12-13
公用語 日本語
ウェブサイト 松緑神道大和山
テンプレートを表示

松緑神道大和山(しょうろくしんとうやまとやま)とは、青森県東津軽郡平内町に本部を置く神道系の新宗教宗教法人)である。1930年昭和5年)1月5日創設。創始者は大和松風(やまと まつかぜ、教祖。本名:田澤清四郎(たざわ せいしろう)、1884年2月4日 - 1966年11月18日)。現在の代表は大和松園(やまと しょうえん、第三代教主。本名:田澤清喜(たざわ きよのぶ))。

概要[編集]

教祖・大和松風は、神の啓示により、人々が共に生きる「共生の世」を願い、理想郷の実現を目指し、その模型として新しい共同体の整備を進めた。教団は、東京都港区の面積に匹敵する2000ヘクタールにわたる山あいの土地を持ち、一部の信者たちはそこで自給自足的な共同生活を営んでいる。ここでは神殿などの宗教施設のほか、信者の居住・宿泊施設、子弟が通う全寮制の松風塾高等学校を備え、田畑ではさまざまな農作物が生産され、自家用水力発電設備が設置されるなど、基本的に自給自足で賄える態勢が取られている。信者は、この場所以外で生活することも可能で、青森県と北海道を中心に全国に広がっている。信者の遺骨は同じ場所に納められ、共同納骨されるという独特の埋葬法をとる。1970年代には、コミューン志向的な形態が注目された。公称信者数は約40,000人[1][2]

教旨[編集]

神を信じて生きる境地、そして厳しい修行と精進に励むことによってもたらされる心境、この二つを培うことが真の救いにつながるという「自他力本願」を説く[1]

沿革[編集]

  • 1918年大正7年)春 - 田澤清四郎が、製炭場の監督として外童子山に移り住む。
  • 1919年(大正8年)4月12日 - 外童子山中で大きな星が昇っていく霊現象を拝し、『この星は九曜の星という神であって、われ神に使われる神であるぞよ。汝の一生一代を護る神なるぞよ』との啓示を受ける。これを機に宗教専従の生活に入る。
  • 1930年昭和5年)1月5日 - 松緑神道大和山会を結成。
  • 1952年(昭和27年)12月 - 宗教法人の認可を受ける。
  • 1984年(昭和59年)12月 - 比叡山延暦寺から「不滅の法灯」の分灯を受ける。

年中行事[編集]

  • 1月1日:歳旦祈願祭
  • 1月初旬:青年教徒冬期修行会
  • 5月1日:教主誕生祭
  • 4月12日:教祖さま入山記念日
  • 7月中旬:光霊殿例祭
  • 8月上旬:林間学校
  • 8月中旬:全国青年研修会
  • 8月23日:大和山大祭日
  • 11月中旬:越年感謝祭
  • 12月31日:大晦祭 人形代神符修祓祈願祭

また、月例行事として、毎月18日を「世界平和祈願日」と定めている。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』柏書房(2011)p281-283
  2. ^ 井上順孝『人はなぜ新宗教に魅かれるのか』三笠書房(2009)p255-257

外部リンク[編集]