桜田淳子

さくらだ じゅんこ
桜田 淳子
生年月日 (1958-04-14) 1958年4月14日(65歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県秋田市新屋表町
身長 161 cm
血液型 O型
職業 女優歌手
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1973年 - 1993年2013年 -
活動内容 1972年:『スター誕生!』決戦大会で25社からスカウトされ最優秀賞
1973年:「天使も夢みる」で歌手デビュー
同年:「わたしの青い鳥」で多数の新人賞を受賞
1978年:舞台『おはん長右衛門』
1979年:映画『病院坂の首縊りの家
1980年ミュージカル『アニーよ銃をとれ』
1985年:『澪つくし
1988年:『ニューヨーク恋物語
配偶者 あり(1992年 - )
 
受賞
第15回日本レコード大賞最優秀新人賞
第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞
(いずれも「わたしの青い鳥」にて)
第35回芸術祭優秀賞
ミュージカル『アニーよ銃をとれ』にて)
詳細は「受賞歴」を参照
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桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、1958年昭和33年〉4月14日 - )は、日本の元女優歌手[1]サンミュージック所属(活動当時)。身長161cm[2]秋田県秋田市新屋表町出身[1][3][4]。愛称は「ジュンペイ」「淳ちゃん」「ズン子」[5][6]。3児の母。

生い立ち[編集]

父親は十條製紙に勤めたサラリーマン[2][3][7]。一男二女の末っ子[2][7]。幼少の頃、東京大森に住んでいた綺麗な叔母が秋田に帰ってきて喋る、聞きなれない東京弁が流暢で耳に心地よく東京に憧れた[2]。このため上京後も訛りの矯正には苦労しなかったという[4]。幼稚園に上がった頃から人前で何かやるのが好きで、小学校では学芸会の常連だった[2]。小さい頃から「せっかく生まれてきたんだから、秋田にいて平凡な人生は送りたくない。東京へ行きたい」とずっと考えていた[7]。小学校6年のとき、将来何になりたいかというアンケートに"女優"と書いた[2]。中学では演劇部を創設し部長になる[7]。中学2年のとき、毎週観ていた『スター誕生!』で森昌子がグランプリに輝いた[2]。自分と同じ年齢の合格者に驚き、乗り出すように画面を観ていると、秋田地区でオーディションをするので応募したい人はどうぞと字幕スーパーが出た[2]。瞬時のためらいもなくハガキを出し、両親にも学校にも言わずオーディションに向かった[2]。その日は夏台風の接近で交通機関の運休があり、応募7000人のうち、会場に集まったのは5000人だった[2]

秋田市立日新小学校[3]秋田市立秋田西中学校[4]品川女子学院中等部・高等部(転入)[4]国本女子高等学校(編入)卒業(1977年)[4]聖トマス大学卒業。

歌手として[編集]

1972年(昭和47年)7月19日(放映は8月6日)、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行われたテレビ予選[注 1]牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い[注 2]、番組史上最高得点となる573点で合格[注 3]。『スター誕生!』の金谷勲夫ディレクターは「予選に参加した560人の中で彼女だけ白い帽子を被ってニコニコしていた。誰が見てもあの子が本命と直感したほど煌めく笑顔が印象的でした。ちゃんと声さえ出してくれれば合格と誰もが思っていましたね」などと述べている[4]。同年9月6日(放映は9月17日[4]後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり[6]、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した[8]ホリプロ創業者の堀威夫の自伝『いつだって青春』によれば、当初、桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身の森昌子が所属しており、(スター誕生!の出身者が)同じ事務所ばかりに偏るのはどうかとの日本テレビ側の配慮もあって、サンミュージックに所属することになったという。桜田本人は、芸能界の悪いイメージの中にあって、森田健作はさわやかで清潔な印象があり、森田さんの所属事務所なら間違いないという、ただ一つの理由で、秋田にやってきた日本テレビのプロデューサーに「森田さんの事務所に行かせて下さい」と言ったと話している[2]。サンミュージックの相澤秀禎社長はスカウトマンに「うちは、森田健作と野村将希牧村三枝子のいる家庭的な事務所です、とそれだけ言え」と指示したという[6]。1972年(昭和47年)10月中旬[2]、先の大森の叔母宅に寄宿し、私立品川中学校(現・品川女子学院中等部)2年生に転入した[2]。3年時に同じクラスに山口百恵が転入してきて、よく似た境遇でもあり、すぐに打ち解け親しくなる[2]。高校進学の相談なども電話でよく話した[9]。同年3月23日に二人で卒業するも高校は別々になった[10]

1973年(昭和48年)2月25日ビクター音楽産業より歌手デビューキャッチフレーズは“そよ風の天使”[8]。デビュー曲「天使も夢みる」は、オリコンチャートでも12位につけるなど好スタートを切った。また、歌う時に被っていたキャスケット(2枚目のシングル「天使の初恋」まで)も桜田のトレードマークとなり、当時「エンジェルハット」と呼ばれて話題になった[9]。この時点で既に人気アイドルの仲間入りを果たしていたが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子山口百恵と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれるようになり、国民的な人気を集める[1][8]。トリオとしての名称は3年後の「高三トリオ」まで続いた。3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞最優秀新人賞にも輝いた[8]

同年11月にリリースされた4枚目のシングル「花物語」で初めてオリコンチャートのベストテン入りを果たす。続く「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」も順調にベストテン入りし、8枚目のシングル「はじめての出来事」ではオリコンチャート第1位を獲得[8]。その後も「ひとり歩き」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風」などなど、数々のヒットを飛ばし、トップアイドルとしての地位を不動のものにした[8]シングルは累計で600万枚近くを売り上げ、トータルで18曲をオリコンチャートのベストテンに送り込んでいる。デビュー3年目の1975年(昭和50年)には、オリコン・シングルレコード年間売上、マルベル堂のブロマイド売上、『月刊明星』の年間人気投票において、いずれも女性歌手部門の1位を獲得するなど(「マルベル堂」『明星』『平凡』『近代映画』首位の4冠は美空ひばり・吉永小百合に続くもの)で、名実共に1970年代を代表するトップアイドルのひとりであった。1974年6月、後に大きな影響を及ぼす姉が上京し同居する[9]

人気絶頂の時から「たかがアイドル、人気は今だけなんだ。歌手の自分は短命だろう」とずっと考えていた[6][11]。学校では「淳ペイ」「淳ちゃん」と呼ばれて友達と対等でいられるのに、一歩仕事の世界に入ると10代の子供に大人から頭を下げられる世界。あるとき、車もあまり走ってないような地方に公演に行ったら、駅に着くと外車が待っていて、迎えの人から『先生』と呼ばれた。私のためにわざわざ外車を用意してくれたんだと思うと、イヤでイヤで、タクシーで行くと言い張ったが、結局説得された。挨拶させている自分が許せなくて、そのようなギャップにいつも迷っていた[6]。「周りによく思われたい、生意気に思われたくないという意識が強く、ずっといい子でいさせてしまった」[6]「周囲から歌手に向いてないと言われていたし、自分でもそう思う」[11]などと話し、1983年に歌手活動を停止した[11]

女優として[編集]

もともと目立とう精神から何としても芸能界に入りたい、東京に行きたいという思いが強く[7]、どちらかと言えば歌手より女優をやりたかった[7]。まず歌手として頑張らなくちゃいけないという使命感が強く、歌手を続けることは重荷だった[7]コメディーリリーフとしてのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合』で見せた志村けんとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響、照明効果も相まって人気を博し、お茶の間だけでなく、井上ひさしら放送作家達からも絶賛された。歌手として活躍する一方で、女優としても1975年の映画『スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画で主演を務めていたが、1978年には東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦。初舞台ながら長谷川一夫の相手役を演じたことで、役者としての資質が改めて注目されるようになった。その資質は翌年の市川崑監督作品『病院坂の首縊りの家』での一人二役を経て、1980年の初主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の芸術祭大衆芸能部門(2部)優秀賞を、当時史上最年少で受賞するなど高い評価を得た[7]。この頃から次第に女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年に発売された小椋佳作曲のシングル「眉月夜」のリリースを最後に歌手活動を停止、完全に女優業へ転向した[11]。その後は数多くのテレビドラマ舞台映画で活躍、歌手時代のみならず女優に転向してからも、芸術選奨新人賞(大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や菊田一夫演劇賞(演劇賞)を始め数多くの賞を受賞している。

十七の夏」をリリースした1975年夏の甲子園大会は、東海大相模原辰徳フィーバーで沸いたが[9]、桜田も原に夢中になり[9]週刊誌なども騒いだ。ただ、桜田は『月刊明星』1979年3月号で「今までこんな話をしたことは初めてと思う」と「デビューしてから二度恋をした」と自身の20歳までの恋愛経験を話しており[9]、「デビューの頃から憧れた人がいて、彼は仕事場で会う人で、一度だけドライブをして一度だけ握手したいいヤツで、憧れだけの恋だった。19歳までずっと片思いで、もうあんな苦しい気持ちはたくさん」と話していた[9]。実名は書かれていない。その後、短期間、少し秋田のセンパイと付き合ったという[9]タモリが桜田の大ファンで[7]、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の名物コーナーだったテレフォンショッキングの第1回ゲストに招いた(1982年10月4日)。

週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで何度もグラビアを飾っている。またしゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることも多く、フジテレビのシチュエーションコメディ『やっぱり猫が好き』内でも、出演者の一人である小林聡美がたびたび桜田の物真似を披露している。アイドルでありながらリクエストされれば秋田弁でしゃべってみせたり、秋田音頭や持ち歌をお国訛りで歌ったりするなどサービス精神が旺盛で、1970年代後半に井関農機田植機『さなえ』のCMに起用された際も、「やっぱし早苗だべさ」というお国訛りのセリフが有名になった。重度の近眼

合同結婚式・芸能活動休止[編集]

1992年6月30日、5日前に山崎浩子が2か月後に行われる世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見したのに続き、同じ合同結婚式に参加することを記者会見で表明した[12]。このとき、統一教会に入信していた姉の影響で19歳頃から入信していたことを自ら明らかにし、1992年8月25日にソウルオリンピック主競技場で開催された合同結婚式で会社役員と結ばれた[13][14]。なお、桜田の実父は桜田の姉が統一教会に入信した際、全国原理運動被害者父母の会の支部(現 全国統一教会被害者家族の会)「秋田父母の会 陽光会」に参加し会長を務めたこともあった。

この合同結婚式に桜田ら有名人が何人も参加したことによって、統一教会と脱会した元信者らを中心とする反統一教会側との間の訴訟問題がよりクローズアップされるようになった[注 4]。テレビ放送のワイドショーで統一教会の信者であることや霊感商法に関与したのではとの疑惑を取り沙汰され、非難・糾弾報道をされたこともあってか次第に発言そのものを控えるようになっていった。ちなみに桜田自身がこれらの件で告訴・逮捕・勾留・起訴・有罪判決や民事訴訟を起こされた事はないが、1992年の会見では違法性を指摘されていた霊感商法について「詐欺だとは考えていません」と言い放っている[15]

自分の所属していた事務所サンミュージックの社長・相澤秀禎を売りつけていたのではという疑惑報道がなされたことがあったが、これについては、社長自身が桜田の親族を通じて200万円の壺を買っており、後日「淳子の純粋な気持ちは分かっている。彼女のためと思って私が買った」ことにされた[16]。しかし、相澤は生前、「芸能人は夢を売る仕事です。霊感商法など反社会的な行為を行っている組織に関わってどうするのか。統一教会を辞めない限り、私は淳子を芸能界に戻すつもりはありません」と語っていた[15]

婚姻後は夫の地元の福井県敦賀市に移り住む[15]。その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりするたびに芸能マスコミが取り上げ、「統一教会の広告塔」だとして批判する図式が続いていた。一方で直接関係のない話題であっても、統一教会絡みの話題に「桜田淳子らが参加した合同結婚式で有名な」と名前を引用した当時のスポーツ紙・週刊誌の記事、ワイドショーのタイトルも相当数あり、結婚後のある時期からは、自らがメディアに顔を出す形での取材は一切受けていない。まれにマスコミ向けに出す著名人などへの慶弔のコメントも、すべて自筆の手紙という形で寄せている。

1993年の3月に公開された映画『お引越し』への最後の出演と1996年12月15日、都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバルを最後に、以降は一切の芸能活動を休止した。騒動の最中、スポンサーが特定の宗教のイメージを嫌ってCMの契約が全部なくなったことや、「まわりには迷惑をかけられない」との理由で当たり役だった『細雪』の舞台(四女役)の降板を自ら申し出たことなどから、結婚後は仕事を干されたかのように報じられているが、3人の子供を出産後(いずれも自宅で自然分娩)、子育てに専念していた間にも映画出演などの具体的なオファーはいくつか来ていた。関係者や本人の弁によれば「子育てに忙しく身動きが取れない」という理由で全て断っていたとのことである。

2000年4月に夫が経営していた会社をたたみ、同年8月、夫の高齢の母の世話をするため、兵庫県西宮市に移り住む。その間の2003年9月、『桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜』<完全生産限定10,000セット>が発売された際には、ブックレットに自筆メッセージを寄せている。2004年には東京都世田谷に転居。転居後も桜田が統一教会関連の集会で時折講演したり、歌を披露している姿が報じられたことなどから、一部のタブロイド紙では夫は統一教会の幹部になったという記事が掲載された時もあった。2006年12月19日発売の『女性自身』での夫への直撃インタビューでは夫自身がこれを完全否定、現在は会社を整理した際に残った資産の運用で生計を立てていると答えている。

近況[編集]

2006年11月24日にはエッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)を出版。子育てのこと、近所づきあい、学校の先生との触れ合いなどについてユーモアを交えながら綴っている。ただ、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。もっとも『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います」と答えている。さらに同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、エッセイの出版や東京への引越もその足がかりではと見たマスコミによる、「桜田淳子 芸能界復帰へ」の憶測報道もなされた。

2007年、歌手時代に発表した全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露している。また2008年には、過去のライブアルバム9枚もCD化され、これに1979年にNHKで放送された『ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲』のDVDを加えた『桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション』が発売されている。

2013年5月28日、サンミュージック代表取締役会長:相澤秀禎通夜に参列し、16年半ぶりに公の場に現れた[17]

同年10月23日、デビュー40周年を記念し、本人自薦のベストアルバムにTV映像集を加えた『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』を発売。11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル〜ファン感謝DAY」を開催し、約21年ぶりにファンとの交流を果たした。

2017年4月7日、銀座博品館劇場で開催された『スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI』にゲスト出演し、80年代に主演したミュージカル「アニーよ銃をとれ」の主題歌である「ショウほど素敵な商売はない(There's No Business Like Show Business)」や、自身33枚目のシングル「化粧」など全5曲を披露。チケットが数分で完売するなど、現在も衰えぬ人気を証明した。

2018年2月7日、桜田淳子プロジェクトを発表。同年2月25日に35年ぶりの新録アルバム「マイ・アイドロジー」をリリース。同年3月21日にベストアルバム「Thanks45~しあわせの青い鳥」をビクター・エンタテイメントより発売、3月27日に銀座博品館劇場にて「"マイ・アイドロジー"スペシャル~ありがとうのかわりに」を開催した。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
(売上枚数)
規格品番
1st 1973年
2月25日
A面 天使も夢みる 阿久悠 中村泰士 高田弘 12位
(12.1万枚)
SV-1134
B面 足長おじさん
2nd 1973年
5月25日
A面 天使の初恋 27位
(7.1万枚)
SV-1142
B面 虹のほほえみ
3rd 1973年
8月25日
A面 わたしの青い鳥 18位
(15.9万枚)
SV-1151
B面 恋人になって!!
4th 1973年
11月5日
A面 花物語 あかのたちお 9位
(23.7万枚)
SV-1161
B面 のっぽの恋人 高田弘
5th 1974年
2月25日
A面 三色すみれ 馬飼野康二 10位
(18.6万枚)
SV-1172
B面 あなたのひとりごと あかのたちお
6th 1974年
5月25日
A面 黄色いリボン 森田公一 10位
(16.5万枚)
SV-1181
B面 気になるあいつ 森田公一 馬飼野康二
7th 1974年
8月25日
A面 花占い[18] 中村泰士 あかのたちお 9位
(12.3万枚)
SV-1193
B面 白い貝がら
8th 1974年
12月5日
A面 はじめての出来事 森田公一 竜崎孝路 1位
(52.7万枚)
SV-1208
B面 特別な気持
9th 1975年
3月5日
A面 ひとり歩き 筒美京平 4位
(34.1万枚)
SV-1217
B面 涙のいいわけ 落合恵子 高田弘
10th 1975年
5月10日
A面 白い風よ 石森史郎 桑原研郎 竜崎孝路 9位
(12.9万枚)
SV-1231
B面 だからわたしは
11th 1975年
6月5日
A面 十七の夏 阿久悠 森田公一 2位
(40.4万枚)
SV-1232
B面 高原物語
12th 1975年
8月25日
A面 天使のくちびる 4位
(28.1万枚)
SV-1246
B面 叱られてから
13th 1975年
11月25日
A面 ゆれてる私 5位
(27.0万枚)
SV-1261
B面 あなたが恋しい
14th 1976年
2月25日
A面 泣かないわ 萩田光雄 4位
(21.6万枚)
SV-1279
B面 あなたの接吻にはトゲがある
15th 1976年
5月25日
A面 夏にご用心 高田弘 2位
(36.0万枚)
SV-6009
B面 白い少女のバラード 竜崎孝路
16th 1976年
8月25日
A面 ねえ!気がついてよ 大野克夫 2位
(28.6万枚)
SV-6094
B面 かかとの折れた靴をさげ 大野克夫 高田弘
17th 1976年
12月5日
A面 もう一度だけふり向いて 穂口雄右 11位
(20.4万枚)
SV-6133
B面 招待席 水谷公生
18th 1977年
2月25日
A面 あなたのすべて 和泉常寛 船山基紀 6位
(15.2万枚)
SV-6178
B面 女らしく
19th 1977年
5月15日
A面 気まぐれヴィーナス 森田公一 7位
(21.0万枚)
SV-6221
B面 若い人のテーマ 青木望
20th 1977年
9月5日
A面 もう戻れない 筒美京平 船山基紀 8位
(14.4万枚)
SV-6276
B面 ロンリー・ガール
21st 1977年
11月5日
A面 しあわせ芝居 中島みゆき 3位
(36.5万枚)
SV-6319
B面 晩秋 穂口雄右
22nd 1978年
2月25日
A面 追いかけてヨコハマ 中島みゆき 船山基紀 11位
(16.4万枚)
SV-6363
B面 エンゲージリング 竜真知子 馬飼野康二
23rd 1978年
6月5日
A面 リップスティック 松本隆 筒美京平 10位
(19.6万枚)
SV-6416
B面 トロピカル・ランデブー 筒美京平 萩田光雄
24th 1978年
9月5日
A面 20才になれば 中島みゆき 船山基紀 14位
(11.7万枚)
SV-6468
B面 サマータイム・ブルース 松本隆 筒美京平 萩田光雄
25th 1978年
12月25日
A面 冬色の街 橋本淳 中村泰士 29位
(6.0万枚)
SV-6531
B面 メッセージ・ラブ 一ツ橋けい子 小杉保夫
26th 1979年
2月25日
A面 サンタモニカの風 阿久悠 萩田光雄 24位
(12.3万枚)
SV-6552
B面 昼さがりのエレジー
27th 1979年
5月25日
A面 MISS KISS 佐藤準 25位
(6.6万枚)
SV-6595
B面 女は自由
28th 1979年
8月25日
A面 パーティー・イズ・オーバー 伊藤薫 松井忠重 51位
(2.5万枚)
SV-6618
B面 まわれ私の恋よ 門谷憲二 馬場孝幸 椎名和夫
29th 1979年
11月25日
A面 LADY 尾崎亜美 鈴木茂 51位
(2.6万枚)
SV-6651
B面 あなたは魔術師
30th 1980年
4月21日
A面 美しい夏 康珍化 馬飼野康二 船山基紀 44位
(3.7万枚)
SV-6693
B面 ミスター・ブルー・スカイ 西尾尚子 K.Klouse 松井忠重
31st 1980年
7月21日
A面 夕暮れはラブ・ソング 岡本おさみ 深町純 65位
(1.9万枚)
SV-7028
B面 ひと房の葡萄 藤公之介
32nd 1980年
10月21日
A面 神戸で逢えたら 三浦徳子 鈴木邦彦 鈴木邦彦
松井忠重
85位
(1.0万枚)
SV-7054
B面 愛の真ん中
33rd 1981年
1月1日
A面 化粧 中島みゆき 大村雅朗 42位
(7.5万枚)
SV-7075
B面 夢追い 麻木かおる 小田裕一郎 信田かずお
34th 1981年
5月1日
A面 玉ねぎむいたら… 山上路夫 平尾昌晃 船山基紀 - SV-7112
B面 哀しみの前奏曲
35th 1981年
6月5日
A面 ミスティー 小林和子 小田裕一郎 大村雅朗 53位
(3.8万枚)
SV-7120
B面 恋はSEE-SAW 竜真知子 林哲司 松井忠重
36th 1981年
9月21日
A面 This is a "Boogie" 実川俊 小田裕一郎 大村雅朗 - SV-7153
B面 刹那Tic 麻木かおる 矢野顕子
37th 1982年
8月5日
A面 犬丸秀 青木望 SV-7237
B面 スウィート・スウィート・スウィート 山上路夫 大野雄二
38th 1983年
9月5日
A面 眉月夜 茅野遊 小椋佳 奥慶一 SV-7319
B面 数えないで 小椋佳

アルバム[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 2007年に、シングル盤の別テイクやオリジナルカラオケ等のボーナストラックを加えて、それぞれCDで復刻された。
  • 各CDごとに2007年の桜田淳子へのインタビューを交えたライナーノーツがつけられている。
# 発売日 タイトル 備考 規格品番
1970年代
1st 1973年6月25日 そよ風の天使 天使も夢みる」、「天使の初恋」他全12曲 SJX-134
2nd 1973年9月25日 わたしの青い鳥 わたしの青い鳥」他全12曲 SJX-146
3rd 1974年8月25日 16才の感情 公募した詩の朗読を中心としたコンセプトアルバム SJX-184
4th 1975年3月25日 スプーン一杯の幸せ ひとり歩き」他ナレーションと歌で構成 SJX-207
5th 1975年7月5日 わたしの素顔 白い風よ」、「十七の夏」他ナレーションと歌で構成 GX-1005
6th 1976年4月5日 青春前期 ナレーションと歌で構成 SJX-10128
7th 1976年12月5日 熱い心の招待状 もう一度だけふり向いて」他全11曲 SJX-10171
8th 1977年7月25日 ラブ・淳子が禁断の木の実を食べた 気まぐれヴィーナス」他全12曲 SJX-20002
9th 1977年12月5日 しあわせ芝居 しあわせ芝居」他全11曲 SJX-20002
10th 1978年4月25日 ステンドグラス 追いかけてヨコハマ」他全12曲 SJX-20057
11th 1979年6月1日 一枚の絵 西島三重子丸山圭子の書き下ろし作品4曲を含む全10曲。シングル「MISS KISS」を収録 SJX-20127
12th 1979年9月5日 パーティー・イズ・オーバー 山下達郎作曲の「センチメンタル・ボーイ」「バカンスの終りに」を含む全12曲。シングル「パーティー・イズ・オーバー」を収録 SJX-20151
1980年代
13th 1981年3月5日 あなたかもしれない シングルA面曲を一切含めずに構成された全10曲。桜田淳子自身が作詞を手掛けた「グッドバイ・ハッピーデイズ」を収録 SJX-30052
14th 1981年11月5日 My Dear A面を矢野顕子が、B面を小田裕一郎がそれぞれ作曲を担当。シングル「ミスティー」、「This is a "Boogie"」を含む全10曲 SJX-30099
15th 1983年9月21日 ナチュラリー タケカワユキヒデ堀内孝雄芳野藤丸らによる書き下ろしに加え、小椋佳作曲のシングル「眉月夜」を含む全10曲 SJX-30208
2010年代
16th 2018年2月25日 マイ・アイドロジー 35年ぶりの新曲「ありがとうのかわりに」、ヒット曲4曲のセルフカヴァー、朗読を含む全8トラック。全曲新録音の45周年記念アルバム JS-001

カバー・アルバム[編集]

  • 2007年に、シングル盤の別テイクやオリジナルカラオケ等のボーナストラックを加えて、それぞれCDで復刻された。
  • 各CDごとに2007年の桜田淳子へのインタビューを交えたライナーノーツがつけられている。
# 発売日 タイトル 備考 売上枚数 規格品番
1970年代
1st 1974年1月10日 淳子と花物語 花物語」、カヴァー曲を多数収録・全12曲 3.6万枚 SJX-159
2nd 1974年3月25日 三色すみれ 三色すみれ」、カヴァー曲を含む他全12曲 SJX-169
3rd 1978年10月25日 20才になれば 20才になれば」を始め、中島みゆき作品のみで構成された全10曲。後のシングル盤とは別アレンジの「化粧」も収録 SJX-20084
4th 1979年3月5日 愛のロマンス アニー・ローリー」「ローレライ」「埴生の宿」「ブラームスの子守歌」といった外国曲の愛唱歌をカヴァーした全12曲 SJX-20101

ライブ・アルバム[編集]

  • 2008年にCD-BOX『桜田淳子BOX〜スーパー・ライブ・コレクション〜』で復刻された。
# 発売日 タイトル 備考 規格品番
1970年代
1st 1974年12月20日 16才のリサイタル 渋谷公会堂にて収録。司会・ナレーションは、当時日本テレビアナウンサーだった徳光和夫が務めた。
CD-4
SJX-196
2nd 1975年12月10日 ビバ!セブンティーン 桜田淳子リサイタル2 文京公会堂にて収録
CD-4
CD4B-5105
3rd 1976年9月5日 青春賛歌 桜田淳子リサイタル3ライブ 中野サンプラザにて収録 SJX-8040
4th 1977年11月5日 桜田淳子リサイタルⅣ〜ラブ・トゥゲザー 東京芝郵便貯金ホールにて収録
2枚組
SJX-8064
5th 1978年11月5日 LIVE! 淳子リサイタル・5 東京芝郵便貯金ホールにて収録 SJX-20088
6th 1979年12月1日 淳子スーパー・ライブ〜リサイタル6 渋谷公会堂にて収録 SJX-20166
1980年代
7th 1980年7月21日 私小説 博品館劇場にて収録 SJX-30015

ベスト・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 規格品番
1970年代
1st 1974年7月5日 桜田淳子グランド・デラックス 新録カヴァー8曲、「黄色いリボン」を含む全16曲収録のベストアルバム GX-5
2nd 1974年12月5日 ベストコレクション'75 新曲12曲、「花占い」、「はじめての出来事」収録の2枚組ベストアルバム SJV-756/7
3rd 1975年8月5日 桜田淳子スーパー・デラックス わたしの青い鳥」を含む 全12曲収録のベストアルバム DX-10023
4th 1975年11月20日 桜田淳子ベストコレクション'76 新曲12曲、「天使のくちびる」、「ゆれてる私」収録の2枚組ベストアルバム SJV-832/3
5th 1976年10月25日 桜田淳子ベスト・ヒット・アルバム 泣かないわ」、「夏にご用心」、「ねえ!気がついてよ」収録のベストアルバム GX-16
1978年6月25日 もう戻れない」、「リップスティック(アナザーヴァージョン)」収録のベストアルバム GX-34
6th 1977年6月25日 淳子 あなたのすべて」収録の3枚組ベストアルバム
7th 1979年7月1日 しあわせ芝居/わたしの青い鳥 冬色の街」、「サンタモニカの風」収録の2枚組ベストアルバム GX-5013
1980年代
8th 1980年12月5日 My Road LADY」、「美しい夏」、「夕暮れはラブ・ソング」、「神戸で逢えたら」収録のベストアルバム SJX-30036
9th 1986年3月31日 桜田淳子 スペシャル・セレクション CDでの初のベストアルバム。知名度の高いヒット曲をほぼ網羅した全16曲収録 SJX-30036
1990年代
10th 1990年11月7日 桜田淳子 全曲集 全16曲 VICL-5035
1995年10月27日 桜田淳子 BEST ONE 『桜田淳子 全曲集』の再発盤 VICL-5285
2005年3月9日 COLEZO! 桜田淳子ベスト 『桜田淳子 全曲集』『桜田淳子 BEST ONE』の再発盤 VICL-41204
11th 1992年12月16日 わたしの青い鳥 桜田淳子 REMIX & BEST しあわせ芝居」、「リップスティック」、「LADY」他、全10曲をリニューアルアレンジしたベスト VICL-5182
12th 1998年11月6日 桜田淳子 TWIN BEST ライブ音源等を含めた2枚組、計39トラックを収録 VICL-41019/20
2005年12月16日 COLEZO! TWIN 桜田淳子 1998年発売「桜田淳子 TWIN BEST」の再発盤。 VICL-41290/1
2000年代
13th 2007年7月25日 GOLDEN☆BEST 桜田淳子 はじめての出来事」から「20才になれば」まで、オリコン集計の売上枚数順に上位24曲を収録 VICL-62470
14th 2009年9月16日 GOLDEN☆BEST 桜田淳子 コンプリート・シングル・コレクション 天使も夢みる」から「眉月夜」まで、全38枚のシングルA面曲を発売順に収録した2枚組 VICL-63440/1
2010年代
15th 2015年2月11日 ゴールデン☆アイドル 桜田淳子 天使も夢みる」から「眉月夜」まで、全38枚のシングルAB面曲を発売順に収録した4枚組 VICL-70145/8

CD-BOX[編集]

# 発売日 タイトル 備考 規格品番
2000年代
1st 2003年9月21日 桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜 全シングルAB面のリマスター音源、及び15曲のオリジナルカラオケを収録したCD全5枚に、シングルの歌唱映像を年代順にほぼ網羅したDVD(53分)1枚を加え、限定1万セットで発売された。
桜田淳子本人を始め、阿久悠、中島みゆき、歴代担当ディレクター等がコメントを寄せたブックレットや、全シングルの縮小版ジャケットも収められている。
定価15,750円(税込)
VIZL-92
2008年9月24日 完全受注生産による上記BOXのアンコールプレス盤。定価、及び収録内容等は同一である。
2nd 2008年8月6日 桜田淳子BOX〜スーパー・ライブ・コレクション〜 過去に発売された全てのライブ盤、及び主演映画「遺書・白い少女」のサントラ盤のリマスター音源を収録したCD全9枚と、1979年にNHKで放送された「ビッグショー」の模様を完全収録したDVD1枚が収められている。
尚、サントラ盤にはボーナストラックとして、シングルB面のオリジナルカラオケを5曲収録。
VIZL-289
2010年代
3rd 2013年10月23日 桜田淳子Thanks 40 〜青い鳥たちへ デビュー40周年記念のアニバーサリーベストアルバム。
自らが監修した、10代のアイドル時代の曲を中心とした「THE IDOL」と今ステージを行うとしたらというコンセプトで選曲した「THE FAVORITE」の2枚のCD、それにTBS「8時だョ!全員集合」の歌唱シーンなど貴重な映像が収められたDVDの3枚組アルバム。
また「スペシャルBOOK」には桜田淳子本人からの書き下ろしメッセージが添えられている。
VIZL-568
4th 2018年3月21日 桜田淳子Thanks 45 〜しあわせの青い鳥 The Live Anthology デビュー45周年記念のアニバーサリーベストアルバム。
ライブ音源の中から自らが選曲した2枚のCD、文化放送セイ!ヤング」の音源を収録したボーナスCD、NHKや渡辺プロダクションが保有するテレビ番組の歌唱シーンなど貴重な映像が収められたDVDの計4枚組アルバム。
また「スペシャルBOOK」には桜田淳子本人の書き下ろしメッセージ、ライナーノーツ、特別座談会が収録されている。
VIZL-1333

参加作品[編集]

発売日 タイトル 楽曲 規格品番 備考 発売元
1975年 君を奪いたい 「春の恋人たち」 SV-1229 山本明のデビューシングル。桜田がデュエット参加している。 ビクター音楽産業

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ 収録作品
ひとり歩き 松竹映画「スプーン一杯の幸せ」主題歌 シングル「ひとり歩き
白い風よ NHK連続テレビ小説水色の時」主題歌 シングル「白い風よ
白い少女のバラード 松竹映画「遺書 白い少女」主題歌 シングル「夏にご用心
若い人のテーマ 東宝映画「若い人」主題歌 シングル「気まぐれヴィーナス
夕暮れはラブ・ソング TBS系テレビドラマ「愛の教育」主題歌 シングル「夕暮れはラブ・ソング
玉ねぎむいたら… TBS系テレビドラマ「玉ねぎむいたら…」主題歌 シングル「玉ねぎむいたら…
スウィート・スウィート・スウィート TBS系テレビドラマ「はらぺこ同志」主題歌 シングル「

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

出場年度/放送回 出場曲 対戦相手 備考
1974年(昭和49年) 第25回 黄色いリボン 堺正章 森昌子山口百恵の2人が両脇で一緒に踊りながらコーラスを担当
1975年(昭和50年) 第26回 2 はじめての出来事 西城秀樹 バックダンサーはテニスルック姿のキャンディーズ岩崎宏美の4人
1976年(昭和51年) 第27回 3 夏にご用心 郷ひろみ 由紀さおりちあきなおみ岩崎宏美がバックコーラスを担当
1977年(昭和52年) 第28回 4 気まぐれヴィーナス 郷ひろみ 先攻の紅組トップバッターを務め、歌い出しの歌詞の一部を紅白仕様に変更して歌唱
1978年(昭和53年) 第29回 5 しあわせ芝居 西城秀樹 この回では桜田淳子以外にも、研ナオコ小柳ルミ子中島みゆきの提供作品を歌唱
1979年(昭和54年) 第30回 6 サンタモニカの風 野口五郎 高1トリオ以来続いた森昌子山口百恵との揃っての出場はこの年が最後
1980年(昭和55年) 第31回 7 美しい夏 布施明 黒柳徹子春風亭小朝の掛け合いが押してしまい、歌い出しに被ってしまうハプニング
1981年(昭和56年) 第32回 8 This is a "Boogie" 加山雄三 直前に歌った西田敏行が居残る形でエスコートし、途中までパフォーマンスを披露
1982年(昭和57年) 第33回 9 セーラー服と機関銃 沢田研二 この年の紅白のテーマ企画を受ける形で薬師丸ひろ子のヒット曲を歌唱

NHKみんなのうた出演歴[編集]

初放送年月 曲目 再放送年月 備考
1975年(昭和50年)2月 - 3月 春のゆくえ (なし) CDNHKみんなのうた 60 アニバーサリー・ベスト 〜私と小鳥と鈴と〜』に収録

歌番組[編集]

コンサート[編集]

【ワンマンショー】

  • 桜田淳子ショー ひとり歩き(1975年4月25日 - 5月1日 日劇
  • 桜田淳子ショー 淳子の四季(1976年4月24日 - 4月30日 日劇
  • 桜田淳子ショー はばたけ若い人!(1977年4月26日 - 5月2日 日劇
  • 桜田淳子ショー 淳子満開!(1978年4月25日 - 5月1日 日劇
  • スーパーライブ!桜田淳子 さわやかな青春(1979年4月25日 - 5月1日 日劇

【リサイタル】(主な公演のみ)

  • 桜田淳子16歳のリサイタル(1974年 渋谷公会堂
  • 桜田淳子リサイタル2 ビパ!セブンティーン(1975年 文京公会堂 他)
  • 青春賛歌〜桜田淳子リサイタル3(1976年 中野サンプラザ 他)
  • 桜田淳子リサイタル4 ラブ・トゥゲザー(1977年 東京芝郵便貯金ホール 他)
  • 桜田淳子リサイタル5(1978年 東京芝郵便貯金ホール 他)
  • 桜田淳子スーパーライブ リサイタル6(1979年 渋谷公会堂 他)
  • 桜田淳子らいぶ 私小説(1980年 博品館劇場
  • いなたいコンサート Misty Night(1981年 日比谷野外音楽堂
  • 桜田淳子ハプニングショー ようこそ10YEARS(1982年 渋谷公会堂)デビュー10周年記念コンサート

【ジョイント】

映画[編集]

舞台[編集]

ドラマ[編集]

【レギュラードラマ】

【単発主演ドラマ】

  • 東芝日曜劇場(TBS)
    • 第1119回「初恋通りゃんせ」(1978年)
    • 第1337回「城下町の夏」(1982年)
    • 第1375回「花咲く街で」(1983年)
    • 第1494回「おーい春子」(1985年)
    • 第1509回「プロポーズをもういちど」(1985年)
    • 第1560回「女マンガ家故郷へ帰る」(1986年)
  • 土曜ワイド劇場ANB
    • 「わかれ道〜ある朝炎のように」(1978年)
    • 「魚たちと眠れ 洋上女子大学殺人事件」(1978年)
    • 「裏窓の花嫁」(1986年)
  • 夫婦は夫婦「魔が過ぎた時」(1981年、CX)
  • 女優シリーズ 妻たちは……「ふりむけば春」(1982年、CX)
  • 月曜ワイド劇場「かりそめの妻」(1982年、ANB
  • 火曜サスペンス劇場(NTV)
    • 「危機一髪の女」(1982年)
    • 「遅すぎた手紙」(1984年)
  • 「海よ眠れ・PARTII〜愛と青春の輝き」(1984年、TBS)
  • 水曜ドラマスペシャル(TBS)
    • 「湖に立つ女」(1986年)本編冒頭で原作者の 夏樹静子 本人が「ナツキ先生=役名」としてゲスト出演 [ノン・クレジット]
    • 「遺言を頼まれた女」(1987年)
    • 「麗子の決闘〜銃口に愛をこめて」(1992年)
  • 金曜女のドラマスペシャル「悪魔からの通告」(1986年、CX)
  • 日本放送作家教会脚本公募入選作「いもうと〜異父妹〜」(1989年、NHK
  • 水曜グランドロマン(NTV)
    • 「思春期外来」(1989年)
    • 「合鍵の女」(1991年)
  • 世にも奇妙な物語(CX)
    • 「ゴミが捨てられない」(1990年)沢田薫役
    • 「8時50分」(1991年)広美役
  • 月曜ドラマスペシャル「警察官の妻たち」(1991年、TBS)
  • 火曜ミステリー劇場黄金の犬』(1991年、ANB)北守礼子役
  • 木曜ゴールデンドラマ「株式会社の妻たち」(NTV)
    • 「ハンサムガールズ〜いい女は夜眠れない」(1991年)
    • 「ハンサムガールズII〜結婚は女が選択する」(1991年)
    • 「株式会社の妻たち」(1991年)
  • 土曜ドラマ「オバサンなんて呼ばないで!」(1992年、NHK)野村洋子役
  • 本当にあった怖い話「死の声が聞こえる」(1992年、ANB
  • 旅情サスペンス「函館幸坂・ふたりの女」(1992年、CX)

【単発ゲスト出演】

CM[編集]

バラエティ番組[編集]

【レギュラー】

[音楽バラエティショウ特別企画これが音声多重放送だ!](1978年)

ラジオ[編集]

映像作品[編集]

VHS[編集]

DVD[編集]

病院坂の首縊りの家

玉ねぎむいたら…

花の降る午後

はらぺこ同志

独眼竜政宗

居酒屋兆治

水戸黄門

オーロラの下で

池中玄太80キロIII

澪つくし

どっこい大作

写真集[編集]

  • 『ためらい―恋する人へ 桜田淳子写真詩集』 ワニブックス 1980年
  • 『JUNKO―JUNKO SAKURADA 30,SECOND BIRTHDAY』 小学館 1988年

『あなたと淳子の詩集7594人のコーラス』レオ企画 1977年

著作[編集]

  • 『サラの瞳』 みみずくぷれす 1984年1月 ISBN 4943960103
  • 『テレビ人生!「そんなわけで!!」録』 池田文雄著 コアラブックス(イラストを担当) 1985年12月
  • 『神様がくれた贈り物(シルク)』 角川書店 1992年9月 ISBN 4041834015
  • 『アイスルジュンバン』 集英社 2006年11月 ISBN 4087804518

受賞歴[編集]

  • 1973年度
  • 1974年度
    • 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞
  • 1975年度
    • オリコン・シングルレコード年間売り上げ 女性歌手個人 第1位
    • ブロマイド売り上げ 女性歌手部門 第1位
    • 横浜音楽祭 大衆賞受賞
    • 日本テレビ音楽祭 トップ・アイドル賞
    • あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ベストアクション賞
    • FNS歌謡祭 最優秀歌謡音楽賞(下期) 「天使のくちびる」
    • 日本歌謡大賞 放送音楽賞 「天使のくちびる」
    • 日本レコード大賞 大衆賞 「『十七の夏』他一連のヒット曲」
  • 1976年度
    • 日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞
    • あなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞
    • 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「夏にご用心」
  • 1977年度
    • 日本テレビ音楽祭 特別賞受賞
    • 新宿音楽祭 ベスト10受賞
    • あなたが選ぶ全日本歌謡祭 ベストアクション賞
    • 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「もう戻れない」
    • 日本レコード大賞 大賞候補曲ベスト10選出 「気まぐれヴィーナス」
  • 1978年度
    • 日本テレビ音楽祭 グランプリ候補
    • あなたが選ぶ全日本歌謡祭 男性視聴者賞 「20才になれば」
    • FNS歌謡祭 歌謡音楽賞 「20才になれば」
    • 全日本有線放送大賞 優秀スター賞 「20才になれば」
    • 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞 「20才になれば」
    • 日本レコード大賞 金賞 「しあわせ芝居」
  • 1979年度
    • 日本テレビ音楽祭 グランプリ候補
  • 1980年度
    • 日本テレビ音楽祭 グランプリ候補
    • 昭和55年度 第35回文化庁芸術祭 大衆芸能第2部門 優秀賞 ミュージカル「アニーよ銃をとれ」における演技に対して。
  • 1981年度
    • 日本テレビ音楽祭 グランプリ候補
  • 1986年度

   受賞理由 「ミュージカル『アニーよ銃をとれ』の演技は、優れた女優としての地位を確実に獲得したといえる。

           また『エドの舞踏会』『十二夜』でもその実力が開花し、今後がいよいよ期待される。」

  • 1987年度
  • 1988年度
  • 1990年度
    • 第14回日本アカデミー賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
  • 1991年度
    • 第12回日本文芸大賞 ルポルタージュ賞 シルクロード探検ルポ『神様がくれた贈り物』
  • 1993年度
    • 第67回キネマ旬報 助演女優賞 映画『お引越し』の演技
    • 第48回毎日映画コンクール 助演女優賞 映画『お引越し』の演技
    • 第18回報知映画賞 助演女優賞 映画『お引越し』の演技

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ テレビ予選・決戦大会の映像は現存していないが(写真と決戦大会の音声のみのテープは存在)、秋田での1次審査(司会者の萩本欽一が直接現地に出向いた)の模様を撮影した映像(16mmフィルムで録画)は現存している。
  2. ^ 後に『スター誕生!』に挑戦した山口百恵も牧葉の「回転木馬」を歌った。
  3. ^ 挑戦者は7人で、合格ラインは250点。会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点。
  4. ^ 霊感商法の被害額が最大となったのは、桜田らが合同結婚式に参加した翌年の1993年であった[15]

出典[編集]

  1. ^ a b c 桜田淳子 女優・歌手 さくらだじゅんこ”. NHK人物録. NHKアーカイブス. 2022年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 早瀬圭一『僕の出合った女』文化出版局、1987年、113-127頁。ISBN 4-579-30274-5 
  3. ^ a b c 「桜田淳子 AKITA ARAYA」『月刊明星』1974年10月号、集英社、88–89頁。 
  4. ^ a b c d e f g 「インサイド 売り出し双六 桜田淳子」『週刊サンケイ』1980年10月2日号、産業経済新聞社、33頁。 
  5. ^ 月刊平凡・1976年9月号より
  6. ^ a b c d e f 三浦弘子「TALK 三浦弘子野次馬インタビュー ゲスト 桜田淳子 『本当に好きな人いないの?って聞かれるのがイヤで、母から逃げ回っているんです、ウフフ』」『週刊平凡』1986年2月14日号、平凡出版、62–65頁。 
  7. ^ a b c d e f g h i 「スペシャル・インタビュー 第69回 桜田淳子」『週刊明星』1982年12月2日号、集英社、50–54頁。 
  8. ^ a b c d e f 桜田淳子 プロフィール- ビクターエンタテインメント
  9. ^ a b c d e f g h 「わからなかった? 笑顔の中の悲しみを… 桜田淳子・25枚の恋のメモ」『月刊明星』1979年3月号、集英社、96–99頁。 
  10. ^ 週刊平凡1974年4月11日号"晴れて卒業できました"
  11. ^ a b c d 「話して聞かして 桜田淳子 大女優に?それともあっさり結婚!?」『週刊平凡』1985年3月29日号、平凡出版、128頁。 
  12. ^ 光言社出版企画部(編) 『誰も書かなかった国際合同結婚式』(光言社 1993年3月1日) ISBN 978-4876560301
  13. ^ 통일교 합동결혼식 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBS9時ニュース現場、1992年8月25日)
  14. ^ 세계 각국 통일교 신도 3만여쌍 합동 결혼식(韓国語)(MBCニュースデスク、1992年8月25日)
  15. ^ a b c d 「週刊文春」2022年7月28日号
  16. ^ 桜田淳子さん、16年半ぶり公の場…相澤さん通夜[1]
  17. ^ 桜田淳子さん 16年半ぶり報道陣の前に 1時間近く…相澤会長に別れ”. スポーツニッポン. 2013年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月6日閲覧。
  18. ^ 雑誌「明星」募集歌。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]