森口淳三

森口淳三

森口 淳三(もりぐち じゅんぞう、1897年明治30年)10月17日[1] - 1975年昭和50年)3月10日[2])は、昭和時代の政治家衆議院議員静岡県引佐郡気賀町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中尉

経歴[編集]

静岡県引佐郡気賀町(細江町を経て現浜松市浜名区)に生まれる[3]1917年(大正6年)浜松商業学校卒業[4]

陸軍歩兵中尉として支那事変に従軍した[4]。気賀町長、静岡県会議員、同副議長を歴任[5]。ほか、在郷軍人会郡連合分会長などを務めた[6]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選[6]。衆議院議員を1期務めた[6]。議員在任中は、翼賛会政調幹事、内閣、農林兼務委員を歴任した[3]

戦後、公職追放となった[7][注 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院事務局 1942, 16頁.
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』654頁。
  3. ^ a b 議会新聞社 1943, 419頁.
  4. ^ a b 衆議院、参議院 1962, 509頁.
  5. ^ 衆議院、参議院 1962, 509-510頁.
  6. ^ a b c 衆議院、参議院 1962, 510頁.
  7. ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿370頁.

参考文献[編集]