歩兵第50連隊

歩兵第50連隊
樺太のメレヤ村にて小休止する歩兵第50連隊の兵士ら
創設 1905年明治38年)3月
廃止 1944年昭和19年)8月玉砕
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 仙台 - 松本
通称号/略称 雷3215
上級単位 独立第13師団 - 第13師団 - 第14師団 - 第29師団
最終上級単位 第29師団
最終位置 マリアナ諸島 テニアン島
主な戦歴 日露戦争 - シベリア出兵 - 日中戦争 - 第二次世界大戦
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歩兵第50連隊(ほへいだい50れんたい、歩兵第五十聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。山地踏破訓練を伝統とし、山岳部隊としてその名を馳せた[1]

沿革[編集]

3月31日 - 編成下令、連隊本部と第2大隊は仙台にて、第1大隊は東京にて、第3大隊は村松にて編成される
4月15日 - 軍旗拝受
7月2日 - 樺太に派遣、講和後(ポーツマス条約)は一時台湾の守備に就く
11月3日 - 松本に転営し[2]、独立第13師団から第13師団に所属変更
8月14日 - 動員下令、塘沽に上陸し鉄道移動ののちに保定に到着、華北各地で作戦する
4月1日 - 第14師団から第29師団に所属変更
4月16日 - 松本から満州遼陽へ移駐
2月10日 - 中部太平洋への転用が決定され釜山へ移動、宇品経由でサイパン島に向かう
当初、歩兵第18連隊テニアン島の守備に就く手筈であったが、輸送船に対する攻撃と混乱および損害のため、本連隊が代わりに上陸する
3月15日 - テニアン島の守備に就く
7月24日 - アメリカ軍上陸(テニアンの戦い
8月2日 - 連隊長以下の残存兵約1,000名は最後の攻撃を行い玉砕する

歴代連隊長[編集]

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 向井斉輔 1905.4.10 - 中佐
2 山本延身 1906.4.2 - 1908.4.29
3 長谷川達海 1908.4.29 - 1909.10.4 中佐、大佐昇進
4 蟻川五郎作 1909.10.4 - 1912.2.18
5 長坂研介 1912.2.18 - 1913.8.22
6 許斐良太郎 1913.8.22 -
7 松崎新太郎 1918.4.8 -
8 広瀬季彦 1922.8.15 -
9 松永栄耕 1924.2.4 -
10 小野幸吉 1927.7.26 -
11 山内二男麿 1928.8.10 -
12 岡原寛 1930.8.1 -
13 笠蔵次 1933.3.18 -
14 田端八十吉 1934.8.1 -
15 遠山登 1937.3.1 -
16 小田健作 1938.8.1 -
緒方敬志 1940.8.1 - 1944.9.30 戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b 特集!陸上自衛隊第13普通科連隊 - 防衛省” (PDF). 防衛省北関東防衛局 (2016年3月). 2018年7月22日閲覧。
  2. ^ 『官報』第7623号、明治41年11月21日。

参考文献[編集]

  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報

関連項目[編集]