母后

母后(ぼこう/ははきさき)は、皇帝天皇国王の母親(である皇后王妃)・皇太后王太后[1][2])を指す語。欧米の言語では英語: Queen motherドイツ語: Königinmutterフランス語: Reine mère等の名称がある。

概要[編集]

しばしば皇太后・王太后と同一に用いられる[3]。元々、先の君主の后ではなかった場合も(側室の場合、配偶者が君主でない場合等)子が君主位に就いた後、皇太后・王太后等の称号を受ける場合もある。

現在存命中の母后[編集]

2023年現在、存命中の母后は以下の10人である。

各国の例[編集]

日本[編集]

古代[編集]

藤原宮子は、第42代文武天皇夫人であり、第45代聖武天皇の生母となった。「皇太夫人」を経て、孫の第46代孝謙天皇が即位した際に「太皇太后」の称号を受けた。以後、平安初期まで「皇太夫人」の称号が用いられた。

中近世[編集]

近現代[編集]

英照皇太后は、第121代孝明天皇の側室であったが、実子ではない第122代明治天皇の「嫡母」とされ、皇后を経ずに皇太后に冊立された(本人の項目を参照)。

一方、柳原愛子は明治天皇の側室で、第123代大正天皇の生母となったが、生前に正二位[4]・逝去に際し従一位[5]位階に叙されたものの、生前・没後を通じ「皇太后」「皇太夫人」のような称号はない[注釈 1]

大正天皇以降は一夫一妻制の確立もあり、皇后の子が天皇に即位することが続いている。また、1947年(昭和22年)施行の皇室典範(現行)では嫡出性が明文化されたため、庶子は皇族としての身位自体を得られない(身位を参照)。このため、「天皇の生母」は皇后親王妃王妃のいずれかであった者となる。

インド[編集]

マハーラージャの未亡人は「ラージマータ」(Rajmata)と呼ばれる。

オスマン帝国[編集]

オスマン帝国前期には、皇帝(スルタン)の男兄弟は殺害され[注釈 2]、皇帝の生母が「ヴァリーデ・スルタン」としてハレム(後宮)に影響力を持った。

ヨーロッパ諸国[編集]

英国(イングランド、スコットランド)[編集]

エリザベス2世の母エリザベス・ボーズ=ライアンは、娘と同名であった[注釈 3]こともあり「王太后」であった間(1952年-2002年)、「Queen Elizabeth The Queen Mother」として知られた。

アフリカ[編集]

参考文献[編集]

  • 会田範治・原田春乃 編『近世女流文人伝』明治書院、1960年。全国書誌番号:60016285 NDLJP:1345847

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 墓所も皇室墓地の多摩御陵豊島岡墓地ではなく、東京都目黒区中目黒五丁目の祐天寺にある[6]
  2. ^ 庶子#イスラム世界も参照。
  3. ^ 母と娘がともに「Queen Elisabeth」となるため。厳密には母エリザベスは「Queen Consort」(王妃)や「Queen Dowager」(王太后)となる。

出典[編集]

  1. ^ "母后". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2023年1月3日閲覧
  2. ^ "母后". デジタル大辞泉. コトバンクより2023年1月3日閲覧
  3. ^ "母后". 平凡社「普及版 字通」. コトバンクより2023年1月3日閲覧
  4. ^ 『官報』第2027号「叙任及辞令」、大正8年5月9日。
  5. ^ 『官報』第5031号「敍任及辭令」、昭和18年10月19日(NDLJP:2961536/4
  6. ^ 会田範治・原田春乃 1960, p. 241(NDLJP:1345847/128

関連項目[編集]

外部リンク[編集]