水の都

水の都(みずのみやこ)は、運河河川水路などが、都市景観の形成や交通・交易に大きな役割を果たしている都市に対して使用される愛称。水都(すいと)とも呼ばれる。

アッカデーミア橋から望遠するカナル・グランデヴェネチア
ケイザー運河(アムステルダム
中之島大阪

世界的には、イタリアヴェネツィアを筆頭に、オランダアムステルダム日本大阪ロシアサンクトペテルブルク中国蘇州などを指す。

概要[編集]

道頓堀(大阪市中央区)

元々は瀬戸内海航路の起点で、海に囲まれていた難波宮(現在の大阪)を指す語で、低湿地で多様性のある水郷とは異なり、道路や水路・運河が交錯する地割が、街の風景となる水辺都市のことを指す。

主な水の都[編集]

日本国内[編集]

北海道[編集]

東北地方[編集]

岩手県
  • 平泉町 - 北に衣川、東に北上川、南に太田川と、三つの川が流れている。池、沼が多く、地名に泉の文字が見られるように、「瓜割り清水」や「独鈷水」など、水・泉が湧き出ている。

関東地方[編集]

茨城県
  • 水戸市 - 北部を流れる那珂川と南部に広がる千波湖の間に水戸駅を中心とする繁華街が形成されており、かつてはそれらを天然の堀とした水戸城が存在した城下町であった。また水戸という地名においても、那珂川の舟運の河港として盛え、水運の戸口とされていた事に由来している。
東京都

中部地方[編集]

新潟県
静岡県
  • 三島市 - 源兵衛川が市の中心部を流れ、市街と川が一体化した親水エリアが三島駅の南に広がっている他、南に豊富な湧水を持つなど、水源も豊富なことで全国的に有名である。
愛知県
  • 津島市 - かつては木曽川および派川の末端部に位置し、現在の市域内を流れた天王川佐屋川を通じた河川交通の拠点として整備され、尾張国商都として栄えていた。天王川・佐屋川は江戸時代から明治時代にかけて廃川となったが、天王川の名残の丸池周辺は天王川公園として整備され、日本三大川祭の1つ・尾張津島天王祭が開催される。
岐阜県
  • 大垣市 - 揖斐川長良川を始め市内に15本の一級河川が流れており水都と呼ばれている。市内には、初めて人工の湧水井戸に成功した掘抜井戸発祥の地があるほか、多くの井戸が存在し、地下水が豊富である。また、岐阜県西濃地方、滋賀県のみに生息が確認されているハリヨが市内に生息している。
  • 郡上市 - 長良川の河川を利用して旧郡上郡八幡町(通称:郡上八幡)の町全体を水路が張り巡らされており、防火・飲用・洗濯などの生活用水として利用されている。

近畿地方[編集]

大阪府

中国地方[編集]

広島県
島根県

四国地方[編集]

愛媛県
  • 西条市 - うちぬきと呼ばれる地下水が豊富で、うちぬきがある地区は上水道代がかからないことや、水都橋、水都館等、水都と名の付く地名施設も多く「水の都」を称している。
徳島県
  • 徳島市 - 吉野川河口の三角州地帯に市街地が形成されており、市内は吉野川をはじめとした非常に多くの川が通っている。

九州地方[編集]

福岡県
佐賀県
  • 佐賀市 - 干拓地である佐賀平野には、淡水の確保、舟運、雨水の貯留排水、防衛など複合的な機能を持ったクリークと呼ばれる水路網が発達し、現存しているクリークの総延長は2,000kmにも及ぶ。
熊本県
  • 熊本市 - 世界の都市(人口50万人以上)で唯一水道水源を100%地下水だけでまかなっている都市で、「世界一の地下水都市」とも言われている。
宮崎県
  • 延岡市 - 五ヶ瀬川を始め、大瀬川・祝子川・北川・沖田川・浜川など多くの河川が市内を流れており、その豊かな水郷としての性格から水の郷百選にも選ばれた。

海外[編集]

ヨーロッパ[編集]

アジア[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第一部 基調講演 「普段見ることのない角度(川)から見た都市・東京」”. 東京都建設局. p. 4. 2024年1月21日閲覧。 “東京という町はかつては水運に恵まれて、文字通り「水の都」だった。 江戸幕府は海と低湿地帯の埋め立てに力を入れ、たくさんの運河がその時同時に誕生した。その頃の川や運河は排水路・用水路・舟運などに盛んに利用されており、まさに都市の「大動脈」だったはずだ。 ところが現在、東京を見て水の都だと思う人はまずいないだろう。それは単に、明治以降の近代化に伴って、川はその動脈としての役目を陸運=道路・鉄路に取って代わられてしまったことだけに起因する印象ではない。工業化や人口増に伴う排水汚染の深刻化、野放図なコンクリートの護岸工事、それらが生み出した悪臭…人々は急速に川を遠ざけるようになり、折からの用地不足も後押しする形で、東京の住人たちは次々と川に蓋をしてしまった。高速道路で上空を覆ってしまった川もあれば、 暗渠で完全に封印されてしまった川もある。いずれにせよ、現代東京における川はまったく身近な存在とは言えない。いまでもすぐそばに流れているにもかかわらず、誰もその存在を意識しない。”

関連項目[編集]