水野英子

水野英子
生誕 (1939-10-29) 1939年10月29日(84歳)
日本の旗 日本山口県下関市
職業 漫画家
活動期間 1955年 -
ジャンル 少女漫画
代表作 『星のたてごと』、『白いトロイカ』、
ハニー・ハニーのすてきな冒険』、
ファイヤー!
受賞 第15回小学館漫画賞
(『ファイヤー!』)
第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞
(全作品)
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水野 英子(みずの ひでこ、1939年昭和14年)10月29日 - )は、日本漫画家山口県下関市出身。日本の女性少女漫画家の草分け的存在で、後の少女漫画家達に与えた影響の大きさやスケールの大きい作風から、女手塚(女性版手塚治虫)と呼ばれることもある。トキワ荘に居住した漫画家の紅一点。代表作『星のたてごと』、『白いトロイカ』、『ファイヤー!』。 2010年、第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞[1]。2023年、文化庁長官表彰[2]

概要[編集]

手塚治虫の『リボンの騎士』によって少女漫画に初めて長編ストーリーが導入された後、それをさらに発展させ1960年代までの間に、絵柄、衣装、取り扱うテーマ、ストーリー展開などの点で、戦後のロマンや西部劇歴史劇の少女漫画、映画的な技法の少女漫画の基本形を確立した漫画家である。特に男女の恋愛を少女漫画で初めて描いた作家といわれる[3][4]。また、1960年代後半のカウンターカルチャーを真正面から扱ったロック漫画『ファイヤー!』は少女漫画の枠を超えて広い注目を集めた。

漫画史的にみると、手塚治虫が少年漫画で用いたダイナミックで映画的な表現技法を少女漫画に移植し、それを女性ならではの感性で昇華することによって(登場人物の衣装や髪型の緻密な描写、カラー原稿における華やかな色使い、恋愛感情の表現など)、当時の主流だった男性漫画家が描いた少女漫画にはない、女性の視点から描いた新しい少女漫画の世界を創出したとされる[5]。実際に、1950年代から1960年代初頭までは、石森章太郎ちばてつやなどの男性漫画家が少女漫画を描くことが多かったが、水野の登場を契機として女性漫画家が急増、まもなく、ほとんどの少女漫画は女性によって描かれるようになっていった。

藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といったトキワ荘世代の男性漫画家の多くが手塚治虫に影響を受けたのと同様に、竹宮惠子萩尾望都青池保子などの24年組や同世代の女性漫画家の多くが、少女時代に水野の作品を読み、大きな影響を受けている[6][7][8][9][注釈 1]

作品活動[編集]

元々文学少女だったが、小学3年生のときに手塚治虫の『漫画大学』に衝撃を受け、漫画家を志す。中学生のころから雑誌『漫画少年』に投稿を続けていたが、佳作止まりで入賞することはなかった。しかし、審査員の手塚が保存していた水野の投稿作を偶然目にした『少女クラブ』編集者の丸山昭が水野の作品を気に入り、その場で手塚が水野の投稿作を褒めたことから、丸山が水野に原稿を依頼することになった[注釈 2]。この時、水野は郷里の下関で漁網会社に就職を決めたばかりであり、デビューからトキワ荘に移るまでは兼業漫画家だった。

1955年、15歳で漫画家としてデビュー[10][11]。それから3年後の1958年、初の長編連載『銀の花びら』(緑川圭子 原作)で人気を得る一方、石森章太郎赤塚不二夫と「U・マイア」のペンネーム[注釈 3]で『赤い火と黒かみ』、『星はかなしく』、『くらやみの天使』を合作し発表した[注釈 4]。この合作のため、水野は郷里の下関から上京し、すでに石森と赤塚が住んでいたトキワ荘に入居することになった[注釈 5][注釈 6]。トキワ荘に居住している間は、自分の作品の執筆やU・マイア名義の合作以外に、石森のアシスタント的な仕事をすることも多く、石森の作画・表現技法に多大な影響を受け、自分の画力が飛躍的に向上したと語っている[13]

『銀の花びら』、『星のたてごと』、『白いトロイカ』などでは、ヨーロッパの古代中世や帝政時代を舞台に、ダイナミックな物語を華麗な絵柄で構成し、当時の少女漫画の定番だった親子の生き別れ物語や友情物語などの作品とは一線を画した斬新な作風だった。そのため、こうした歴史上の時代を背景にして壮大な西欧ロマンを描いた作品は、しばしば「水野調」と呼ばれるようになった[14]

1960年に発表した初めてのオリジナル長編『星のたてごと』は、それまで少女漫画ではタブー視されてきた男女の恋愛を初めて描いた作品といわれる[15]。その後1960年代初頭からの少女雑誌の週刊誌化の頃は、編集者の方針によって『麗しのサブリナ』などのハリウッド映画を下地にした軽快なロマンチック・コメディー路線を展開した[16]。その一方で、少女漫画初の実際の歴史の動きを扱った歴史ロマンとされる『白いトロイカ』を1964年に発表している。

やがて『ブロードウェイの星』等のアメリカを舞台にした作品では、黒人差別問題やベトナム反戦運動などの当時の社会テーマが織りこまれるようになっていった。特に1969年から連載した『ファイヤー!』は、当時の少女漫画では珍しく男性が主人公のかつ実験的な作風であり、1960年代後半のヒッピー・ムーブメントやロック・ミュージックに代表されるカウンターカルチャーを通して時代を見つめている。自費でアメリカとヨーロッパの現地取材を行って描かれたこの作品は[17] 少女漫画の枠を超え、男性読者の注目も集めるとともに少女漫画読者の年齢層を押し上げた[18]

水野は当時のロック・ミュージックの中で、とりわけピンク・フロイドの幻想的世界への傾倒を語っており、それと共通するように、『ファイヤー!』以降しばらくは、漫画のコマの時空間形式の枠を超えようとする幻想詩的で絵物語的な方向への様式を追及していった。しかしロックがファッションとして定着すると彼女はロックへの興味を無くしたという[17]

現在、ライフワークとしての大作『ルートヴィヒII世』の執筆を希望しつつも、掲載雑誌が休刊して中断したままとなっている[19]

また、いわゆる24年組が活躍し始める前の時代、最近ではとかく忘れられがちな『リボンの騎士』(1953年)から『ベルサイユのばら』(1972年)までの戦後少女漫画の創成期にあたる20年間を語り残そうと、2010年に『トキワ荘パワー!』(祥伝社)を監修・出版した。トキワ荘系統以外の少女漫画家についても同様の本を出したいとしている[20]

トキワ荘が多くのメディアに取り上げられるようになるにつれ、誤った情報も目に付くようになり、また、トキワ荘に居住した漫画家で健在な者が少なくなってきたこともあり、当時の創作活動や日常生活の様子を正確に伝え残そうと、自身のトキワ荘入居から去るまでの間の出来事を綴った手記『トキワ荘日記』を2009年に自費出版したのをはじめ、近年は関連イベントでの講演やトークショーを積極的に行っている。

その他[編集]

少女漫画で多く見られる「人物の瞳に星をきらめかせて描く」手法の先駆的存在とされる[21][22]。しかし水野本人はその手法を初めて使ったのは自分ではなく、手塚治虫が『リボンの騎士』でサファイアの瞳に小さい十字の星を使用したと語っている[23]。また、それを引き継いで石森章太郎が『二級天使』で大きな瞳に星を使用していた[23]。なお、1953年『少女クラブ』連載の手塚治虫『リボンの騎士』コミックスの講談社漫画文庫の表紙絵だけだが小さいが目の星がある[24]

画風の特徴として、ロマンチックストーリーにふさわしく、太さの抑揚のある長く流れる描線による流動的な筆づかいが空間の質感とつながり、これは映画的臨場感や幻想的描写に効果的になっている。

西部劇映画と手塚治虫の西部劇漫画の影響で、昭和30年代前半からジーンズを普段着として愛用していた。当時は一般の日本人にとってジーンズは労働者の作業着というイメージしかなく、女性がファッションとしてはくことなど想像もできなかった時代なので、トキワ荘に入居した初日にジーンズをはいて男性漫画家達のところへ行くと、みな驚きのあまり絶句した[25]

U・マイア名義で合作の仕事をしていた関係で、トキワ荘時代は石森章太郎、赤塚不二夫と親しく、仕事だけではなく日常生活でも行動を共にすることが多かった[26]。しかし石森、赤塚との交流とは対照的に、5~6歳年上の藤子不二雄安孫子素雄藤本弘)の2人は「もの静かなお兄様タイプ」[27]で、気軽に話をしたり、部屋を訪ねたりできる雰囲気ではなく、水野は藤子に対しては遠慮ぎみにしていた[25]

1970年代初頭、『ファイヤー!』の連載終了直後、未婚の母になることを公表し、男子を出産。以後、独りで子供を育て上げるが、育児のための時間的制約から、十数年間にわたり週刊誌での長編連載が不可能となり、仕事を読み切りや月刊誌中心にシフトした。

2009年4月4日、トキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園に設置された記念碑「トキワ荘のヒーローたち」の除幕式に鈴木伸一よこたとくおらと出席[28]。記念碑にはトキワ荘に居住した漫画家の1人として自筆の似顔絵とサインが刻まれている[29][30]

略歴[編集]

  • 小学3年生の時に手塚治虫の『漫画大学』に衝撃を受け、漫画家を志す。
  • 中学時代、当時唯一新人漫画家を募集していた『漫画少年』に投稿を始める。
  • 1955年:3月、『少女クラブ』編集者の丸山昭から原稿の依頼を受ける。同年の『少女クラブ』8月号に1コマ漫画1点と目次ページのカット2点が掲載され、デビュー。
  • 1956年:『少女クラブ』6月号に初のストーリー漫画『赤っ毛子馬(ポニー)』を発表。
  • 1958年:『少女クラブ』1月号から初の長編連載となる『銀の花びら』(緑川圭子 原作)がスタート。
  • 1958年[注釈 7]:3月、上京し、豊島区トキワ荘の住人となる。10月[注釈 8]、故郷の祖母を心配させまいとトキワ荘を去り一旦帰郷。翌年の春に再び上京し、雑司が谷の下宿先からバスでトキワ荘に通い住人と交流を続けた[31]
  • 1970年:『ファイヤー!』 で第15回小学館漫画賞を受賞。
  • 1981年:『ハニー・ハニーのすてきな冒険』がテレビアニメ化。
  • 2000年2002年には手塚治虫文化賞の選考委員を務めた。また、2002年に結成された「私の八月十五日」の会の発起人のひとり。
  • 2008年:3月、川崎市市民ミュージアムで開催された展示イベント「少女マンガパワー!―つよく・やさしく・うつくしく―」において、作品展示とトークショーを行った[32]
  • 2009年:自身のまんが人生を綴った自叙伝(未刊)の一部であるトキワ荘時代の章を抜粋し『トキワ荘日記』として自費出版。
  • 2010年:執筆した全作品を通じての功績として第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞[1]

主な作品リスト[編集]

  • 銀の花びら(少女クラブ、講談社)(原作 緑川圭子(佐伯千秋[33]))
    手塚治虫のストーリー少女漫画リボンの騎士的路線の作品。男装の少女騎士が主人公。
  • 星のたてごと(少女クラブ講談社
    オリジナルのヨーロッパ古代ファンタジーロマン。ここで水野調の作風ができあがったと見られる[33]
  • すてきなコーラ(週刊マーガレット集英社
    映画『麗しのサブリナ』を翻案したもの。少女漫画ラブコメディを確立したものと評する人[誰?]がいる。
  • セシリア(週刊マーガレット集英社
    映画『ジェニーの肖像』またはその原作を翻案したロマンチックファンタジーSF。
  • 白いトロイカ(週刊マーガレット 1964-1965、集英社)
    少女漫画史上初めて実際の歴史の動きを扱った作品[34]。18世紀末から19世紀初頭の近代化手前のロシア帝政時代が舞台で、近代化欲求への反動が強かった時期に当たる。
  • 赤毛のスカーレット(週刊マーガレット 1966、集英社)
    アメリカ農村のコメディ。ジョン=フォード監督の映画『静かなる男』の翻案と見られる。
  • ブロードウェイの星(週刊マーガレット 1967、集英社)
    アメリカにおける黒人差別問題がひとつのテーマとなっている。演劇もの。
  • ハニー・ハニーのすてきな冒険りぼん 1966-1967、集英社)
    1981年にアニメ化された世界旅行的な冒険風コメディ。
  • ファイヤー!週刊セブンティーン 1969より、集英社)
    カウンターカルチャーの風俗・社会性・精神的世界観を描き、幻想性もある作品。アメリカのロック・シンガー、スコット・ウォーカーの作品に触れたことから作者像をイメージして描かれた[35]。主人公は繊細な青(少)年男性で、主要登場人物もほとんどが男性。当時の芸能漫画とは全く違うスケールの大きな視野で展開し、テーマ的にもすでに少女漫画というイメージを大きく超えて青年漫画的である。週刊誌の他に、創刊された月刊誌別冊セブンティーンでも総集編が連載されるなど、当時破格の注目作品だった。
  • ホフマン物語(月刊セブンティーン、集英社)
    オペラ曲『ホフマン物語』を元にしたもの。コマを取り払った幻想的作風を追及している。
  • アラーの使者 (原作、川内康範ひとみ (雑誌)秋田書店
    幼年向きだが、コマを取り払った絵本に近いながら、吹き出しを利用してコマ別と時間の順序を表現した作風。
  • フレイヤの涙月刊プリンセス、秋田書店)
  • ローヌ・ジュレエの庭花とゆめ白泉社
  • ヴィクトール街31番 (花とゆめ、白泉社)
  • 月光石(プチフラワー小学館
  • 川の向こうの家ビッグコミック、小学館)
  • 青燈幻想マンガ少年朝日ソノラマ
  • ルートヴィヒII世(中公コミックス・スーリ)
    中断中。
  • 画集[編集]

    • 「画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会」、玄光社、978-4-7683-1158-5(2020年3月30日)

    アンソロジー[編集]

    • 文藝春秋編 『少女マンガ大全集-短編にみる魅惑のミクロコスモス』 文春文庫ビジュアル版、1988年、ISBN 978-4168110085

    著書・ムック・WEB[編集]

    • 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年(水野英子の部屋 - ウェイバックマシン(2007年3月15日アーカイブ分)の通信販売で入手可能)
    • 水野英子 『トキワ荘物語』(手塚治虫ほか 『まんが トキワ荘物語』 祥伝社新書、2012年、ISBN 978-4396112882 に収録)
    • 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編[リンク切れ]
    • トキワ荘パワー!(祥伝社)
      トキワ荘に居住した男性漫画家達は当時多くの少女漫画を描いており、そうした作品の中に戦後の少女漫画発展の萌芽が見られると同時に、そこで使用された作画・表現技法が、後に少年漫画に移植され、漫画全体の発展にも大きく寄与したという。
    • 『総特集水野英子 自作を語る』河出書房新社、2022年。初の総特集、ロングインタビュー、作品論ほか
    • 『少女マンガはどこからきたの? 「少女マンガを語る会」全記録』全349頁(本編335頁+索引など14頁),2023年5月30日第1刷発行,青土社,語る会メンバー12名:水野英子(発起人)/上田トシコ/むれあきこ/わたなべまさこ/巴里夫/高橋真琴/今村洋子/ちばてつや/牧美也子/望月あきら/花村えい子/北島洋子【※発起人水野以外はデビュー順[36]ISBN 978-4791775538

    解説[編集]

    メディア出演[編集]

    • 『近い昔の物語 トキワ荘の人々 漫画家 水野英子』 朝日新聞 1999年4月2,9,16,23,30日 週1回掲載 全5回 - 上京から帰郷までの思い出を語った。
    • BSマンガ夜話
    • 出没!アド街ック天国『椎名町』(2009年5月16日)- トキワ荘について話す。
    • 「新・家の履歴書:水野英子」、週刊文春、2018年3月15日号、頁64-67。※ インタビュー記事。
    • 「阿川佐和子のこの人に会いたい 第1436回:水野英子」,週刊文春,2023年3月30日号,頁116-121。※ インタビュー記事。
    • 『時代の証言者』「I LOVE マンガ 水野英子」読売新聞朝刊 2024年2月19日 -(月曜 - 金曜)

    関連番組[編集]

    • BSマンガ夜話
      • 『星のたてごと』(2002年8月7日) - 本人出演なし。

    水野英子を演じた人物[編集]

    脚注[編集]

    注釈[編集]

    1. ^ 2002年に水野の旧作が講談社漫画文庫から復刊された際、各巻末に収録された「拝啓水野英子先生」の中で、多くの女性漫画家達が水野に宛てたファンレターという形式で自分の水野体験を綴っている(少女漫画ラボラトリー 図書の家 少女漫画資料室 01-講談社漫画文庫による「水野英子の娘たち」一覧)。
    2. ^ 丸山は漫画家水野英子を発掘しただけではなく、育ての親ともいえる存在で、担当編集者として水野の初期作品に深い関わりをもっていた(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
    3. ^ 3人ともワーグナーが好きだったためドイツ名の「マイヤー」が候補となり、そこにU(ドイツ読みでウー)を付け「うまいやー」となり、3人の頭文字(水野のM、石森のI、赤塚のA)になるようにもじって「U・MIA」、表記をカタカナとし「U・マイア」となった(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
    4. ^ 『赤い火と黒かみ』はオペラの『サムソンとデリラ』、『星はかなしく』はやはりオペラの『アイーダ』をベースにした作品で、『くらやみの天使』はオリジナルの現代物のミステリー(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年;水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年)。
    5. ^ 合作第一作目の『赤い火と黒かみ』は、まだ下関の実家にいた水野と、トキワ荘にいた石森と赤塚が、掲載誌『少女クラブ』の担当編集者の丸山昭を介して、郵送で原稿をやり取りしながら完成させた。しかしその作業にあまりにも(特に編集者にとって)手間がかかったため、いっそのこと水野を東京に呼び出そうという流れになったと、丸山は語っている。したがって、トキワ荘で三人揃って合作が行われたのは『星はかなしく』と『くらやみの天使』の二作のみである(丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年)。
    6. ^ この合作を企画し、担当編集者でもあった丸山が水野に上京を勧め、トキワ荘の部屋を押さえ、敷金・礼金も払うなどして準備を整えた[12]
    7. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)に掲載された年表などより。なお、同書に収録された水野の回顧録『トキワ荘物語』には、入居は「確か昭和31年(1956年)の春」とあるが、後に出版された『トキワ荘日記』(水野英子、2009年)や『まんが トキワ荘物語』(手塚治虫ほか、2012年)に収録された同作品では「昭和33年(1958年)」と訂正が行われており、『トキワ荘日記』収録版には「この作品には年月などの間違いが多くありましたので正してあります」(同書、23頁)と注が付いている。また、同作でエピソードとして描かれているポール・アンカの「ユー・アー・マイ・ディスティニー」は1958年の作品である。
    8. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)に収録された関連年表(324頁)には6月11日転出と記載されているが、後に出版された『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』(丸山昭、1999年)の年表や『まんが トキワ荘物語』(手塚治虫ほか、2012年)の著者略歴では1958年10月転出と訂正されている。

    出典[編集]

    1. ^ a b 日本漫画家協会賞[リンク切れ]。2010年8月24日に参照。
    2. ^ 令和五年度文化庁長官表彰名簿
    3. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 その2-5
    4. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 その3-5
    5. ^ BSマンガ夜話-水野英子「星のたてごと」』 NHK・BS2、2005年8月7日放送。
    6. ^ 青池保子 『「エロイカより愛をこめて」の創りかた』 マガジンハウス文庫、2009年、ISBN 978-4838770403。水野と同じ下関出身で、水野が青池を出版社に紹介したことがきっかけとなり、水野と同じく15歳でデビューしている。
    7. ^ 竹宮惠子 『BSマンガ夜話-水野英子「星のたてごと」』 NHK・BS2、2005年8月7日放送。ゲスト出演。自身の作品『ファラオの墓』の女性登場人物は水野の絵柄を基にして描いたと証言している。
    8. ^ 萩尾望都 『マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編』 河出書房新社、2012年、ISBN 978-4309273075。第2章の水野との対談「私たちって変わり者かしら」を参照。同書の出版を記念して2012年4月7日に萩尾と水野のトークショーが行われた(コミックナタリー 萩尾望都、初の対談集発売記念で水野英子とトークショー)。
    9. ^ 山岸凉子 『舞姫 テレプシコーラ 第4巻』 メディアファクトリー、2003年、ISBN 978-4840104913。巻末の水野との対談を参照。
    10. ^ 水野英子の部屋 プロフィール
    11. ^ 下関TV-少女漫画三人展 水野英子
    12. ^ 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年
    13. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。公式サイト 水野英子の部屋の通信販売で入手可能。
    14. ^ 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年。
    15. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 1-3
    16. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 3-4
    17. ^ a b 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-2
    18. ^ 文藝春秋編 『少女マンガ大全集-短編にみる魅惑のミクロコスモス』 文春文庫ビジュアル版、1988年、749頁。
      それまでより高年齢層向けのハイティーン向け少女誌「セブンティーン」の創刊に伴う連載で最注目作品だったわけでもある。
    19. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-3
    20. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 4-3
    21. ^ 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』(手塚治虫&13人、1987年)の紹介文(326頁)より。
    22. ^ 日本放送協会 (2021年10月28日). “「トキワ荘」秘話 ~石ノ森や赤塚が少女漫画を描いたわけ~”. NHKニュース. 2022年2月5日閲覧。
    23. ^ a b 新刊ラジオ 第1231回「トキワ荘パワー!」「トキワ荘の紅一点 水野英子さんへのインタビュー」10分54秒 - 12分9秒
    24. ^ 完全復刻版 リボンの騎士(少女クラブ版) 1
    25. ^ a b 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。
    26. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年。よく3人で映画を見たり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしていた。また、1958年4月、トキワ荘で石森と同居していた石森の姉が急逝した当日も、赤塚と共に事態の一部始終を目撃しており、自著『トキワ荘日記』に石森の言動を含めて詳細な記述がある(石森の姉については石ノ森章太郎参照)。
    27. ^ 水野英子 『トキワ荘日記』 自費出版、2009年、36頁。
    28. ^ トキワ荘通り 4日、式次第[リンク切れ]
    29. ^ トキワ荘通り協働プロジェクト 記念碑「トキワ荘のヒーローたち」
    30. ^ トキワ荘通り 記念碑の紹介3
    31. ^ 石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談(第3回)[リンク切れ]
    32. ^ 川崎市市民ミュージアム|ウェブマガジン|活動レポート[リンク切れ]
    33. ^ a b 銀の花びら 講談社漫画文庫版2002年 丸山昭寄稿。
    34. ^ 電子書籍 eBookJapan:白いトロイカ 水野英子[リンク切れ]
    35. ^ 荒俣宏の電子まんがナビゲーター 第7回 水野英子編 3-6 [リンク切れ]
    36. ^ “少女マンガはどこからきたの?上田トシコ、むれあきこら50~60年代の少女マンガ語る書籍”. コミックナタリー (株式会社ナターシャ). (2023年6月2日). https://natalie.mu/comic/news/527169 2023年6月2日閲覧。  "帯:ジャンルを育てたレジェンドたちの証言/1953年の手塚治虫「リボンの騎士」から1972年の池田理代子「ベルサイユのばら」までの期間で、少女マンガというジャンルがいかにして開拓されてきたのかをたどる。"

    参考文献[編集]

    • 手塚治虫&13人 『トキワ荘青春物語-Playback Tokiwaso』 蝸牛社、1987年、ISBN 4905579945
    • 丸山昭 『トキワ荘実録-手塚治虫と漫画家たちの青春』 小学館文庫、1999年、ISBN 978-4094034417

    外部リンク[編集]