没薬

没薬
モツヤクジュ

没薬(もつやく)とは、ムクロジ目カンラン科コンミフォラ属(ミルラノキ属)英語版の各種樹木から分泌される、赤褐色の植物性ゴム樹脂のことである[1][2]。外国語の転写からミルラMyrrh)とも呼ばれる[3]

名前の語源[編集]

「ミルラ」も中国で命名された没薬の「没」も「苦味」を意味するヘブライ語のmor、あるいはアラビア語のmurrを語源としているとされるほか[4]、ギリシア神話のミュラーに由来するとされることもある[2][4]

分布・起源[編集]

没薬樹エジプト、オマーン、イエメン、など主にアラビア半島にの紅海沿岸の乾燥した高地に自生し、エチオピア北部、スーダン、南アフリカなどにも自生する。[3]

起源については、アフリカであることは確実であるとされるが、エジプトに世界最古の没薬使用例がある事からエジプト起源という説もある[5]

利用[編集]

利用史[編集]

古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。また、殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。

古代エジプトにおいて、日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。また、ミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。ミイラの語源はミルラから来ているという説がある。

聖書にも没薬の記載が多く見られる。出エジプト記には聖所を清めるための香の調合に没薬が見られる。東方の三博士イエス・キリストに捧げた3つの贈り物の中にも没薬がある。没薬は医師が薬として使用していたことから、これは救世主を象徴しているとされる。また、イエス・キリストの埋葬の場面でも遺体とともに没薬を含む香料が埋葬されたことが記されている。

東洋においては線香抹香の調合に粉砕したものが使用されていた。

近代から現在[編集]

近代以降においては主に男性用香水に使用する香料の調合にも使用されている。この用途には粉砕した没薬を水蒸気蒸留したエッセンシャルオイルや溶剤抽出物のレジノイドが使用される。

この他、歯磨剤ガムベースにも使用される。

その他[編集]

花、特にバラの香りの分析的評価の一つにミルラ香という名前がある。

宗教儀礼[編集]

古代エジプトとプント(アフリカの角)[編集]

エジプト第5王朝を統治していたサフーレ王は、現在のアフリカの角(特にソマリア)にあるプント国への遠征を記録しており、その遠征隊は大量の没薬、乳香、マラカイト、エレクトラムを持ち帰った[6][7]。この探検隊はまた、野生動物(特にチーター)、秘書鳥(射手座蛇座)、キリン、ヒヒ-ガマドリル(古代エジプト人にとって神聖なもの)、黒檀、象牙、動物の皮も持ち帰った。この遠征の成功を記念した葬祭殿のレリーフには、宮殿の庭で没薬の木の手入れをするサフレの姿が描かれている。サフーレの輝きは天に昇る」と題されたこのレリーフは、エジプト美術の中で唯一、園芸に従事する王を描いたものである[8]

古代ロシアでは[編集]

没薬はもともとギリシアからロシアにもたらされた。歴史家ストラボが言及したギリシアの植民地タナイス(現在のドン川沿いのロストフ)を経由し、ロシア・スラブ諸民族は積極的に交易を行った。古代ロシアではミルラはスミルナと呼ばれていた[9]。 スミルナは、多くのスラブ人の儀式、儀礼、習慣の中でしばしば言及されている。スミルナの香りの喫煙は、スラブ人の間で劣らず広まった。

古代ナバタイアでは[編集]

シチリア島のディオドロスは紀元前1世紀に、没薬がナバテアのキャラバン隊と海港を通じて陸路と海路で取引され、南アラビアから首都ペトラに届けられ、そこから地中海地域全体に広まったと記録している[10][11]

脚注[編集]

外部リンク[編集]