河東郡


北海道河東郡の位置(1.音更町 2.士幌町 3.上士幌町 4.鹿追町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

河東郡(かとうぐん)は、北海道十勝国十勝総合振興局

人口58,269人、面積1,822.32km²、人口密度32人/km²。(2024年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の4町を含む。

郡域[編集]

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町から音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域)、士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域)、上士幌町の一部(概ね居辺東)[1]を除き、河西郡芽室町の一部(概ね十勝川以北)、上川郡清水町の一部(美蔓および御影の一部)を加えた区域にあたる。

歴史[編集]

郡発足までの沿革[編集]

江戸時代の河東郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、河東郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河東郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は仙台藩領となった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して河東郡が置かれた。

郡発足以降の沿革[編集]

北海道一・二級町村制施行時の河東郡の町村(14.音更村 青:合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 24.川上村 25.上士幌村 26.鹿追村)
明治9年の大区小区
  • 第23大区
    • 6小区 : 音更村、然別村、東士狩村、西士狩村、美蔓村

行政[編集]

浦河郡外十郡長
釧路郡外十一郡長
釧路郡外十郡長
釧路郡外十二郡長
河西郡外五郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 吉田直太郎[2] 明治30年(1897年)7月 明治30年(1897年)11月5日 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く

脚注[編集]

  1. ^ いずれも相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
  2. ^ 千枝 1925, 14頁.

参考文献[編集]

関連項目[編集]