法規

法規(ほうき)とは、広義においては法規範一般のことや一般的・抽象的法規範のことを指したり、単に法令と同義で使われることもあるが、狭義(又は本来的な意味)では、国民権利を制限し又は国民に義務を課す内容の法規範のことをいう。

この語はドイツ語の Rechtssatz の訳語であるところ、Rechtssatz という語はその概念の成立過程を考慮して直訳すると「権利命題[注釈 1]」という意味であり、冒頭に掲げた狭義の意味を表現するものとして用いられるようになる。

法規概念の機能[編集]

法規という概念は、立法の中核概念を構成するものとして位置づけられることが多い。つまり、三権分立の下では、法規の定立作用に関する権限は原則として議会が有し、その際の法形式が法律である。例外的に行政府が法規の定立をする場合は、憲法の根拠を有するか、議会の委任が必要になる(委任立法)。

また、行政府が法条をもって制定する定めは、法規たる性質を有する法規命令と、法規たる性質を有しない行政規則に区別され、後者については法律の根拠を有しないと理解されている。

立憲君主制の下における法規概念[編集]

法規という概念は、それまで君主が有していた国家権能のうち立法権を議会の権限とし、絶対君主制から立憲君主制に移行したヨーロッパにおいて確立した概念であり、特に民主的な勢力が弱体であったドイツにおいて確立した。

立憲君主制の下においては、議会の役割は、国民の権利を君主から保護することに力点が置かれる。このような議会の機能を貫徹するため、法規範の定立作用のうち「国民の自由と財産に関する事項」については、議会の同意を要することとしたり、議会の権限としたりすることにより、国民の権利を保護しようとしたものである。このような経緯から、法規の定立作用は立法の中核をなすものと、伝統的に位置づけられてきた。

このような理解を前提にすると、法規範の定立作用のうち、国民の権利を制限し又は国民に義務を課すことを内容とするものについては議会の関与を必要とするのに対し、そうでないものについては行政機関が命令として規定することが可能という帰結を生むことになる(ただし、憲法の明文により例外を認めることを否定するものではない)。例えば、19世紀後半のプロイセン王国において、憲法では予算は議会の法律により定められることになっていたが、予算は法規には該当しないから法律によらない政府の支出も違法ではないとの理解が生まれた[2]。また、日本においても、大日本帝国憲法の下では、国家の行政機関に関する定め等は国民(臣民)の権利を制限し義務を課する法規範ではないという理解の下、勅令により定められた(大日本帝国憲法第10条内閣官制など)[注釈 2]

国民主権の下における法規概念[編集]

以上のように、沿革的には、法規概念は本来的に立憲君主制における君主と国民との間の妥協の産物である。このため、立法の中核をなすものとして伝統的な法規概念が国民主権を前提とする体制においてもそのまま維持されるべきか否か、そもそも法規という概念が必要であるか否かが問題とされる。

立憲君主制の下における法規概念(「国民の権利を制限し、国民に義務を課する成文の一般的法規範[7]」(一般的権利制限規範説[8][注釈 3]))をそのまま維持する考え方もあるが、国民による民主的なコントロールを重視し、

  • 権利・義務という枠組みを外し、単に一般的・抽象的な法規範[注釈 4]を法規とする見解(一般的規範説[8][注釈 5][注釈 6]
  • 権利を制限するだけではなく、広く国民の権利義務に関係する法規範を実質的法律に含め、例外的ではあっても、個別的・具体的な法規範をも含める見解(権利関係規範説[13][注釈 7]
  • 一般的規範説と権利関係規範説との中間にあって、実質的法律を「国民の権利に関係する一般的抽象的法規範」と捉え、一般性の要素を維持しつつも権利制限規範の要素を権利関係規範にまで拡張し、「一般的規範性」と「権利関係性」の双方を実質的法律のメルクマールとする見解(一般的権利関係規範説[3][注釈 8]
  • 日本国憲法41条後段は、国会に対し、他の憲法規定に抵触しない限り、どのような内容の形式的法律をも制定する権限を与えたとする見解(形式的法律概念一元説[3][注釈 9]

などがある。

以上のような法規概念の捉え方の差異は、憲法の明文上法律事項とされているか否か明確ではないものとの関係で、特に問題にされる。

例えば、日本国憲法の下では、内閣の組織については法律事項とされており(日本国憲法第66条1項)、これに基づき内閣法が制定されているが、内閣の統括の下にある行政機関の定めをどうするかについては、憲法上明文の規定がない。そのため、立憲君主制の下における法規概念を前提とすれば国会が定める法律による必要はないとも考えられるが、実際には法律が制定されている(国家行政組織法など)。この点については、立憲君主制の下における法規概念を前提に、行政庁による行政処分は国民の権利義務に影響を与えるという前提のもと行政組織の定めも法規に該当するという理解、上記に掲げた法規概念を広く解する見解を前提として、行政組織に関する定めも法規に該当するとする理解などがある。

また、勲章褒章などの栄典について法律で定めることを要するかも問題とされる。この点に関する政府による見解は、立憲君主制における法規概念を前提に、日本国憲法第7条7号による栄典の授与については、国民の権利を制限し又は国民に義務を課すものではないから法律で定める必要はないとし、太政官布告たる褒章条例などを政令で改正する措置を採っている。これに対し憲法学者の間では、日本国憲法の下では栄典制度は法律事項であり、政令で定めることはできないという見解が支配的である。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、石川健治によれば、Rechtssatzを「権利命題」と訳すのは、客観法という意味で用いられているRechtを主観法(権利)という意味でのRechtと取り違えたものであって、端的にいって誤訳であるとされるが、日本国憲法41条論における「法規」概念は、結果として、もはや権利命題と読んでも大過ないものになっているのもまた、事実であるとされている[1]
  2. ^ もっとも、大日本帝国憲法下においても、学説において見解の対立があった[3]。例えば、穂積八束は、帝国議会の協賛を必要とする立法事項を憲法上に個別に明文規定がある場合に限定しており[4]美濃部達吉は、法規概念に一般性の要件を含めず[5]市村光恵は、逆に、実質的意味の法律を一般的抽象的規範として理解しつつ、大日本帝国憲法中の「法律」を全て形式的意味で捉え、形式的法律概念一元説に立っているとされる[6]
  3. ^ 19世紀のドイツ公法学に由来するといわれる一般的権利制限規範説を採用する論者は現在はいないとされているが、内閣法11条、内閣府設置法7条4項、国家行政組織法12条3項の背景には、一般的権利制限規範説の発想があるとされる[8]
  4. ^ 「一般的」とは、法の受範者が不特定多数人であることを意味し、「抽象的」とは、法の対象・事件が不特定多数であることを意味し、行政行為裁判と区別する意味で重視される。
  5. ^ 例えば、佐藤 1983, p. 628、芦部 2002, p. 270、杉原 1989, p. 214、樋口 1998, p. 214、浦部 2000, p. 528、阪本 2000, p. 277、辻村 2004, pp. 414–415であり、憲法学の多数説であるとされることがあるが[9][10]、むしろ、学説の分布状況としては、一般的規範説と一般的権利関係規範説とが拮抗しており、少数説ながら、権利関係規範説と形式的法律一元説が無視できない状況であると要約されている[3]
  6. ^ なお、一般的規範説は、国会が措置法処分的法律)と称される個別的・具体的な法規範を定立することを例外的に許す見解(例えば、芦部 2002, pp. 270–271であり、一般的規範説の中では多数説であるとされる[11]。)と、それを許さない見解(例えば、樋口 1998, p. 232、浦部 2000, p. 528、阪本 2000, pp. 277–278など。)とに分かれる[3]。しかしながら、一般的規範が全て国会で定められなければならないという主張と、国会は一般的規範しか定めることができないという主張とでは、次元が異なっている[3]。一般的規範の定立が国会の専管事項であると解釈しても、そのことから直ちに国会が他の国家機関との競合的所管事項として個別的規範を定立することは許されないという結論が導かれるわけではない[12]
  7. ^ 例えば、伊藤 1995, p. 421などがその数少ない例であるとされる[3]
  8. ^ 例えば、清宮 1979, p. 204、佐藤 1995, pp. 144–147、戸波 1998, p. 364、長谷部 2004, p. 326、内野 2005, p. 132[3]
  9. ^ 例えば、高橋 2001, pp. 215–216}、松井 2002, p. 157[3]

出典[編集]

  1. ^ 芹沢, 市川 & 阪口 2011, p. 302(石川健治執筆)
  2. ^ ラーバント, パウル『歳計予算論』法制局、1890年。NDLJP:1079342 
  3. ^ a b c d e f g h i 赤坂 2005, p. 149.
  4. ^ 穂積八束『憲法提要(下巻)』(第5版)有斐閣、1915年。NDLJP:1874579 
  5. ^ 美濃部達吉『憲法撮要』(改訂第5版)有斐閣、1932年。NDLJP:1267441 
  6. ^ 市村光恵『帝国憲法論』(改訂第13版)有斐閣、1927年。NDLJP:1080997 
  7. ^ 芦部信喜「現代における立法」『憲法と議会政』東京大学出版会〈東大社会科学研究叢書〉、1971年。doi:10.11501/11894665 
  8. ^ a b c 赤坂 2005, p. 148.
  9. ^ 辻村 2004, p. 414.
  10. ^ 玉井克哉「憲法学原論――憲法解釈の基底にあるもの(13)国家作用としての立法――その憲法史的意義と現代憲法学」『法学教室』第239号、72頁、2000年https://cir.nii.ac.jp/crid/1522825130887143552 
  11. ^ 赤坂 2005, pp. 157–158注10
  12. ^ 赤坂 2005, pp. 149–150.
  13. ^ 赤坂 2005, pp. 148–149.

参考文献[編集]

  • 赤坂正浩「立法の概念」『公法研究』第67号、148頁、2005年https://cir.nii.ac.jp/crid/1520572359774643840 
  • 芦部信喜『憲法』(第3版)岩波書店、2002年。ISBN 4-00-022727-0 
  • 伊藤正己『憲法』(第3版)弘文堂、1995年。ISBN 4-335-30057-3 
  • 内野正幸『憲法解釈の論点』(第4版)日本評論社、2005年。ISBN 4-535-51473-9 
  • 浦部法穂『全訂憲法学教室』日本評論社、2000年。ISBN 4-535-51231-0 
  • 清宮四郎『憲法Ⅰ』(第3版)有斐閣、1979年。doi:10.11501/11934487 
  • 阪本昌成『憲法理論』(補訂第3版)成文堂、2000年。ISBN 4-7923-0311-7 
  • 佐藤功『憲法(下)』(新版)有斐閣〈ポケット註釈全書〉、1983年。ISBN 4-641-01890-1 
  • 佐藤幸治『憲法』(第3版)青林書院、1995年。ISBN 4-417-00912-0 
  • 杉原泰雄『憲法Ⅱ』有斐閣、1989年。ISBN 4-641-03120-7 
  • 芹沢斉; 市川正人; 阪口正二郎 編『新基本法コンメンタール憲法』日本評論社、2011年。ISBN 978-4-535-40246-1 
  • 高橋和之『立憲主義と日本国憲法』放送大学教育振興会、2001年。ISBN 4-595-12658-1 
  • 辻村みよ子『憲法』(第2版)日本評論社、2004年。ISBN 4-535-51420-8 
  • 戸波江二『憲法』(新版)ぎょうせい〈地方公務員の法律全集〉、1998年。ISBN 4-324-05467-3 
  • 長谷部恭男『憲法』(第4版)新世社〈新法学ライブラリ〉、2004年。ISBN 4-88384-067-0 
  • 樋口陽一『憲法Ⅰ』青林書院〈現代法律学全集〉、1998年。ISBN 4-417-01120-6 
  • 松井茂記『日本国憲法』(第2版)有斐閣、2002年。ISBN 4-641-12909-6 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]