津倉亀作

津倉 亀作
つくら かめさく
生年月日 (1879-09-01) 1879年9月1日
出生地 静岡県長上郡
没年月日 (1947-02-27) 1947年2月27日(67歳没)
所属政党 立憲民政党
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津倉 亀作(つくら かめさく、1879年明治12年)9月1日[1] - 1947年昭和22年)2月27日[2])は、昭和時代の政治家実業家立憲民政党所属の衆議院議員静岡県磐田郡掛塚町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中尉

経歴[編集]

静岡県長上郡、のちの磐田郡掛塚町(竜洋町を経て現磐田市)出身[3]。津倉勘六の弟として生まれ先代の津倉録平の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する[3]日露戦争に従軍し、陸軍主計中尉に進む[2]

掛塚町会議員、磐田郡会議員、浜松市会議員、静岡県会議員、掛塚町長、所得税調査委員などを歴任[2]。また材木商を営み、浜松商工会議所副会頭、浜松倉庫、浜松合同運送各取締役社長、遠州銀行[注 1]、帝国製帽[2][注 2]、浜松貯蓄銀行[注 3]各監査役[3]を務めた。

1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から民政党公認で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 静岡銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ 現在のテイボー
  3. ^ 静岡銀行の前身行のひとつ。

出典[編集]

参考文献[編集]